希望の日記

2012年09月19日(水) 晴れ

今日も色々考えた。私は疎外されている。誰でも差別する。それは確信できた。でも人によって、それが悪いことと考える人は、それを修正しようとする。そこが少しわざとらしいのでわかる。それをストレートにぶつけるおかしなやつもいる。これは論外だ。絶対に近づいてはいけない。その中間にさまざまな程度に差別するやつらが並んでいる。だからもはや戦うことは不可能なのだ。私は定年を迎えたら、別天地に移り住んで、病気のことを隠して生きて行きたい。

女との問題はわからないが、もう煩わされるのは真っ平だ。やっぱり、離れる、断ち切る、壁を作るという三原則で行くしかない。思春期から母や姉と対立して来た。好きになれなかった。仕方がない。好きになる必要はないと観念するようになった。というか好き嫌いは関係ない。誰でも好き嫌いはある。でもそこから憐れみとか仁の徳が必要になってくる。好き嫌いは、依存みたいなものだ。問題にならない。相手に依存していてはいけない。仕事はできない。そこから我慢が必要になる。道徳はやせ我慢だ。それがばかばかしいといっていると獣以下になってしまう。極端な例はナチスや日本軍ということになる。哀れみというやせ我慢をいつも忘れずにいよう。マザーテレサも、ずいぶん我慢して病人を救ったのだ。決して快い人たちではなかったといっている。我慢こそ道徳である。

病識を持つことが第一歩だ。今まで病識はなかった。過去現在未来において。だから過去の自分の罪を許せずに責め続けた。それがどれほどダメージになったか。今は私は自分を許した。自分ができる自分への最大のサポートだ。それは自分が病気だったことを認めることによって可能になった。それは現在未来において、私が病気の影響を受け続けるということの裏返しである。自分が何をやっても病気の影響を受けているかもしれないと疑いを持つことだ。それは謙虚になるということだ。それはいいことだと思う。卑屈になるのでもなく、おどおどするのでもなく、謙虚であることだ。

もうひとつ考えたのが、人ともめるのはもうたくさんだということだ。もめる気はないのに、気づいたら誰とでももめている。今までどれだけの揉め事を経験しただろう。あのレズバーみたいなばばあとの死闘は私のもっとも良い時代を台無しにした。その影響からまだ立ち直っていない。人ともめるのはこれくらい高くつくということだ。もめないために努力すること。挨拶をすること、きちんと仕事をすること。絶対ミスがないように緻密に仕事をすること。ミスをなくすためには、意識をはっきりさせて、集中しないといけない。ミスがないかしつこいくらい見直しすること。ねちっこくやることだ。仕事に執着心を持たないといけない。誇りと責任感。そのためにはひたすらねちっこくやること。脳にがたが来ているのだが、それをカバーするくらいねちっこくやることだ。


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