一瞬一瞬が大切だ。極めて貴重な時間だ。この貴重さはこの年にならないとわからないものか。今朝早く目が覚めた。高いところで生活することがストレスになっている。早く低いところに引っ越したい。一戸建てに引っ越したい。私みたいなものぐさな人間が一戸建て大丈夫だろうか。 薬はとても良く効く。リラックスした方が良い。リラックスできないことが問題だ。一瞬一瞬が貴重だといつも感じていれば、人を憎んだりしている暇はないことがわかるだろう。楽しく生きよう。それが目的だといっても良いくらいだ。 結局統合失調症再発が結果なのだが、病巣が明らかになったので良かったのではないか。カウンセリングの流れで統合失調症の病巣が暴かれて、これがうつよりも本当の病巣なので、これを叩くべきだ。そうすればかなり改善するだろう。今までの傷を糊塗するようなやり方ではうまくいかないし限界があるし、かえって悪化させるおそれもある。正しい治療が最短で結果を出すだろう。薬を飲んでいると楽しくなってくる。とても具合がよい。y氏はお手柄だ。私の本質的問題を明らかにした。死ぬまで精神的に不調にならず暮らしたい。まず楽しく暮らそう。まずそれを心がけよう。 私は悪い人間ではない。宅間でも悪い人間とは言えない。やった行為は許されないが、人間は悪くない。悪い人間として生まれてくる人間はいない。間違ったソフトがインストールされることによって悪いことをしてしまうようになる。そのソフトを破壊し尽くすか、完全に制御することだ。でも完全に破壊することはおそらく無理だろう。y氏の言うように脳の構造と機能がそうなっている。脳を破壊しない限り無理だ。そんなことまでする必要はない。 もう一度言うが私は悪い人間ではない。人に危害を加える人間ではない。優しくおとなしい人間だ。悪いことをされるいわれはない。それを言いたい。あのババアに言いたい。でも喧嘩上等だ。正当防衛は許されている。自分に危害を加える人間には反撃して良い。何でおとなしい人間が攻撃的な人間に一方的に攻撃を受けなければならないのか。理不尽だ。それが資本主義だと、競争社会だと言うのか。実力主義だというのか。狂っている。爬虫類的過ぎる。人を攻撃したり、食い物にすることだけが是とされる。そんなあり方に腹が立つ。喧嘩上等だ。正当防衛だ。 文校もさすがに飽きてきた。礼儀と常識の勉強だ。勉強の機会を放棄するのか。でも辛いときは仕方ない。入院していたときも人間関係がうまくいかなかった。大嫌いだった。看護婦とか入院患者が。女嫌いはそこらへんから来ている。ババアは何を求めていたかやっとわかった。自分は金持ちで良いとこの奥さんで偉いと。こんな汚いところの社員が偉そうにすんじゃないと。自分の方が経験が長いから偉いんだと。だからそういう扱いと態度をせよと。私は単なるパートのおばさんが何を言っているのかと不思議に思った。前にいたy中も自分が部長の奥さんで偉いんだと言う態度を取っていた。仲良くする必要はない。どうしても仲良くしたくないんだったら。そんなに嫌いだったら。代わりに喧嘩しよう。喧嘩上等。女が嫌いだったら戦うしかないでしょうね。戦う姿勢を見せれば相手は弱い。理はこちらにあるのだから。女が嫌いな男だっているだろう。ものすごくきれいで優しいというありえない女以外興味がない。 女や人間と付き合うのも楽ではない。長い間に私は人を避けるようになってしまった。女は楽しいはずだと思うが、付き合うのは楽ではない。その覚悟が必要だろう。少しは強くならないといけない。常識と礼儀が必要だ。一概に嫌いと決め付けるのではなく、女と付き合う楽しさ、人と付き合う楽しさを覚えた方が良い。田舎で自給自足生活するためにも人間関係は必要だ。私の人間嫌い、社会不適応、道徳レベルの低下は中学生かもっと前から始まっている。私は堕落した。一時期はひどかった。社会人というより人間としてひどかった。今はかなり改善した。道徳レベルも向上した。 女にも他人にも敬意が必要だろう。嫌いであっても人として尊重し合うのが大人というものだ。相手がオニババであっても大人でなくても大人として振舞う。それは我慢することとは違う。相手がおかしいと思ったらはっきり言う。子供を教育するのと同じだ。愛していても間違いを正すことはできる。むしろ間違いを正すことは愛している人しかやっちゃいけないんじゃないか。