
小学校二年生の娘の勉強を夜八時から3、40分見ている。 よくある通信教材と、それから私が出した漢字の問題。 そして、ガツン!と今日も怒ってしまった。 「鳥」という漢字を、もう5回(5日)も間違えている。 他の間違えた漢字も、数回は繰り返して間違えてる。 間違えた字は、復習で10回づつ書いているから、 もう覚えているだろう、今日は確かめ、みたいな気持ちで出したのに。 「!?○○××△△??!!」(←な、なんで間違ってるの?!) そこまでは、まだよかった。 「覚えようね」とか優しく言って、これはこういう意味、とか、これはこんな風にして覚えようねとか言って、何回でもいいから書かせればいいのに。
もう、がっつん怒ってしまったよ!
正直、自分は3年くらいまで漢字が難しいとか思ったことなかったし、 わざわざ親に教わった記憶なんかこれっぽっちもないし、 テストは結構満点が多かったから、なんというか、ついこう 自分は出来たのに、なんで!?と 全然別の生物である娘を、自分と同一化してしまうのですな、これが。 そして、娘は優等生であってほしいと望んでしまうわけです。
それから、それまで勉強のために使った5日×数十分って、意味あるの? とがっくりしてしまう。 その時間、自分の好きなことをするわけでもなくて、 娘のために時間を割いているのに、って気持ちがある。 だって、それが終わったら、いろいろ後片付けして あとは一緒に寝るだけで、自分の楽しい時間なんて一日に これっぽっちもないんだもん。 どうせ覚えないなら、こんなのはじめからやっても 無駄だったじゃないか、と思う。 いわゆる、「効率」を求めてしまうわけです。
もっと気持ちを切り替えるか、やりかたを切り替えるかしないかぎり、 本当に意味がなくなる、いやむしろ娘にもわたしにも悪くなるばかりだ。 すこし、時間を置いてみよう。 いや、もう、すべて忘れて、夏休みにじっくりやってみるか。 もしくは、もう娘に干渉しないかだ。
我が家のうさぎの毛が抜けるので、ブラシで梳いてやろうとすると、 すごく嫌がる。 そして、ブラッシングを終えると「敵」みたいな顔をされて 膝から逃げられる。
お前のためにやってやってるんだろう?! と私は思う。 でも、多分、「やってやっている」という気持ちが、 おごっているんだ。
このうちで、一番嫌な奴は、私なんだ・・・。 と、今日もへこむ。
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