竜也語り

2004年12月25日(土) 私の竜也物語・プロローグ〜ある雑誌記事〜

私の竜也ファン歴も来年の3月で5年目に突入する。「竜也語り」の最初は、私の竜也ファン歴を書いてみようかと思う。ただ、竜也くんのことは非常に根が深いので、何回かに分けて書きたいと思う。

私は彼を実際にこの眼で見る前に、どうも「藤原竜也」と言う名前を何かの雑誌で見ていたようだった。この事は後になって「身毒丸・ファイナル」のプログラムを読んで初めて気が付いた。そのプログラムに、かつて私が読んだその記事の抜粋が載っていたからだ。「あっ、この記事!」と、感慨深く驚いた。
蜷川幸雄さん演出の「身毒丸」の初演は、1995年(だったと思う)武田真治さんが演じている。なぜ武田さんが降板したのか、本当の理由は分らないが、1997年のロンドン公演には出演しなかった。その後釜をオーディションで選ぶことになり、そこで選ばれたのが竜也くんである。その記事にはそこら辺りのことが書かれていた。「演劇経験の全く無い14歳の少年が選ばれた。彼はそこにいた大人達全員を自分の味方につけてしまったのだ・・中略・・何よりもこの少年が一番演技が上手かったからだ。」おおよそこんなような事が書いてあったと思う。そして最後に「藤原竜也、皆さんこの名前、ちょっと覚えておいて下さい。」と結ばれていたと思う。
もちろんその時は、その少年の名前を覚えておく気など更々なかったので、竜也くんの名前は忘却の彼方へ飛んで行った。ただ、その記事を読んだ時「本当かなぁ?」と、うろんな思いを抱いたのを覚えている。そのオーディションを主催した芸能プロダクションに対し、私は「アイドル製造会社」という認識しか持っていなかったからだ。だからきっとこの少年も、演技が上手いとかそう言う問題ではなくて、多分にその持っている雰囲気(アイドルになれる素質)を買われて選ばれたに違いない、と思い込んでいた。しかし後に私は、この「偏見を持つ」と言うことの危険性を、大いに思い知らされることになる…。


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