昨日は楽しかった。b校の新年会というか、打ち上げみたいなの。とても楽しかった。一睡もしなかった割には楽しめた。ツッキーともよくお話できた。渡辺さんともお話できた。もうちょっとアプローチしたかった。やっぱり30代前半は若いと感じる。金沢さんの巨乳には驚いた。乳もみたかった。性欲は突然暴力的に襲ってくる。これで何人の男たちが女の手にかかったか。肉体は弱いというべきか。肉体は強く心は弱いというべきか。小田の確かなことを歌った。受けたのか受けないのかわからなかったが、気持ち良かった。睡眠不足で疲れていたにもかかわらず良く頑張った。良い師、良い友に恵まれてよかった。楽しかった。もう少し心を開けるといい。人を好きになること。もう少しひねくれを直すこと。サドを読むと心がひねくれ、人を疑い、ついには妄想に悩まされることになる。こんな奴はあまりいないとわかった。人を受け入れることにどうしても留保がついてしまう。もう私は行くところまで行ってしまった。ここで正反対に舵を切ろう。それが私の義務だ。それにしても疲れた。有頂天とサドとうつと不眠と飲み会。それは疲れるわ。女と仲良くしようと思った。昨日、内藤さんに見学を誘われた。本当に行ってみようかな。女と仲良くしてみようかなと思った。同性として。私のために全ての人が喜んで奉仕してくれる。それは当たり前だ。全ての人に当てはまる真実だ。本当に楽しかった。集団に属することは楽しい。私を中心に世界はまわっていると考えても全く間違いない。全ての人が私のためにスタンバイしてくれる。私は九州出身なので大阪には適応できない。私もずいぶん良くなってきた。昨日は疲れていたにも拘らず頑張った。でも考えるべきことを考えていないのかな。例えば内藤や渡辺との関係とか。姉との関係と同じで自然に悪化する。水が低きに流れるように。でもどうでもいいじゃないかとも思える。女なんかどうでも良い。いじめを誘発する行為を自らやっている。世界は自分中心に回っていると考えればうまく行く。このややこしい問題を完全に解決することは不可能だろう。でもそれでも全然okだし、それで世の中は回っていく。 自分を酷使しないこと。自分の品位を汚すことをしないこと。強くなるために努力すること。二時間風呂に入って気分が良くなった。倫理的に生きることが肝心だ。他人といさかいになる原因はほとんど私の非倫理的な行為が原因だ。なぜどんなときに倫理的でなくなるかというと疲れているときだ。疲れているときは怒りっぽい。あと倫理的でない行為に惹かれたりするのは明らかに異常だ。悪に許容的であることは問題だ。大変な損失でもある。私の人生は悪のために大きな損失を蒙った。反社会的な人間が社会生活を送れるわけがない。社会におかしな人が見当たらないのは排除されるからだ。精神病者、犯罪者は施設に入れられるか、引きこもりを強いられる。私は見違えるほど良くなる。確信している。いくら女に好かれようと嫌われようと構わないじゃないか。もちろん嫌われるより好かれるに越したことはないが。女に甘えたければ甘えたらいいんじゃないのか。女が人間に見えてきた。そうすると女を尊重しないといけないといういやしたいという気持ちになる。ネバならないではなくしたいという気持ちのほうがどれだけ素晴らしいか。生きねばならないといって生きている人間と、生きたいと思って生きている人間とでは全然違う。ネバならないといっている人間は病気になる。生きたいと思っている人間は素晴らしい仕事をし、大きな喜びを得て良き友、パートナー、家族に恵まれる。 何をしていいかわからない、わかっていてもできないというのが今までの私だった。でも何をすべきかという問いを何がしたいのかという問いに置き換えればすごくうまく行く。 まあいろいろ気付きがある。体本位で生きているので自然に気付くし、混乱したりしない。溢れたり、へたったりはしない。せっかくの宴会も義務になったとたんに楽しくなくなるじゃないか。人間は楽しいときが一番、能力が出る。h君は病識がないのがいけない。私は酔っ払おうとどうしようと病識はある。上品に生きよう。あの和尚も相当下品だ。年寄りは下品だから嫌われる。あと一息で私は変われる。焦る必要はないのでのんびりやろう。まあずいぶん良くなった。休むことだ。悪いことをして疲れ、疲れてまた悪いことをする。悪循環もいいとこだ。まず休むこと。とにかく休むこと。休むことでだんだんまともになる。体本位で行けば変化は徐々に訪れる。突然ではないだろう。訪れるときは突然かもしれないが。普段は自分の女性的な性向に合わせて、上品な生活をし、仕事のときは自分の性別と一致するために強く努力する。渡辺さんでも和尚さんでもちょろい気がしてきた。人間て面白い。手だれの小説家は面白さを見事に掬い取る。人間が好きになってきた。人間が好きでないと小説は無理みたいなことを言われた。本当にそうだと思った。人間が好きになれば合うことが苦痛ではなく楽しみになる。無意識のうちに悪いことをやってしまうことが、病気だ。宮崎に興味なんかないし、ロリコンなんか全く興味がない。アニメなんて脳化の最たるものだ。体に戻ればそうはならない。良心的になろう。人の考えていることがわからなくなったのは、悪いことばかり考えているからだ。悪に疲れ果て何が正しいかわからない。わかっていたとしてもどうしてもできない。それが今までの私のあり方だ。これを根本的に改めなくてはいけない。人間が好きになった。自分が好きになった。これが人付き合いの基本だろう。そうすれば仕事も好きになるだろう。好きな人間と接しられるのだから。こだわりの問題もある。こだわりはルールの遵守とか真面目とか良い仕事をするとか、勤勉とか、義理堅いとか良い人とか高評価につながることが多いのだが、反面、疲れておかしくなることもある。うつになるタイプはこれだ。あまりうぶでも騙されて犠牲になるだけだ。やっぱりh君とはあまり近づかない方がいいと気付いた。小学校の頃あの変な子に近づかない方がよかったのに近づいたことと同じだ。 私はもう大丈夫だと思う。h君のようにはならない。疲れを取ることだ。真面目だから病的なレベルまで落ちてしまう。でももう大丈夫だ。
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