竜也語り

2004年12月30日(木) 舞台「ロミオとジュリエット」東京公演12月26日

◎1階A列20番台

もう東京公演も楽日を迎えてしまったというのに今頃書いている…。最近忙しかったからねぇ。この日は私の東京公演観劇楽日となった。竜也くんも他の出演者達も少しずつ演技に変化をつけていた。まず前半のロミオの弾けぶり。この日は少し大袈裟になってきて、私個人としては東京公演中日ぐらいの弾けようが良かった…かな。ジュリエットとの密着度は強くなってきた。私の目をひいたシーンは、教会で二人だけの結婚式を挙げるシーンだ。神父を無視(?)してぴったりくっ付いてなかなか離れない二人は面白さも増してgoodだった。後半は目立った変化は特になかったように思える。まぁ今回の舞台は竜也ファンにとっては「新しい竜也くん」という点においては前半がある意味見ものであるので、これでいいかな、とも思っている。
「新しい竜也くん」と言えば、今回の舞台で現時点で印象に残っているもの。バルコニーのシーンもそうなのだが、私はそれより初めてロミオがジュリエットに出会う舞踏会のダンスシーンだ。ジュリエットと手を取り踊る順番がやっとやって来たロミオ。二人でダンスをしながらキスシーンの場面に移動する時のジュリエットを見つめるロミオの嬉しそうな笑顔。このロミオの表情が一番印象に残っている。ただただジュリエットに一目惚れしてしまったその喜びに浸っている無邪気な笑顔。それは全く自分だけの喜びであり満足であり、この時点ではジュリエットの気持ちなんか考えていないのだ。私もそうだが、恋の始まりはただ自分が異性を好きになるという快楽が優先してしまい、相手の気持ちなど考えているようで実は考えていない。あのシーンのロミオの笑顔がそれだと思う。あの笑顔は幼児が自分の単純な欲求を満たされた時のそれであり、竜也くんのあんな表情は芝居中でも初めて見せるものだと思う。恐らくこれが最後かも…?
ところで私は以前のHPの日記で初日の杏ちゃんの演技をべた褒めした。オフィーリアの頃より良かったと本当に思ったからだ。あんなことを書いて今更こんなことを言うのはバツが悪いと思ったので、初日以来杏ちゃんのことについては触れていなかったのだが、実は3回目の観劇の時点で既に杏ちゃんのジュリエットに飽きてしまっていた(汗)。少しうんざり気味になってしまい、飽きてしまう演技というものがあるのだなぁ…と感じていたのだが、26日は(この日は5回目の観劇)それが少し感じられなくなっていた。だんだん余裕が出て来たのだろうか。

この作品はシェークスピアの有名な悲劇なのは今更言うまでもないが、私は愛し合う二人が結ばれなかった結末よりも、ジュリエットの健気な勇気が結果的に踏みにじられた形になってしまったことが哀しくてしょうがない。何の打算も悪意もない純粋な恋を貫くために勇気を振り絞って行動に移した。でも駄目だった。やはり勇気は報われるものであって欲しかったよ私は。
そしてこの舞台で露わになったのは大人達の愚かさだ。何で両家が憎み合っているのか…その理由は描かれていないので判らないが、いつまでも自分達のくだらない憎しみを引きずっている間に一番大切なものを失ってしまった。若い二人はそんな意味のない憎しみなど“他者を愛する”という人間の一番基本的で大切な本質でいとも簡単に乗り越えてしまった。最後に神父が天の配剤などといかにも人間の力ではどうにもならない力が働いたようなことを言っているが、そんなことはない。物事の結果にはそれに見合った原因があるもので、この二人のある意味無駄死には意味のない大人達の争いがその起因だと思う。いつの時代も馬鹿な大人達の犠牲になるのは子供達だ。「どっちの家もくたばりやがれ」マキューシオのこの台詞が印象的だった。

さて私の次の観劇は2月の新潟公演の予定だ。それまでこの舞台はどんな進化を遂げているだろう。楽しみだ。無事に観劇に行けることを願って。


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