ひよ子の日記
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2004年02月05日(木) |
言語学ってなんだろう/昨日のかおの話 |
えっと、言語学って英語でなんでしたかな( ・◇・)?(・◇・ ) (言語学はphilologyだ。 全然違った。ethologyは動物行動学だった。) 曖昧なのは人の記憶って事で、また忘れた頃に 自分を試してみる事にして。
昨日の「かお」と言う言葉が生まれる前に、 顔があって、それを家の猫や人間の赤ちゃんは 「かお」と知らずに、顔を知ってる‥なんのこっちゃという話。
私は物が初めにあって、 その物に名前が付けられて言葉になったって思ってた。 物以外でも、事象でも何でも、まず最初に存在があったと思って。 でも「知の論理」 (小林康夫/船曳建夫 東京大学出版会)を読んでたら
ところが、もし言語というものが、対象からは独立した自律的な論理を持ちうるのであるなら、事態は大きく変わってきてしまいます。 厳密にいえば、何が対象かが定められるのもあくまでも言語のうちであって、もし別の言語の論理を採用すれば、対象の存在そのものが危うくなることになるのです。
という文章があった。(言語学の発展の話の流れ)
う〜ん。難しいけど、何かを表現する言葉自体が 「ただ物をあらわす」以上のものを持ってたとしたら、例えば 「太陽」って言葉は、あくまで、言語が定める内の「太陽」でしかなくて 本当に宇宙にある”太陽”を認識してるわけじゃないってことかな。。
えっと、だから、「物が先にあって名前」、なのはあってるけど 私が生まれた時には、すでに言語が確立されていたから 日常で私が生活する場合は、物がさきにあるってより、 言語と対象物の関係を通して、世界を見ているってこと。
何かをみて、「かわいそう」って思うのは すでに「かわいそう」という言葉の範囲内での 気持ちでしかないってことだ、多分。 心の中にぐるぐるしてる気持ちはおいておいて、 「かわいそう」とか一言口にしたり、思った瞬間 その気持ちはすでに、言語のなか??
何年も前だけど、、 「だるい」って言葉、どうしてみんな「だるい」がわかるのかなって 不思議に思った事があった。 だって、だるいって言葉を聞けば、「だるい状態」が分かる。。 でも「だるい」って言葉を知る前から、だるい状態を知ってたでしょう?多分。
んで、なんだろうこの体の感じ‥って思っていたのが ある日それが「だるい」だと知る。「これがだるいってことか?」って。
でも人の体の感覚は、自分で感じられないから 「こんな感じするよね〜?」「あぁ、なんか体が重い様なね?」 って、だるいを説明しても、人によって微妙に違ったりする。 人間が認識してる「だるい」って、実はそれぞれ違うんじゃないかって思った。 とりあえず、そんな感じを「だるい」と名付けたわけだ。
んでもって、「だるい状態」と「だるいという言葉」の関係をもって 私はだるいを認識してるってことだね。 それと同じ様な事かな〜
「かお」と関係あるのかどうかまで 考えられなかった。。本を読んでて、頭で考えている時は 掴んだ気がしてたけど、こうやって文にすると ひっちゃかめっちゃかだった。まだあやふやだって証拠だ。
またあした(以降)にしよう。 ◆微睡みの中
布団の中で微睡みながら、昨日の言語学?とかおの関係を 考えていた。相変わらず「かお」とは繋がらなかったけど 昨日よりもさらに、「知の論理」で言っている事がわかった気がした。
微睡みつつ、いい例えを思い付いて わぁ、むふふ。。そっか、そっか。 しめしめ。。←なにがしめしめなのかは不明 起きたらメモしとこ。ぐーぐー
って、再び寝たら、すっかり忘れた。 きっと脳みそのどこかにあるんだけど そこへ行くドアが見つからない。
微睡みの中で思った事って、その時メモしないとダメなのかなぁ。 絶対忘れないぞ!って思った事でも、結構な確率で忘れちゃう。
ひよ子
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