登録するだけでクオカードがもらえるということで、 こないだ彼女と派遣会社めぐりをしました。
適正診断とかでエクセルやワードのテストをして楽しんだり、 働く上で小さい子どもの存在が思ってた以上に重要なキーになることが わかったりして、それなりに充実した一日でした。
で、その新しい派遣会社から公務員試験講座の講師の話があって、 時給もいいし土日が休み(→今やってるカードの仕事も続けられる)なので、 かなりおいしいものでした。
クライアントの条件が25歳以上と、少し歳が足らないとか、 やっぱり大学中退とかいうのがあって、 先方がOKだすかどうかわかんないけど、 自分的にはかなりやる気がでてきています。
これまでのことは全く棚に上げて。
10月にテレマーケティングの仕事から逃げたときも、 高校のOBオケから逃げたときも、 セブンやジョイフルのバイトから逃げたときも… 数え上げればきりがありません。
そしてそのだいたいは、 何か小さいことをミスってそれのフォローが遅れ遅れになったり、 また別の小さいミスが重なったりして、 はじめはとるにたらない些細な問題が 雪だるまみたいに大きく膨らんでいって…というか大きく見えてきて、 どうしようもなくなってボンッって発作、みたいな。
逃げるって意味では「ボンッ」よりも「プイッ」の方が近いかも。
こういうシステムを彼女に説明するときは、 「小さいミスが10か20かたくさん重なったときに発作が起きる」 みたいに話します。
そっちの方がいくぶん「有・未来的」な感じがするから。
でも本当は、全くランダムだといった方が真実に近い気がします。
毎日サイコロを5個くらいいっぺんに振って 全部1が出た日に発作、みたいな。
どんなにがんばって強くなってサイコロの数が増えたとしても、 6の何乗分の1の確立で必ず事が起こってしまうということ。
それは訓練の使用がなく、「無・未来的」あるいは「絶望的」とか 「どうしようもない」とも言えるかもしれない。
それに対して「たくさん重なったら起きる」仮説だったなら、 起こったミスを処理する能力を養って、ミスを貯めずに 逐一リセットできさえすれば、発作を回避することができます。
私のうまくいかなるシステムが「重なる仮説」なのか「サイコロ仮説」なのか という見解は、私のバイオリズムによって 真実性の大小が揺らいでくる感じです。
もう少し悲観的な見解をすれば、 根本的に「サイコロ仮説」が真実なんだけど、 私の調子がいいときは「重なる仮説」が真実であるかのような錯覚をする、 みたいな。
今度の日曜にあるたいこの練習の段取り(楽器運搬とか)を、 私がするようにメーリングリストで指示があったんだけど、 今日まで無視してほったらかしにしてきました。
めんどいめんどいと言いながら先送りし続けて 取り返しがつかないところまできてしまう。
これまで私が逃げ出してきたプロセスの、常套パターンです。
しかし、このままではやばいという認識が私の腰をようやっと上げさせて、 メールを確認したところ、私が一人で段取りを取るというわけではなく、 だいたいのところは既に出来上がってて 私のすることとかほとんどないことが判明しました。
正直、救われたと言っていいと思います。
こうやって、腰を上げる作業を繰り返すことが ミスを処理する能力を養うことになっているのだろうか、 それとも今回はたまたま1でない目が出て助かっただけなのか、 私はどちらとも言えません。
真実はおそらく後者でしょうが、私はどちらとも言えません。
「重なる仮説」の可能性を信じて生きていくほかないです。
何日か前の日記で「死ぬ気で生きる」みたいなことを言った気がします。
この場合の「死ぬ」は「サイコロ仮説」であり、 「生きる」は「重なる仮説」にあたる気がします。
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