極端なつぶやき
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2006年05月04日(木)

2005年の5月に会社の先輩とのことをアサーティブトレーニングのロールプレイで取り上げてもらう。
その時のメモ。

<トレーナーの言ったこと>
(先輩、私が隣の席に座っていて、ため息をつくと、今のため息は何?って聞いてくると言ったのを受けて)
「隣の人のため息という自然現象に対して、いろんな反応があるわよね。
 ため息に気づかない人もいるし、気づいても何にも言わない人もいる。
 先輩みたいに、それを受け取って、何?って聞いてくる人もいる。
 この先輩のそばにいるのはなかなか大変。」

「このシーンでは、先輩の側はあなたを非難していないのに、あなたは非難されたと思っている。それが、先輩から言わせると、あなたは空気が読めないってことになるのよね。」

「いつも、彼女に非難めいたことを言われているから、あなたの側が必要以上におびえている。
 今まで、非難されてきたのよね。悲しいわね。だから、非難されることに敏感になっているのよね。」

「この人、言いたい放題ね。結構きついわね。
 会社と言う公的な場にしては、子どもっぽい反応するわね。」

「彼女は、自分の感情を撒き散らしているだけ。」

「彼女に感情の撒き散らしをやめさせることはできない。
 彼女を変えることはできない。」

「先輩、人との距離が近い人なのね。」

<トレーナーからのアドバイス>
「あなたは、先輩からの言葉を真に受けすぎ。」

「先輩が感情を撒き散らしているのに、トーンを合わせない。
 シラーっと返す。」

先輩を責めて、糾弾して、自分は正しいと自己防衛するためでなく、中立的に事実を見るために、書きました。

まぁ、本当の中立なんてないけどね。
でも、自分ひとりで考えているより、人に聞いてもらった方が、客観的になれる。

<ある本を読んで心に残った言葉>
「人がどれほど自らの正しさに執着しているかに、私はずっと驚かされ続けてきました。自分を防衛すれば、相手との会話は成り立ちません。」

「エネルギーは自分が変えることのできるものに対してだけ使う。」


betty1102 |MAIL