いよいよ年末だなあ。昨日のかに鍋、雑炊はおいしかった。ありがとう。ユーミンのコンサートは良かった。ありがとう。昨日は良く眠れた。いびきをかいて。相当深い眠りだ。社会復帰できるのだろうか。今朝自分のことが良く見えた瞬間があった。ある時点で悪のほうに傾いていった。それは幼稚園だったかもしれない。あのちょっとおかしな人間に会う前だったかもしれない。遺伝だったかもしれない。それは良い。でも悪の道にまい進してしまった。根が善良だからだ。だから善悪の区別が付かないのだ。それと中学には既に統合失調症を発病していた可能性がある。遅くとも高校までには。妄想は共産主義だったかもしれない。現実とあっていない。統合失調症と悪がなぜか私の中で結びついた。でも今からでも遅くない。意志の力で善良で道徳的になることができる。すると世の中が見えてくる。人が好き、自分が好きになる。女やババアのことが許せるようになる。 女やババアがなぜ恐いか。自分の罪が透けて見えるから。罪を認めて悔い改めれば、恐くなくなる。善良で道徳的で自分が好きで、人が好きであれば問題ない。それから薬を飲むこと。精神のお勉強と、薬を飲むこと。芥川も三島も薬を飲んでいれば死なずに済んだ。薬を飲むとゆとりができてくる。真人間になるチャンスが生まれる。苦しいままだと善良でも道徳的でもいられなくて、人も自分も傷つける。そうならないよう保つのに大変な努力を強いられる。だから薬を飲むことだ。 脳は少しは回復している。ゆっくりではあるが。昔は元気だった。でも今は新聞が読めるようになったし、催しにも参加できるようになった。後半年あれば回復するだろう。楽しいことが増えてきた。以前より、今のほうが自分を自分の人生が理解できる。全体として理解できる。細部が見えなくなったお蔭で全体が良く見える。すばらしいことではあるまいか。 善良であるだけで今までの人生が180度変わり、良い人生になる。幸せが雪崩のごとく起きる。 罪を償おうとすることが善良さの一つの証ではある。私は私の家族を全員大なり小なり不幸にした。と思う。一緒にいる間に不幸にした。一緒にいないときも不幸にした。また最近会ったりして不幸にしようとしている。やっぱり良くない。父は私が殺したようなものだ。母は父を失い、不眠症になり、私をストーカーのように追い掛け回した。私はそれを拒絶した。家が全焼した。何もかも失い、兄の家で嫁姑問題に苦しんでいる。兄は会社をリストラされ、母を養うことで苦しんでいる。全部私のせいのような気がしてならない。姉は難聴になった。全部不幸になった。甥はいじめに遭い、姪はデパガになった。全部私のせいだ。人が不幸になることを願っているのだ。そんなヤツのことを誰も受け入れるわけがない。善良であること、道徳的であること。人を好きでいること、自分を好きでいること。 脳がダメージを受けても、私が善良になれば、十分おつりが来る。脳のダメージはやがて必ず回復する。職場復帰も必ずできる。脳がダメージを受けるのはいいことだ。人が恐れず率直に私に意見してくれる。ここがおかしいよと。z氏もhも私におかしいといってくれる。通りすがりの人でも目の前の受付の姉ちゃんでもはっきり言ってくれる。本を読む速度が遅くなるからいっぱい本を買わなくていい。読まなくて良い。大体理解できないから読まなくなって本代がかからない。いらいらしないから退屈しない。悪いことをしようとは思わない。良いこと尽くめだ。病院に行っても何が悪いのかわからないという顔をされる。あの医者はよかった。前の医者も良かった。悪いから変えたのではない。新しい医者は私が相性悪いなと思っていることを理解しているらしい。何となくあの顔は人好きする顔じゃないから、幾度もそういうことを経験しているに違いない。それで不愉快な思いをさせまいとして、診察時間が短いのだ。優しいのだと思う。 今まで悪いことは散々やってきたからもう結構だ。これからはいいことだけをやって行きたい。善良でありたい。道徳的でありたい。悪いことをするのも必要だ。護身術みたいなもので、自分がやられそうなときに身を守るものだ。でも私は今まで散々やってきたからもう身についている。目をつぶってもやれる。だから今更修練しなくて良い。これからはいいことだけをやっていけば良い。善良な世界には多くの果実がたわわに実っている。悪の世界は殺伐として悪臭が漂い、汚いもの毒物悪魔鬼畜だらけで、値打ちのあるもの快いものは一つもない。善良になりましょう。弱いものには親切にしよう。
|