ずいずいずっころばし
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なんだか「ラファエル前派」は話が長くなる。 おととい書いたクリステイーナ・ロセッテイの詩「初めての」は岩波文庫《クリステーイナ・ロセッテイ詩抄》からとったものである。
訳は入江直祐氏によるもの。
翻訳は大切な役割を果たす。 特に詩においてはその語彙、韻律が生死をわけるようなきがする。
訳が原本をうわまわることもある。 上田敏の(海潮音・ヴェルレーヌ・ 落 葉)
秋の日の / ヴィオロンの / ためいきの 身にしみて / ひたぶるに / うら悲し。 鐘のおとに / 胸ふたぎ / 色かへて 涙ぐむ / 過ぎし日の / おもひでや。 げにわれは / うらぶれて こゝかしこ さだめなく / とび散らふ / 落葉かな。
他に「山のあなた」
そしてロバート・ブラウニングの「ピパの唄」(春の朝) 時は春、 日は朝(あした)、 朝は七時、 片岡に露みちて、 揚雲雀(あげひばり)なのりいで、 蝸牛 枝に這ひ、 神、そらに知ろしめす。 すべて世は事も無し
この上田敏を上回る訳詩は見当たらない。
またAntoine de Saint‐Exup´ery (原著), 内藤 濯 (翻訳)の“Le Petit Prince"は 題名からして原題は「小さな王子」をみごとに「星の王子様」とした内藤濯 の感性に負うところ超特大であろう。
さて、入江直祐氏のクリステイーナ・ロセッテイの詩「初めての」も旧かな。文語調ですばらしいではないか。
初めての
初めての 君を見し 初めての その日をば、 そのときの なれそめの たまゆらを 偲ばなむ。 日の照れる 頃なりし、雲閉ざす 頃なりし、 夏なりし、冬なりし、さだかには 覚ほえず 名残さへ 止めずに おのずから かき消えぬ。 あゝ吾は 目を盲(し)ひて 行く末を知らざりき、 おろかにも 知らざりき、蕾せる わが心 いくたびの 皐月にも またつひに 咲かざりし。 さきの日の それの日を とりいでて 偲ばなむ、 消えゆきし 白雪の 解けさりて 跡もなく さきの日の さいはひは 吾に来て 去り行きぬ。 さりげなき ことなれど いや深き 思ひかな、 誰(た)ぞ知るーーわが指に ふと触れし 君が手の 始めての 思ひ出を ここにして 偲ばなむ。
(「名もなき麗人」と題する14行詩篇中の第二篇)
私はこれを愛してやまない。 翻訳は原石をダイヤの輝きにもする可能性を秘めているのではなかろうか。
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