極端なつぶやき
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2005年の5月に会社の先輩とのことをアサーティブトレーニングのロールプレイで取り上げてもらう。 その時のメモ。
<トレーナーの言ったこと> (先輩、私が隣の席に座っていて、ため息をつくと、今のため息は何?って聞いてくると言ったのを受けて) 「隣の人のため息という自然現象に対して、いろんな反応があるわよね。 ため息に気づかない人もいるし、気づいても何にも言わない人もいる。 先輩みたいに、それを受け取って、何?って聞いてくる人もいる。 この先輩のそばにいるのはなかなか大変。」
「このシーンでは、先輩の側はあなたを非難していないのに、あなたは非難されたと思っている。それが、先輩から言わせると、あなたは空気が読めないってことになるのよね。」
「いつも、彼女に非難めいたことを言われているから、あなたの側が必要以上におびえている。 今まで、非難されてきたのよね。悲しいわね。だから、非難されることに敏感になっているのよね。」
「この人、言いたい放題ね。結構きついわね。 会社と言う公的な場にしては、子どもっぽい反応するわね。」
「彼女は、自分の感情を撒き散らしているだけ。」
「彼女に感情の撒き散らしをやめさせることはできない。 彼女を変えることはできない。」
「先輩、人との距離が近い人なのね。」
<トレーナーからのアドバイス> 「あなたは、先輩からの言葉を真に受けすぎ。」
「先輩が感情を撒き散らしているのに、トーンを合わせない。 シラーっと返す。」
先輩を責めて、糾弾して、自分は正しいと自己防衛するためでなく、中立的に事実を見るために、書きました。
まぁ、本当の中立なんてないけどね。 でも、自分ひとりで考えているより、人に聞いてもらった方が、客観的になれる。
<ある本を読んで心に残った言葉> 「人がどれほど自らの正しさに執着しているかに、私はずっと驚かされ続けてきました。自分を防衛すれば、相手との会話は成り立ちません。」
「エネルギーは自分が変えることのできるものに対してだけ使う。」
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