月に舞う桜
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6時間くらい前からずっと、ある言葉を思い出したいのに思い出せないでいる。喉元まで出かかっているのだけど、そこで止まったまま一向に出てこない。気になって気になって仕方ない。すっきりしないなぁ。
ある俳優さんがテレビでドリアンの話をしていた。 昔、もう9年も前のこと、友達がある日ドリアンを教室に持ってきた。「何でそんなもの持ってるの!?」と騒ぎ立てながら、私たちは物珍しさに喜んで、みんなでドリアンを取り囲んだ。それは巷で噂に聞くほどのものすごい臭いではなかったけれど、近づくとやっぱり臭かった。私たちが散々ドリアンを眺めたあと、置き場所に困った友達は、それを黒板の上に置いた。授業中、黒板の上に乗った物体がずっと視界の隅に入って可笑しかった。 そんな日のことを、俳優さんの話を聞いて思い出した。 彼女がドリアンをどこで手に入れたのか、どうして学校に持ってきたのかは分からない。あのとき話してくれたような気もするけれど、忘れてしまった。 晴れて青く澄んだ空の日には、亡くなった人をよく思い出す。彼女は二十歳のとき、雪山で亡くなった。だから、もう尋ねることもできない。 「彼女がもういない」ということを思い知らされるのは、日常のこういう些細な瞬間だ。あのドリアンが何だったのかは永遠に分からないのだなと思うと、愕然とした。 彼女が亡くなったときの衝撃は大きく、突然のことだったので混乱し呆然ともしたけれど、私たちは一気に彼女を失ったわけではなかった。5年経った今、改めてそう思う。「取り返しのつかなさ」を噛み締めるのは、むしろ亡くなったあとに積み重ねる日々の中でだ。「もういないんだ」ということを思い出しては、そのつど愕然とする。そうやって、彼女の不在はゆっくりと時間をかけて私たちの中に浸透していき、繰り返し繰り返し、少しずつ彼女を失っていく。 取り返しがつかないというのは、何てかなしいことなんだろう。彼女が生きていれば、あの日のことを思い出したとしても、ドリアンの出どころなんて大して気にならなかっただろう。でも、もう聞けなくなってしまったから、私は余計に知りたくてたまらないのだ。「あのとき、何でドリアンなんか持ってきたの?」とどうしても聞きたいのに、何でいないんだ! と思う。
あ。 書いていてちょっと思い出したけど、「珍しいものを手に入れたから、部活の先輩に見せるんだ」とか言ってたんだっけな。 でも、定かじゃない。ドリアンは買ったのかもらったのか、それも分からない。分かるのは、50年後くらいかしら。ねぇ?
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