私は遅刻をとがめられた時に冷たさを感じた。こいつは私に一片の愛情も感じていないんだと思った。私が北原の言うことを素直に聞き、hの言うことに引っかかるのは私に対する憎しみを感じるからだ。愛情ではなく憎しみ。学校や職場に憎しみではなく愛情を求めるのは甘えだろうか。職場はともかく学校は愛情をベースにして欲しい。大人社会の縮図みたいに殺伐としているからいじめや不登校が生じる。間違ったことをやっていながら、何でこんなことが起きるんだろうと不思議がる。大人はバカだ。バカですめば良いが実際子供を傷つけ、苦しめ、狂った子供を作り出してしまう。子供に罪はない。狂気じみた統合失調症的な不自然な行為を子供に押し付けると子供の心は傷つく。教師の資格などない人物を子供に押し付ける。子供の人生を大きく狂わせる。大変危険だ。 人間関係のベースを愛情に置くのか、権力関係に置くのか男と女は違う。私は女性的なので愛情に置く。でも私は見た目は男なので権力的に扱おうとする。そうすると傷つく。根が深い問題だ。女とうまくいかないのも無理はない。いっそ性転換するか。 うつの症状と思っていた意欲の低下などは、本当は統合失調症の陰性症状だったのではないか。昔わずらったことがある。陽性症状は一切出たことはなかったが、陰性症状は出ていたのではないか。統合失調症質人格障害かもしれない。スペクトラム状になっていて統合失調症との境目は曖昧なのだ。あのキチガイどもは障害者をいじめていたのだ。それが許せない。 精神病の根底にはやはり逸脱がある。犯罪というほどではないが、道徳的に堕落している。私の場合は変なガキと付き合ったからだが、反社会的になってしまい、それが狂気の核になっている。うつになる人は良い人が多い。良い人であるためには自分には厳しいことを強いることになるから、やっぱり広い意味では道徳的に問題である。自分も人も同じ人間なんだから、同じように優しくしなければいけない。私も自分という謎がだいぶ解けてきた。 楽しいことをやっていれば楽しくなるんじゃないのか。辛いことをやっていれば辛くなるだろう。私は辛いことばかりやってきた。人に誤解されたり、差別されたりするのが一番辛い。私も人と仲良くしたいのに、どうしてもうまくいかない。e女史ともうまくいかない。でも単純に尊重したら良いんじゃないのか。人に気を使ったら権力闘争に負けたように感じるおかしなメンタリティーがある。あのババアでも自分が尊重されたいと思っているなどとは夢にも思わなかった。でも女にも立場、権力というものがある。女として母として一定の地位を得て尊重されたいらしい。その権力欲に面食らう。家で父親と仲良くしていたら母親に嫉妬されたことがあった。父親を巡って母親とライバル関係になるなんて普通ではない。キチガイじみている。家に戻るべきではなかった。絶対に戻るべきではなかった。辛くてもあの場所に留まるべきだったのだ。頑強に抵抗し、自分を守るべきだったのだ。天国と思った場所は地獄だった。 私の父親は優しかったので、エディプス期を経験しなかった。ひとそれぞれ何かあるだろう。虐待されて育って苦しんでいる人から比べたら穏やかなものだ。天に唾する行為だ。贅沢を言ってはいけない。 どんなに疲れていても道徳的なことは理解できるし、実行できる。そうでなかったら良い大学なんか入れない。私がすべきことは疲れていても道徳的に正しいことをそれだけをやることだ。それが一番の自衛策なのだ。集団の中でルールや常識を守らないと見られることは自殺行為だ。社会人としてまともでない人物と一緒に仕事はしたくない。道徳的なことをこつこつやっていくことが大事なんじゃないか。 ああ、やる気が起こらない。楽しいことをやれば、気分が改善する。車にでも乗ってファンドライブすればきっとすっとするに違いない。長い間かかってこんな状態になったので、そう簡単には回復しない。楽しいことをしよう。楽しいことだけをしよう。仕事だって楽しくできるはずだ。ばうはそうしていると書いていた。掲示板も疲れる。真面目な人ばかりなので疲れる。なるべく書きこまないようにしよう。書きこむ頻度が高まるにつれ、攻撃のターゲットになる危険性も高まる。私が書きこむと喧嘩を売られていると感じる人がいるらしい。どこが悪いとか自分ではわからない。私が社会に適応できない理由と同じで自分ではわからない。