37.2℃の微熱
北端あおい



 beksinski

好きな画家・BEKSINSKI氏が今年2月にお亡くなりになっていた、と教えてもらった。
その最期を聞いて、一瞬言葉に詰まります。
ねぇ、どうして?
世界の非情さに、こころの中でこっそり泣いてしまいそうになる(でも、可哀相なんて思っているわけではない。たとえば、旨く言えないのだけれど、誰にでも起こりうることなのに、それでもどうして?と問いをたててしまう自分の弱さに対して)。
帰ってさっそく画集(トレヴィル版ではなくて、Ramsay版)をひらきます。サイト(※)にゆけば、彼の死を悼むためか画面には巨大な十字架がそびえていました。

貴男の絵の隅々まで満ちている死の気配。不気味なもの。
得体が知れないなにかへの畏怖と恐怖。
この不穏な空気は、貴男自身の最期を予言していたのでしょうか?

いいえ、そんなことは、そうではない。
予定調和的な思考は唾棄します。
こんな醜い感情で、貴男の死を悼むのはやめて、
今夜は流れる音楽に導かれるまま、貴男が描き出した世界へと、
なにも考えずふかく沈みます。

貴男の描くその世界は、きたるべき終焉がきて、すべてが閉じようとしているかのようです。なのに、断末魔の叫び声などもはや聞こえず、それはとてもとても静かで、あまりにも静かすぎるので、おもわず両手で耳をふさぎたくなるようです。血肉が枯れて、むき出しになった骨のようなものが、それを目にしたとたん、その圧倒的な存在感でもってわたしを苛みはじめます。
幾等耳を塞いでも、その不気味さは消えてくれないのです。
そうして、一等聞きたくない声が聞こえます。
この風景はわたしの内側にあるものに違いないということ。

懐の闇のふかさをえぐり出すことができる画家・BEKSINSKI。
もし彼が生きていたのなら、この世界の深さや広さにどこまで辿り着くことができたのだろう。

※BGMつき。音楽と画像がこんなにうまく噛み合っているものって少ないのではないでしょうか。ぜひ音楽つきで見てほしいサイト。

2005年06月26日(日)
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