兎さんの日記・劇場編

2005年08月19日(金) Essay about fanatic and present-day social.

従姉妹・妹の課題@絵、徹夜で完成しました
>挨拶

今日はちょっち論文もどきでも書こうと思います

論文よりぶっちゃけ心情かな?

おまけに偏った偏見付きw

いつになくマジメに書くのでギャグと勘違いを期待している方はスルー推奨ですねb



『現代人とヲタ人』

製作:砂漠の黒兎
協力:周りの友達?

今の社会には多種様々な人がいる。

私と同じ20代で社長職にいる人がいれば、N.E.E.Tもいれば、学生もいるし、社会人だっている。

それが今の社会であり、現実である。

もしも、それとは別に人を分類する場合、私は『現代人』と『オタク人』に分類できると考える。

私的に言えば、『現代人』とは、最近のアーティスト、モデル、ファッション、芸能といった流行・時代の最先端に精通する人の事を指し、『オタク人』とは、独自の時間の流れ・価値観をもち、流行や時代の最先端に捕らわれない人の事を指す。

いい機会だからはっきり言おう。

私は本気で認めたくないが分類されるとしたら『オタク人』に分類されると思う。

私自身は両方の中間地点に立っているつもりだけど誰も認めてくれないだろう。

何が言いたいか?

何も知らない、何もわかっていない、何もわかろうとしない『現代人』にいちいち『オタク人』を否定する権利はない。

もっとはっきり言えば、私個人的には『現代人』が大嫌いである。

間違っても全ての『現代人』が嫌いでない。

必要以上に『オタク人』に対して偏見を持つ人が大嫌いなのだ。

少し考えてもらいたい。

世の中には多種様々な人がいるのはもう分かりきっていることである。

野球が好きな人がいればサッカーが好きな人もいる。

国語が好きな人がいれば数学が好きは人もいる。

アウトドア派がいればインドア派もいる。

もちろん、時代のアイドルが好きな人がいれば声優が好きな人もいる。

環境によって、人は必ず多少の変化を起こす。

だから、流行を求める『現代人』がいる。

だから、自分の好みを求める『オタク人』がいる。

つまり、『現代人』と『オタク人』は表裏一体の存在だと私は考える。

だけど実際はどうだろう?

『現代人が普通』『オタク人が変』と半分差別的な考えを持つ人が多くいるのは明確である。

私自身の体験談をしよう。

ある日、コンビニで見ず知らずの今時の男2人に扉越しの位置になった時の話だ。

性格上、自分で扉を開けて、先に相手を通す行動を取ることが多い。

そのときもその行動を取ったときに

『ありがとう、アキバくん』『失礼なこと言うなよ』

今思い出しただけでも殴り飛ばしたい気持ちになりますね。

初対面で、おまけに年下に何が楽しくてこんなこと言われなければならない??

なお、そのときは友達が1人外で待ってたので相手をしようと500ミリパックを片手に持ってただけです。

何で判断したかは知りませんが、おもっきり下で見られたのが屈辱です。

そんなにお前たちより格下に見えるのか、この私は?

『見た目』と『経験』においてならそれでもいいよ、気にしてるけどまだ我慢できるから...

だけど、人としての『質』だけはあんたたちの3万倍格上だと言い切ってやるよ!

多くの『現代人』が『オタク人』を拒絶するように、私も『オタク人』を素直に受け入れることが出来ない。

POPの歌詞を読めば無意味に愛って単語...

ドラマはどろどろした関係になっても最後はハッピーエンド...

有名人がやれば、流行になれば誰もが真似する猿真似行為...

自分の色や特徴を出さない行動に何の意味があるのか私にはわからない。

この論文を書いている最中にいろいろな疑問点が浮上してきた。

『現代人』と『オタク人』この二つの境界線って一体なんだろう?

最近、お互いがお互いの価値感を受け入れようという動きがあるがこれは本当によいことなのか?

今はまだ答えは見出せないが、いつか自分なりにこの2つの答えを見つけたいと強く思う。


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