| 2012年09月11日(火) |
苦海浄土 石牟礼 道子 |
わが水俣病
ドキュメント か ルポルタージュ なのか、 それとも魂の報告書なのか、読後感をどういう表現をしたらいいのだろう。 作者の故郷でもある水俣の美しい海の中で起こった公害病の患者の胸のうちを、水俣の言葉で書き綴られている。
よし、いつかは銭ためて舟造って、嫁御みつけて、片ひらの屋根の掘立て小屋でもよか、家持って、いつかは親の家に喜んでもらいぎゃ戻ろうちおもうた。百間の港はでけあがって、なるほどそれから水俣の町もひらけやした。 あねさん、わしゃふとか成功どころか、七十になって、めかかりの通りの暮らしにやっとかっとたどりついて、一生のうち、なんも自慢するこたなかが、そりゃちっとぐらいのこまんか嘘はときの方便で使いとおしたことはあるが、人のもんをくすねたりだましたり、泥棒も人殺しも悪かことはいっちょもせんごと気をつけて、人にゃメイワクかけんごと、信心深う暮らしてきやしたて、なんでもうじき、お迎いのこらすころになってから、こがんした災難に、遭わんばならんとでござっしゅかい。 なむあみだぶつさえとなとれば、ほとけさまのきっと極楽浄土につれていって、この世の苦労はぜんぶち忘れさすちゅうが、あねさん、わしども夫婦は、なみあみだぶつ唱えはするがこの世に、この杢をうっちょいて、自分どもだけ、極楽につれていたてもらうわけにゃ、ゆかんとでござす。わしゃ、つろうござす。
|