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2003年05月26日(月) 友人からの手紙





幸福を6だと仮定したとしたら・・・

僕の幸せはいくつだろう

自分の幸せって何だろう

今、僕は幸せなのか

幸せを6とするならば、今の僕は6ではない

ならば僕は数値で表すならば、どんな数字になるんだ

昔、高校の頃の大切な人が、僕にこんなことを書いてくれたことがある



「幸せはいつもの生活の中にある。不幸だと思うときでも気づかないところにも幸せはある。家族といつも通りの生活を送ったり買いものをしたり、人と話したり、人と遊んだり、さわいだり、はじけたり、こんな何でもないことが、こんないつものくり返しが、最大の幸せのような気がする」



いつもの生活では気付かない時々が幸せだったりするのかもしれない

そう感じる時があって初めて、気付く幸せ

幸せってなに?

前、こんなこと書いた人がいた



「幸せの形ってどんなだ

僕は何年か振りに休暇をもらった

今までにそんな自由な時間は無かった

何をしたらいいか分からなかった

海外行こうと突発的に思った

何故かタイに決めた

異国に行って初めて感じる自分の姿

異国の空気

異国のにおい

異国の光

行って初めて分かること

この国は生活に満々ている

すべてが生活の時間

生活する為の時間

生活する為に働く

生活する為の時間

決して裕福では無い

でも、何でここの人達はこんなに目が輝いているのか

何でこんな綺麗な目をしているのか?

ウィークエンドマーケットっていう週末だけやっている巨大なマーケットがある

その広さは東京ドーム9つ分の広さ

それは巨大なアメ横

何でも売っている

服、化粧品、下着、花、ヤカン、仏像、動物、民芸品、アイス、バイオリン、電化製品、魚、肉、

人、人、人・・・

ウダル暑さの中、生臭さの中、人の多さに

僕は正直気持ち悪くなった

何を買うまでもなく、只歩き歩くだけしかできなかった

雑踏の中で、四つん這いで地面を這いずり回る人がいた

手足が曲がりくねって、その長さも違う

彼は雑踏の中で這いずり回っていた

彼は少年

彼の右手には空き缶が握られていた

雑踏の中で彼はチップを人に求めていたんだ

僕は早足で彼を追い越し

振りかえった

彼の表情を見た

ショックだった

彼の目は、いつもの当たり前の生活の一部

あたかも自分の肢体の不自由さを売りにして

お金を人からもらい

その不自由さ故に生活ができることを満足するが如し

黒々とした少年の目は

自分の障害を不幸だとも、自分の生まれに疑うことも全くない

だから生活できる自分がここにいて

当たり前の生活

あまりのギャップに、僕は道端で吐いてしまった

幸せっていったい何なんだ

何なんだ、あの目の輝きは

何なんだ、あの目の黒さは

俺はいったいどんなだ

自分っていったい何なんだ?」



幸せって感じるもの

幸せは比較するものではない

世界共通の幸せの基準があるわけでは無い

人によっては6でもあり、Dでもあり、青色だったりもする

では、自分の幸せとはいったいどんな形なんだ

気付いていないだけで、存在していることが幸せなのか

あの時の少年と比べ、僕は圧倒的に裕福だ

でもあの少年と比べ、僕は力強い目をしているか

幸せっていったい何なんだ

今言えることは、

自分を表現すること

それを受け止めてくれる人がいること

それは確固たる幸せの形なんだろう

一つの幸せの形



結局は、どんな強い人間でも一人では生きていけない



支えとなる人がいてくれることが

自分を肯定してくれる人が側にいてくれることが

世界共通の幸せなんだろう、



「しあわせはいつも自分のこころがきめる」

そんな人がいてくれることに、気付ける自分でありたい










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