まゆのウォーキング、ぼちぼち日記

2011年08月31日(水) ■東日本大震災「命の記録」からの紹介…「従業員800人の雇用を維持する」と決断した社長

昨日から引き続き、↓ の本からの紹介です。


「明日へ―東日本大震災 命の記録」





今日の話は、私も知っている
気仙沼最大の水産会社「阿部長商店」を
経営している社長、阿部康浩さんの話だったので、
心に残りました。

「阿部長商店」は、水産物販売だけでなく、
ホテルなども経営していますが、
今回の震災で、すべての事業所が被災し、
当分は全く収入が見込めない状態でした。



そんな中で阿部社長は、決断したのです。
従業員が800人いましたが、
「この従業員すべての雇用を維持する」
と。





宮城県気仙沼市
「ある経営者の決意」

(P198〜202〜引用)



阿部社長に出会ったのは3年前。
サンマの取り扱い日本一の水産会社が
世界に打って出ている、その話を聞きつけ、
気仙沼を訪れた。
当時、サンマは国内消費が低迷し、
価格が下がる一方だった。

阿部社長は、魚の消費が増え続ける海外に、
鮮度の高いサンマを売り込み、今後の収益に
つなげていきたいと、と考えていた。
そこには、会社の利益、事業成功を
何よりも優先する若手経営者の姿があった。



そんな阿部社長の�猜儔臭瓩�
私が気づいたのは、
震災から18日目のことだった。




従業員の安否確認が一段落したこの頃、
頻繁に会議が行われ、今後の雇用について
話し合いがもたれていた。
この日の夜の会議では、父親であり、
会長の阿部泰兒さんを筆頭に、
事業再開のメドさえ立たない中では、
従業員解雇もやむなしという意見が
幹部から出されていた。

阿部社長に最も激しく決断を迫っていたのは、
彼の片腕でもある経営企画室の菊池一さんだった。
去年、阿部社長に請われて入社した菊池さんは、
東京のコンサルタント会社で幹部を務め、
数多くの企業リストラを行ってきた。
入社前には秋葉原の家電量販店「ラオックス」で
副社長を務め、従業員を解雇、一時は
「首切り屋」として恐れられてきた。
菊池さんは、未曾有の災害から会社を守るには、
解雇しかないと考え、日夜、阿部社長に
決断を迫っていたのだった。

しかし、私が取材したこの日、
阿部社長は決断を下さなかった。
黙って話を聞き続けていた阿部社長は、
最後に、




「解雇をしてしまえば、
 地域や会社とつながる
 細い糸が切れてしまう」
と語りかけた。





自身も津波で家を失い、妻と子どもが
避難所で暮らす中、阿部社長は従業員たちの
不安な心を敏感に感じ取っていた。



いったん解雇すれば、
彼らは気仙沼を去って行く。
そうなれば、
会社は彼らの知識や技術を失うだけでなく、
生まれ育った気仙沼の復興さえも
ままならなくなる…

目先の苦しさから逃れるために
解雇を選ぶことは
本当に復興につながるのか、
阿部社長は迷い続けていた。





阿部社長が心を決めたのは、
ほかならぬ従業員たちの行動だった。

事業が再開できるかもわからない中、
自主的に工場に集まり、
強烈な異臭を放つ
ヘドロや腐敗した魚の片付けを
始めていた。





中には、津波で家を流され、
家族を亡くした従業員も少なくない。
それでも、地域が破壊し、
明日の展望がもてない中で、
工場を再開し、働く場所を再び得られることは
従業員の唯一の希望だった。
あるパートの従業員は、



「みな仕事を再開したいという一心で
 ひとつになってやっている。
 でないとこんな汚い仕事はできない」
と語った。




復興のためにひたむきに汗を流す従業員の
姿の前に、阿部社長は雇用継続への
思いを深めていった。
どうすれば彼らを守りながら、
会社を継続できるのか。



阿部社長は雇用維持のための
方策を探り始めた。
休業中に従業員の手当の8割の助成が
受けられる雇用調整助成金などの
活用を考え始めた。

震災後の混乱が続く中で、
阿部社長はハローワークや銀行に通い、
雇用維持のための金策に翻弄した。



かつて「首切り屋」と恐れられた
経営企画室の菊池一さんも変わり始めた。
阿部社長の思いを聞く中で、
利益や効率だけを優先させるこれまでの
企業観が変わりつつあった。




「これまで僕なら即刻全員解雇。
 でも、これは理想への挑戦。
 過去の自分への挑戦でもある。
 せめて9割の従業員を守りたい」





菊池さんは全力で阿部社長をサポート
するようになっていた。



そして4月6日。
阿部社長は幹部たちの反対を押し切り、
従業員全員の雇用継続を決断した。
国の助成を受けながら従業員の給与として、
月々1億数千万の経費を負担する覚悟だ。
阿部社長は語る。




「もし自分たちが簡単に解雇を選択すれば、
 一時的には楽になる。
 しかし、それは地域にとってはどうか。
 それで気仙沼はよみがえるのか」





道のりは決して平坦ではない。
国や行政の復興計画の遅れが立ちはだかっている。
気仙沼は港周辺を「建築制限区域」に設定、
工場を新しく建て直すことを規制している。

阿部長商店の工場もすべてその区域に指定され、
阿部社長にとっては前にも後ろにも進めない状態が続く。



そうした中でも阿部社長は、
7月、制限区域内の、
ある事業所の再開を決断した。

費用は1億円。
復興計画が定まれば、
そこは道路になるかもしれない。
しかし、800人の従業員を抱える
阿部社長に立ち止まる余裕はない。




厳しい被災という現実、
遅れる復興計画。
そうした中でなされた一人の経営者の決断は、
今後、気仙沼をどう変えていくのか…
見つめ続けていきたい。
(ここまで引用)



阿部社長、応援したいですね。
現在は、気仙沼「お魚いちば」営業再開し、
阿部社長の事業所「港町レストラン鮮」も、
賑わっているようです。

近々、気仙沼に行くので、
寄ってきたいと思っています。


3日間、この本からの話を紹介しました。
このほかにも、本当に絶句してしまうような話、
人間ってなんてすごいんだろうと感嘆する話、
まだまだいっぱい書かれています。
ぜひ、読んでみてくださいね。


「明日へ―東日本大震災 命の記録」






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