私の雑記帳
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2009年11月06日(金) 麻酔と手術室

手術室に入るとすぐ、硬膜外麻酔の注射を打った。
寝たまま横向きで膝を抱えるようにして身を丸くし背中を
突き出すようにする。そして背中に打つ。
じわじわ入って身体に染みてくる薬、絶妙に痛い。
神経ブロック注射の親分のような感じ。
その後、仰向けに戻り、身体にはバスタオルが掛けられた。
私の記憶はそこまで。
バスタオルから意識を失うまで、多分数秒だと思う。
すでに腕には点滴の管は入っていたので、全身麻酔が
始まる時は知らせてくれるものと思っていた。
ずっと前、検査で軽い全身麻酔をやったときも、
始まると数字を数えるように言われて、たしか5まで言う前に
意識は無くなった。

だが今回はその前触れというか、予告がなく、いよいよの覚悟を
する間がなく、私はいきなり意識が無くなった。

これは術後からずっと感じていたのだが、突然死というのは
こんな感じなんじゃないかと思う。
意識が薄れていくという過程がゼロなのである。
まさか自分が次の瞬間には意識が無いというのは怖い。
手術で全身麻酔が間もなく始まると覚悟していてもだ。
数字を数えさせられているうちに意識が無くなったり、
例えば毎晩眠るのも、いつの間にか意識を失うわけだが、
そういうのとは全く違う感覚、うまくいえないけど、
ものすごく不意打ちにあった感じだった。

私の意識はやがて戻ったが、これが戻らないのが死に至る感覚
(「意識がないという感覚」という表現はおかしいが)なんだろうと
思った。
実際、私は意識が無かっただけで、臓器は機能していたのだから
死を引き合いに出すのはおかしいのかもしれないけれど、
でも思い出すと、それが一番怖い。

私はなるべく死そのものついて考え無いようにしている。
死を考える事は永遠を考えるようなもので、それはもう恐ろしい。
だから、この不意打ちのような麻酔の件も日記に書こうか迷った。
でも、貴重な体験をしたのだから軽い感じで書いてみようと思った。
死が怖い自分と、数年前まで「死にたい」と
精神不安定だった頃の自分とのギャップがおかしい。

死の恐怖は今から悩んでも、結論も答えも出ないことに変わりなく
村上春樹は「死後のことは死んでから考えることにしている」と
どこかに書いていたが、私もなるべくそう考えようと思う。

手術室では最初から、よくわからない軽音楽(BGM?)が流れていて
私が麻酔から覚めた時に流れていたのは、ワム!の「ラスト・クリスマス」だった。げー。

手術室に入ったとき、若い担当医に「時間が余ったら顔も頭も
治しておいてね」と頼んであったので、術後麻酔が覚めかかった私が
担当医に手術の結果の次に尋ねたのが「頭のネジはちゃんと締めて
くれた?」で、執刀した担当医は「ああ、だいぶゆるんでいたから
締めておいたよ」と答えてくれた。

私のお腹は20センチほど切られていて、なんというか
「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」(byティム・バートン)の
登場人物のようになってしまった。


pearl〈パール〉 |MAIL

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