希望の日記

2006年04月29日(土) 今日

楽しい。方向性が見えてきた。楽しい。昨日はアサヒのビールツアーに行った。楽しかった。関西人は嫌いだし、日本人は嫌だ。昨日はプールで平泳ぎをした。今私に不足しているものは体力だ。年齢に比しても体力が不足している。これでは競争に勝ち抜けない。人生は何の競争なんだ。何で競争させられなければいけないのだ。芸術や宗教には勝ち負けはない。スポーツにはあるがそれは架空のものだ。フィクションだ。勝ち負けのないものに興味がある。うそ臭い競争主義に嫌気が差したからだ。でも体力が必要なことは確かだ。人を癒すものは一に宗教、二に芸術、三に商売だ。商売は確かに人を癒す。政治経済といっても良い。どうしても必要なものだ。日経に書いてあるようなことだ。
何かが変わった。自分の中で。見えない何かが動き出した。癒し、あるいは潤い。潤いの方がよりよくわかる。癒しとは難しいし、手垢にまみれている。潤いとは経済的な意味も含んでいる。
自分の中のものを外に押し出して実現することが肝要だ。そのためには努力が必要だ。訓練が、鍛錬が必要だ。芸事が上達する方法と人生がうまく行く方法とは同じだ。待っていても何も変わらないし、何も手に入らない。努力しないとうまくならない。水泳と同じだ。難しい本をいくら読んでも泳げるようにならない。スポーツのわかりやすい快楽が嫌いだったが、自分を守るものとしてどうしても必要だ。宗教と同じくらい必要だ。水泳とか自転車みたいな、ルールのない、単純なものか、呼吸法、武道系がいいんじゃないか。とにかくやることだ。生きることだ。漸く人生が始まった。
ああ、関西人は損得、欲得ずくで生きているので全く面白くない。大嫌いだ。盗人みたいで恐い。法も道徳も全く何とも思っていないし、全く信用できない。尊敬することももちろんできない。すぐ暴力を振るうし、完全に頭がおかしい。そういうものとして扱わないといけない。損得だけで行動する盗人みたいなやつで、犯罪や暴力を肯定している。憎むべきやつらだ。そういうものとして対処しよう。
関西人がどうであれ、関係ない。自分のことをしっかりやる。ロドス島で飛べというのがある。どこであっても自分のことだけしっかりやればいいのだ。全ての労働は肉体労働だ。読書でも思索でも知的労働と呼ばれるものでさえ、頭脳による肉体労働といっても良い。誰かが変わりにやってくれるものではないからだ。自分が楽しみたいなら自分がやるしかない。誰かが自分の代わりにセックスしたら自分が気持ちがいいのか。そんなわけない。
私は女が大嫌いだ。でも体は好きだ。加藤さんが風俗が嫌いと言ったのは情の問題だろう。私は女に情愛を抱いたことなど一度もない。だから女と恋仲になったこともない。でも性欲は高まるので処理しているだけだ。小泉もそうなんじゃないかと思う。それを補うものは宗教じゃないかと思う。他人が愛し合うことは自然だと思うし、親子の情愛も夫婦の情愛も素晴らしいと思う。十分理解できる。それは宗教につながる。
嫌いなものを好きになる必要はない。女は大嫌いだけれどもだったら付きあわなければいいんだし、宗教的に接していればいいんじゃないか。ばあさんが寄ってきたとしても人間として尊重するが、女としては受け入れられないと言うことははっきりしていいんじゃないか。女が嫌いでも普通に付き合うことは可能だと思う。例えば会社でも仕事できているんだから、男女は関係ない。
今漸く真剣に生きられる。そのようにすればそうなる。なせばなる。能力は関係ない。というかどうにでもなる。悪くしようと思わなければならないんじゃないか。これからはどうにでもなる。ポジティブに生きるとはきっとうまく行くと信じることだ。実際努力すれば必ずうまく行くものだ。少なくとも努力した分はうまく行く。成果は自分のものになる。何をやってもうまく行かないなどと思わないことだ。何事も一所懸命にやることだ。必ずうまく行く。うまく行かせようとすれば必ずうまく行く。女とうまくいかないと言ってもうまく行くように努力すれば良いんじゃないのか。うまく行かないのは努力が足りないのだ。努力しよう。当たり前のことだ。長い病的な心理によって努力ができない、頑張れない人間になってしまっていた。これからは違う。頑張れる人間になった。
自分を守るために全力を尽くそう。それが自分をいたわることだ。人は優しくなんかない。ホームレスに暴行して殺すほどに人は残酷だ。自分を守らねばならない。方法は何でもいいのだ。他人の善意に依存することだけはやめた方がいい。自分の身は自分で守る。


 < 過去  INDEX  未来 >


リスパ

My追加