希望の日記

2007年02月28日(水)

今日は雨だ。よく眠れた。昨日スティービーのコンサートから帰って酒を飲んだ。昨日はうまかった。音楽というのはいいんじゃないかと思った。楽しい酒だった。音楽は良い。スティービーは良い。戦う必要はない。そう思った。怒ったり、憎んだり、差別したり、地獄言葉で満ちていたが、そんな必要はない。そんなものは全く価値がない。誰か人に任せていれば良い。何で私がそういうことをしないといけないのか。またそういう人間がいたとしてどうしてまねをしたり、気にしたりしないといけないのか。私は善良で感謝に満ちた道を歩くのだ。天国言葉で生きるのだ。戦ったり、怒ったりする必要はない。人を喜ばせるのだ。小説でも怒りに駆られて書いたものは評価されず、楽しんで楽しませようと書いたものが評価された。世の中は簡単なのだ。戦う必要はないのだ。
私の理屈は私が女や世の中を嫌うようになったのは、病気のせいだということだ。実際、中学の頃、おかしくなり始めて考えが歪み始めた。それは原因は何かわからない。遺伝か環境か。偶然か必然か。はっきりしているのは病気の結果、奇妙な歪んだ邪悪な考えに取り付かれたということだ。だからそれは簡単に改められるし、改めるべきだということだ。憎むのをやめる。戦うのをやめる。怒るのをやめる。簡単にできる。嫌なことを止めるのは簡単だ。人を憎んだり、差別したり、戦ったりするのはどれだけ嫌か。嫌なことはすぐ止められる。
とにかく自分は病気だから変な考えを持つのだという自覚が必要だ。それは薬を飲むことと、意志の力で変えられる。天国言葉を言うとか。戦うのではない。怒るのではない。憎むのではない。楽しませ、喜ばせるのだ。
戦うことを放棄する。楽しませ、喜ばせること。サラリーマンであれば、社長が喜ぶこと、上司が喜ぶことをするのが普通だろう。一人さんは当たり前のことしか言わない。戦うって誰と戦うのだ。全く無意味だ。反射であり、癖になっているのだ。薬のせいかやっと止められそうな気がする。
戦うのをやめ、怒るのをやめると人の心が見えてくる。適切な行動が取れるようになる。戦うのをやめるためには無意味に喧嘩を売ってくる相手には近づかないことだ。戦うのをやめることは本当に楽しい。また春が巡ってくるかもしれない。
戦うということは私にとって、悪と同義語だが、そんなことを一所懸命やる奴の気が知れない。それを喜んでやる奴は破滅に向かうだろう。私は破滅は嫌だ。生き残りたい。長生きしたい。このことは私に喧嘩を売ってくる奴と別れるという結末をとりたい。きっとそうなるだろう。戦うのをやめよう。怒るのをやめよう。薬を飲もう。病気を治そう。
戦うのをやめよう。それは病気が原因だからだ。私はまだ病気に左右され、影響されている。戦いたいと思うのは病気のせいだ。悪いことをしたいと思うのも病気のせいだ。それを薬と意志の力で止めることができれば正常化できると思う。カウンセリングなんかでは無理だ。結局自分の病気を良く見極めて薬の力で何とかする以外ない。
頭がぼけたのも正常化のチャンスだと思う。コントロールできないおかしな人間より、多少愚鈍でもコントロールできる明るい人間の方が使いよい。戦う人間、悪い人間は要らない。戦うとはあのおばさんみたいなことで、上にたてつく人間のことだ。そんなものはサラリーマンとして失格だ。戦う必要はない。何を戦う必要があるのか。不可能なことをする必要があるのか。
戦うことをやめることは悪いことをすることをやめることだ。これが周囲との軋轢の唯一最大の原因なのだ。そしてそれは病気のせいで、自分ではコントロールできない。だから薬でコントロールする。極めて自明のことだ。医者の目線で何とかしよう。
b校に行っても病気は治らない。むしろ悪化した。あの医者はむしろ正しいのではないか。あの医者を離れたのはよくなかった。でもここまで来て初めて自分の問題点がわかった。答がはっきりしているのに、それを避けても答えはない。そんなに苦しいことではない。薬を飲んで食っちゃ寝していれば治るといっているのに、これ以上楽なことがどこにあるのか。甘えてはいけない。じゃあ働くかといったらとても無理だろう。今の状態では。だからこれでいいのだ。酒なんか飲むのはだめだ。薬しか治す方法はないのだから。
病気は治まっていたかもしれない。この20年の間に。でもストレスから発病したのも確かかもしれない。エンカウンターもb校も面白かったよ。決して後悔していない。父が南洋に行ったことを少しも後悔していないのと同様に。楽しかったじゃないか。エンカウンター少しも悪くはなかった。b校も少しも悪くない。病気休職。少しも悪くない。私は自分を発見した。やっと正気に戻る道を見つけた。
戦うことをやめる。怒ることを止めることが幸せの道だと気づいた。戦いをやめることは敗北ではない。卑屈でもない。自分を守ることはいくらでもできる。怒らなくても楽しく生きて幸せになれる。昨日もあのおばさんの気持ちがすごく良くわかって、腹が立たなかった。大阪のおばはんは乱暴で邪悪だけれど自分がそうなる必要はないじゃないか。戦ってどうする。最悪の選択じゃないか。戦う必要があればだけど、全くないのだ。戦う必要はないといっているじゃないか。全くない。楽しく生きていけるのだ。


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