このままじゃいけないことに気付いた。当たり前のことに漸く気づきつつある。昨日、家の大掃除をやってもらった。目が覚めた。よみがえった。本当に私は半分黄泉の国にいたのをこの世に引き戻してもらった。z氏、ツッキーをはじめ文校の皆さんのお蔭だ。ここまで変わるものか。皆びっくりしているだろう。やりすぎは良くない。人間は生きていく上で悪いことをしなければならない。ひとりだけ口をぬぐって済まされることではない。生き物の命をいただいて生きている身の上だ。親や皆の恩は計り知れない。悪いことは最小限にして、謝罪と感謝の念が必要だ。ホリエモンみたいにやりすぎはいけない。私はいつもやりすぎてしまう。根は善良なのに悪いことをやりすぎればそれは悪人となって嫌われる。当たり前のことだ。やっとそのことに気付いた。人に優しくしよう。冷たすぎる。人に残酷すぎる。そんなことでは尾崎放哉のように一人で死んでいかなくてはならない。これからは良いことだけをして生きて行こう。今まで一生分くらい悪いことをしたんだからもういいじゃないか。これからは良いことだけをして善行を積んで死んでいこう。五木寛之のようになろう。宗教的に生きていこう。人に優しく親切に人として当たり前のことができなかったら死ぬしかない。幸い私は気付いて引き返す力を持っていた。z氏はじめ文校の皆さんにはいくら感謝してもし足りない。人を馬鹿にしたり、平気で傷つけたり、それがどんなに悪いことかわかっていない。いなかった。今はわかる。日本人はというより人間は気付く力が備わっている。それを当たり前に出せばいいのだ。体で生きていれば自然に気付く。正しい道に引き戻される。大いなる力によって。やりすぎは良くない。求めすぎ、怒りすぎ。全部良くない。魂に良くない。人にも迷惑をかける。私はもう顔までおかしくなった。態度といい、行動といい、かなりおかしい。でもようやくどこがどうおかしいかわかるようになって来た。善とか悪とかわざとらしく考えなくても体はちゃんと正しいことを知っている。 人に悪いことをしちゃいけないし、する必要もないし、すれば必ず報いが来るということを私は漸く知った。悪いことを気付かずにしてきたが、挽回できないわけではない。人生最後の一日で悔い改めることができるという意味のことを曽野綾子が言っていた気がする。私は人生半ばにして漸く気付いた。いや気付かせてもらった。非常にこの上なく優しい仕方で。この世は良い所なのだ。人に優しくしていればそれでいい。悪いことをしなくても生きていけるのだ。商いとか人を支配するとか最小限の悪いこと(?)をやっておけば、後はうまく行くのだ。女とうまく行かないのは女を悪く考え、馬鹿にしたり差別したり、いじめたり、冷たくしたり、悪いことをしようとするからだ。oさんでも嫌ったり、いじめたりしてはいけないのだ。最近になって漸く気づいた。簡単なこと当たり前のこと、自分の本心に近いことじゃないか。大いなる勘違いだ。人をいじめないと生きていけないなどと考えるのは。人に悪いことをしていいと考えるなどということは途方もない誤りであると。 今日から始めよう。良いことを。人に決して悪いことをせず、親切に礼儀正しく、良いことだけをすることを始めよう。そうすれば、誰もが私の変化に気づき、感動し、許し、愛し、友にいてくれるだろう。決して独りぼっちにはしないだろう。良いことだけをして生きて行こう。 簡単なことだ。笑顔だ。人に優しく親切にしようとするならば自然と笑顔になるだろう。コスパのおねえちゃんは私を笑顔で迎えてくれた。私に笑顔がないのを見て少し怯えていた。しかし最後に私に笑顔がよみがえったのを見て満面の笑みを浮かべた。あのおばさんにしても私が余裕がなく笑顔がなかったことが、あの女を不安にさせ、攻撃的にさせたのだ。最初に入ったときにトラぶった同窓の女にしても、私が受け入れる余裕がなく笑顔がなかったからもめることになったのだ。女と見て侮ったというより、不当に取り扱おうとしたのだ。それは通るはずがない。私は社会的経験が圧倒的に不足していたのでやっていいこと悪いことの区別がつかなかったのだ。女は偉いのだ。馬鹿にする理由はないのだ。私の一番悪い点は悪いことを平気でやることだ。人を馬鹿にすること、差別すること。悪口を言うこと。平気で悪いことをすること。それに気付いたことはとてもよかった。これが私の転換点になるのは間違いない。 私の顔には笑いジワがない。これは相当不気味な印象を与える。笑わない人間なんてよほど不幸か悪いことばかり考えているかどちらかだからいずれにしても人は忌み嫌い、警戒する。これからは笑って楽しい人生にしよう。昨日は山田さん、oさんと少し話すことができた。前はoさんとはほとんど話せず、本当に嫌だった。嫌いだからといって口を利かないとか無視するとか、いじめるとかいうのは最低の行為だ。私は悪いことを平気でやってしまうから人に相手にされない。これからはそういうことは決してしないようにしよう。怠慢というのも立派な悪である。善悪の区別もつかなくなってしまった。やりすぎてしまうのもそのせいだ。体で生きていれば自ずと善悪の区別が付くし、やりすぎる前に自然とブレーキが掛かる。
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