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当日
2005年12月13日(火)
今日は、19日です。
19日の日記にまとめて書こうと思ったけど、
書く事が多いので、その日、その日に書こうかな・・・って。

13日、午前8時39分、義母が息を引き取りました。
朝、義父から危篤の電話が入り、とりあえずてつやさんが病院へ向かった。
7時半頃、てつやさんが一旦会社に行くと戻ってきて、
私も子供達を送り出して、みずきといぶきを保育園に送り出してから
病院へ行こうと思ってた。
会社にもそう電話して・・・
てつやさんも用意をして、私も保育園に送りに行こうと玄関を出ようとした所に義父からてつやさんに電話が来た。
もってお昼位だと先生に言われたって・・・
てつやさん、急いで会社に行って、すぐに病院に行くと・・・
私も保育園に送って行って急いで行かなきゃ・・・って慌てて家を出た。
みずきが「パパのブーブがいい〜〜」と言うので
保育園まで・・・って一緒に保育園まで行って、門を入る直前に
てつやさんの携帯が鳴って・・・
息を引き取ったと・・・
てつやさんは、とりあえず会社へ。
私は、みずきといぶきを保育園に置いて病院へ行った。
エレベーターを降りると目の前に義兄嫁が・・・
無表情の義兄嫁、
「聞いた?」って・・・
ほんとに無表情だった。後から聞いたら義兄嫁も来た時には、
息を引き取った後だったらしいけど、
なんでそんな無表情なんだろう・・・って思った。
義父の話では、義父が電話を掛けに行ってる間に急変して側に居た義母の妹が
看護婦さんを呼びに行ってる間に息を引き取ってしまったらしい。
誰も居なくなった時に息を引き取った義母、義母らしいと言えば義母らしいけど・・・
義母の妹は、泣きながら
「頑張ったよね・・・」って言ってた。
私たちに向かって
「お見舞いに来るとね、カマ掛けてたのよ。本当は、みんな知ってるんでしょ?先生が嘘をついてるんでしょ?って言ってたのよ。自分だけ知らなかったから、辛かったんだろうね」って。
そうしたら義父が
「知らなかったからここまで長く生きれたのかもしれない。よかったよ。」
って・・・
どうなんだろう・・・
告知しないでただ、病院で1日、1週間長く生きたからって
果たしてそれがよかったのか?
自分の命が後少しと知って、やりたい事をやったり、伝えたい事を伝えたり、
それで命を短くしてもそれは、それでいいんじゃないかな・・・って思った。
特に義母の性格だと自分の身の回りをきちんと整理してから死にたかったんじゃないかな?って思う。
何週間か前に義兄に携帯の友達のメモリを消してもらったって話があった。
もうすぐ死ぬのかも?って思った時に自分で整理出来る事は、
携帯のメモリを消す事位しかなくなってしまってたんだろうな。
最後の最後に義母がどんな気持ちだったのかは、誰にもわからないけど、
そんな義母の気持ちを考えたら
自分が告知をしなかった事を正当化しようとしてる義父の言葉を聞いて
涙が出てきた。
午後から義母は、家に帰った。
あんなに帰りたがってた家に。
学校から帰って来た子供達も連れて義父母の家に行った。
お線香を一晩たいてなきゃいけないので、てつやさんと義兄は、泊まる事になった。
義父は、みんなで健康センターに行こうか・・・って言い出した。
なんで義母が死んだ日に健康センターなんだよ。
これが義父への不満や不信感のはじまりだったかな・・・
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