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■ 誰かが
誰かがいなくなってもその人の写真は残る(あるいは言葉、ひいては記録され、記憶されているあらゆる事象)。 そして、その人物がかつていた場所で、またなにもかかわりのないところで、 まったく別の、新たな物語がその写真をめぐって生成されていくだろう。 たとえ、生前を知っていたとしても、そこから産み落とされるのはまったく別のものなのだ。 いなくなってしまった人の声はもうこちらには決してとどかないのだから。
当事者のいないたくさんの物語が辿り着くのは何処なのだろうか。 所有し、断裁する人がいない物語はいつ終りをみつけられるのだろうか。
考えてみれば、そんなことすら不思議で畏しい。
2006年02月19日(日)
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