なか杉こうの日記
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2006年04月06日(木) 英文法のはなし・その2

やりたいことがやれているのかそうでないのか、よくわからない。
きょうはいいこと、あったかなあ、と思う。
テレビのインタビューで「子どものとき、何になりたかったですか」と聞かれ、傘を差したけっこう若い男性が「ふつうの会社員になって結婚してと思っていた」「それは実現しましたか?」「ええ、まあ。今幸せです」と答えていた。

こうゆう人もいるのだ。

なまじ子どもに知恵を授けないほうが良い。授けるのならば「叡智」である。知識はあんまり役に立たない。

週刊誌ではあいもかわらず、トーダイに何人入ったかというランク付けを出している。だから、どうだっていうのだ。しかしもし自分に子どもがいたら、そして教育熱心な親だったら、とても気になるのだろうか。この少子化の時代に。

そうだ、また英語の話になるけれども、わたしがアメリカに一年半いて帰ってきて、家庭教師をいくつかしていた。そのなかで県で「エリート教育」っぽいことをしている男子校の生徒が近所に住んでいて、その子を教えたことがある。

そのテキストはふつうの公立中学で使うのと違って、版が大学ノートぐらいに大きい。グレーとブルーの混じり合った色で、なんでも神戸の灘中でもこれを使っているらしいとか。

ここで言うと自慢っぽく聞こえるかもしれないけど、そのテキストは当時のわたしにとって驚嘆だった・・・。というのも、つまり単語の多さはともかく、文法がすべてパターン・プラクティスというのか、いくつもいくつもいくつもいくつも、何回も肯定文を否定文にし、疑問文にし、Whで始まる疑問文を作らせ、という、細かな段階を踏んだプラクティス、練習問題がどっさり。

その中に新しい単語がどしどし出てくるのだが、それがまた幾度も幾度も出てくるので自然と覚えてしまう。そしてその新しい構文を使って、それなりの「長文」を読ませる・・・。すごいテキストだった。

なぜ自慢といったかというと、わたしが中学のとき、使用していた教科書は公立中学と同じものだったけど、わたしはいろいろ文を作るのが好きだったので、習った文をかたっぱしから否定にしたり疑問にしたりそれに習った単語をいれて文を作ったり、まあ、ちょっと神経症的だったかもしれないが、その練習を自らずいぶんしていたのである。

その遣り方が、自分でやらなくとも、そのグレーとブルーの教科書にはレディ・メイドで出ていた。もし自分が中学のときであっていたら、まさに欲しい教科書だったろう。

その教科書で中三までいくと、構文のパターンは中学の学習要領で定められているものではあるけれど、その多様さ、長文を読みこなす力、単語数がとんでもなく身つくのである。たぶん高校三年でふつう覚える単語もかなり混じっていたのではないかな。

つまり、実用的だ、と思った。今思い出しても、そう思う。難しい構文は不要なのである。必要なのは単語と長文を読む力。慣れである。

こんな教科書で学びたかったと当時思ったことは思ったが、それは英語のみであって、そのエリート校ではすべての科目がこの調子らしかったから、とてももともと頭がよく要領も良い子どもでないと、高校三年までまともにいけないだろう、と思った。

それでは今日はこの辺で。お読みいただきありがとうございます。


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