|
|
■■■
■■
■ 繰り返される 問答
そう 互いに理解していたからこそ 私たちは
これ以上の無い 敬意をもった問答を
繰り返していたように思います。
15日間。
人生における 時間的な概念からすると ほんの瞬き程度であるだろう この 15日間。
けれども
人生の 精神性という概念からする この15日間は
圧倒的な量感と 質感を湛えた
忘れえぬ 15日間 である気がします。
その期間 彼と私のコミュニケーションは
5%を 肉声の電話で
5%を 互いの姿形を写した 携帯写真で
20%を 軽快なリズムでやり取りした 携帯メールで
そして
残りの70%が
まるで チャットに臨む間隔であるかのように 長文のそれを 私たちは
日に何通もやり取りしました。
薄暗いバーカウンターで 隣に座る その人の体温をいとおしみながら
濡れた吐息とともに い出される 会話のそれと同等か それ以上に
それは官能的であった 反面
互いに正を座し 背筋を伸ばして 向かい合うその人の 瞳の奥を見据える
おこがましくも
まるで 禅問答を行う 僧侶のそれを 思い起こさせるように
互いが互いに誠実でありたいと願う そういう 正しくも硬質な感覚 も
確かに存在していたように思います。
それは
文字として 弾き出される言葉たちが
互い始終一貫して
敬語
という形で 具現化されていたことにも
起因されることであります。
遊びなのですか?
と 私は 卑しくも彼に問うたことがあります。
互いが 互いの
置かれた状況と その心情を 十分に理解しているのならば
それは愚問である以外の 何物でもない。
それに対する彼の答えは
是 でも 非 でもなく
それゆえに その答えは
それ以上のない 正しいものと成り得え
この恋愛を
おとしめたくない
という互いの強い意志の表れ とも取れるのです。
2008年09月06日(土)
|
|
|