今日は昨日頑張りすぎて風邪気味だ。休めということだ。体も脳同様酷使してはならない。体を使うとキーボードが早くなるのは驚いた。思わぬ副次効果だ。好循環だ。全て私の身に起こることは好都合なことだ。良いことだけをやって生きていこう。 今日は風邪気味で心臓もバクバクするのでずっと家にいた。ふと思い立って住宅見学に行くことにした。一戸建てがいいんじゃないかと急に思った。こんな病気を抱えている以上、自然とか環境を重視した方がよいと思う。田舎暮らしというのは案外できるんじゃないか。堺の泉北は人工的だが田舎だ。戸建てであれば少々音量を大きくしても苦情は出ない。プライバシーも逆に守れそうだ。環境が良い。資産価値がある。マンションでは10年もたてば半分以下だ。土地は手堅い。 今見に行ってきたがだめだった。思ったことを正直に言ったら、向こうから断られた。仕方がない。嫌なものを無理に買う必要がない。母親に頭金出してもらって一緒に住もうかと思う。私にできる最後の親孝行かと思う。あの家にいることは大変かわいそうだ。居場所がないと感じるだろう。私もいいことができるのだ。いいことしかしないと決めたのだ。 今ほど懸命に生きている時はない。生きていて良かったと思う。全てが正しく感じられる。母親と一緒に住もうかと思う。家族や親を養うことは当たり前じゃないか。母親はあんな家にいて幸せなはずがない。姉も少しおかしい。死ぬまで面倒見ろといわれたらどうかわからないが、元気なうちであればいいんじゃないか。私もたった一人で生きるのは不安だ。一緒に御飯を食べてくれる相手が欲しい。たとえ80近いばあさんであっても。 今何を失敗してもいいのだと気付いた。受け答えが変でも、人を怒らせても働けなくてもかっこ悪くても。だから休んでいるんだから恥ずかしいことはひとつもない。いつも働き始めても今と同じ気持ちを維持すればいいのだから簡単じゃないか。今が生まれて一番幸せだ。 今日の不動産屋にしても目の前の人間を愛せない。これが今の実力だ。人を愛することは簡単だ。今すぐでもできるじゃないか。できることをどうしてやらないのか。卑怯じゃないか。母親の苦しみを見てみぬ振りをすることはできない。
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