誤解されやすいのだ。悪気はないのに悪意があると誤解されやすい。少なくとも礼儀と常識を守ろうと思った。すると社会が開かれる気がする。社会というのは開かれているとも言えるし、閉ざされているとも言える。常識を守れば開かれるし、破れば閉ざされる。逆もまた真なり。破れば開かれ、守れば閉ざされる。ホリエモンは破ったから開かれたとも言えるし、閉ざされたとも言える。でも本来は守れば開かれる。 女が嫌いなのは今に始まったことではない。思春期くらいからおかしくなった。性欲はあるがそれほど好きではなかった。社会に出てからは途轍もなく嫌いになった。今一番嫌いかもしれない。性欲も低下してきた。一緒にいても楽しくない。むしろ恐い。仕事も一緒にしたくない。別に嫌いでも社会生活には一向に困らない。礼儀さえ守れば危害は加えないんじゃないか。危害を加えてきたら反撃したら良いだけのことだ。同性なのだから好きじゃないことは思い悩むことではない。当然のことだ。問題はどう対処するかだ。礼儀と常識さえ守っていれば問題ない。社会進出も進み、女に会わずに生活するのは困難だ。うまくやっていく方法はいくらでもある。女でも人間なのだから、尊重する気持ちが同じ人間として大事だ。しかし私が女だと気づいて攻撃を仕掛けてくるのであれば堂々と反撃すれば良いだけの話だ。女なんか全く恐くない。戦い続ける覚悟はできている。性欲がなければ女に何のバーゲニングポイントがあるというのだ。冷静に対処すれば良い。同性として、人間として。 教習所に行って来たが若い子は本当にかわいい。性は年の差を飛び越える。俺が80になっても若い子が好きなのだ。帰りの車の中で女の子二人が話していたが、友達関係と彼氏とどちらを優先するかを巡って静かにもめていた。女の子同士でもいろいろあるんだと思った。青春群像の一部を垣間見た。 今日は本当に疲れた。朝から調子が悪かった。薬を飲まないとはこういう状態かと思った。道徳レベルの低下から全ては始まった。道徳レベルを向上させることで心の問題は改善できると感じた。何もかも嫌だった。朝から。うつの症状ではなく、統合失調症の症状を疑う。ずっと抑えていたものがEGをきっかけに表面化したのだ。この際だから根本的に治療した方が良いかもしれない。今まで一度も社会に適応できたことなどなかった。大学を出た頃から今に至るまで社会に受け入れられたことは一度もなかった。この状態から、受け入れられる状態まで持っていかねばならない。女は私が統合失調症の疑いがあることなど知らず近づいてくる。無邪気なものだ。今女の相手をできる状態ではない。女の相手ができるようになったら相手をしても良いが今は無理だ。 問題が統合失調症にあるということを暴いたのはy氏のお手柄ではないだろうか。これを大事にして根治に努めよう。まだまだ人生は長い。より楽しく明るく生きて行きたい。ストレスをためるととんでもないことになる。楽しく明るく生きて行こう。統合失調症まがいの人でも一応普通に人生を送っている人はたくさんいる。ニュートンもカントも統合失調症だった。カントは知らないが。希望が湧いてきた。自分が見えてきた。周りが見えてきた。人の心が見えてきた。 中学のとき寂しさからキチガイじみた子と友達になってしまった。大変傷つけられた。女の子をからかったら、そいつの仲間まで俺を目の敵にしだして高校を卒業するまで続いた。本当にしつこい。キチガイだ。 あのババアは私があいつを無視するから怒っている様だ。無視ってお前にぺこぺこしてこびへつらえってか。どんだけ偉いパートなんだ。執行役員にまで手を伸ばしていた。キチガイの一言だ。自分を守らなければならない。喧嘩上等だ。何で仲が悪くなったかなんか知るか。あんだけ攻撃的な天然統合失調症みたいな奴とどうやって仲良くしたら良いんだ。絶対ありえないだろう。ものすごい権力欲。あんなちっぽけな職場のパートの分際で執行役員とお友達って何考えているんだ。完全に切れた。喧嘩上等だ。何が女だ。何で仲良くしなきゃいけないんだ。 常識と礼儀を守らなければならない。最初に破ったのはあいつだ。喧嘩上等だ。グループの中で喧嘩するのが悪いのではない。一方的に攻撃されても反撃できないことが問題なのだ。
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