私の雑記帳
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集合住宅での火災報知器の取り付けが義務化されたそうで、私が入院中に不動産屋がきて大半の家に取り付けて行ったそうであるが私は入院していてできなかったので、今日来てもらい取り付け完了した。
しかし、片付けの出来ない(物が捨てられない)私には大変な労力だった。真ん中の和室に取り付けると聞いていたので、片付けはその部屋と玄関のみである。インチキ大掃除で、とにかく物をどかしただけ。勿論、思い切って捨てるものは捨てもした。しかし片付かない。それでも頑張って、なんとか取り繕った。 そうしてみると、いつもよりは格段にスッキリして、いつもこの状態なら私の心労も減るのに・・と思う。
ずっと気になっていた事が片付いて嬉しい。しかも文字通り少しは部屋も片付いた。できるだけキープしたい。
明日は子供の学校の学園祭本番。病み上がりなのに毎朝5時おきで弁当作りは辛い。明日は、娘も私も世話になった私の先輩と見に行く事になっている。それがまた、おそろしく気が重い。 頭も良くて、仕事も出来て、切れ者というイメージの先輩は話していても仰ぎ見るばかりだが、ふと思う。彼女も全然幸せそうではない。
しあわせの定義(価値観)は人それぞれだとしても、人間誰しも幸せになりたいはず。 努力して頑張った人が必ず幸せになれるとは限らない。勿論逆も真ならずで、頑張らないから幸せになれるということもない。
私はまわりの評価ばかり気にするくだらない癖があり、ほとほと嫌になっている。人に迷惑をかけない範囲で、自由に喋ってそれでおしまいにしたい。 人はどうおもっただろうか?とか、しつこい愚痴で不愉快を撒き散らしたのだろうか?とか、くよくよ思うのが大嫌い。 でも、そういうのは気になるのである、私は。気にするなといわれて、気にならなくなるなら、それは悩みではない。 人にどう思われるかを気にするのが、私なのであり、そこの変更(自己改革?)はもう無理だと思う。というか性格というのは極端には変わらない。 そうなるとあとは、自分とどう折り合いをつけるか、しかない。
最近私は「折り合いをつける」という事をよく考える。妥協とも諦めとも違う、共存みたいな形。 それも単なる理想でしかないのか?
「ヘタな考え休むに似たり」だったか、私は空回りが多い人間なので、無駄に疲れてしまう。でも必ず、何か一つきっかけがあればスラスラと物事がよい方向に向かうのではないかと本気で信じてもいる。
深夜、遠くでカエルが鳴いている。朝に鳥のさえずりを聞くのもそうだけど、少しほっとする。
早く寝ないと、いよいよ体がもたない。続きはまた考えてみる。
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