酒場と野球と男と女
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2006年05月31日(水) H社長のこと、の巻

  5月28日早朝、このブログの2月22日付けで記した、

大恩ある取引先のH社長が、亡くなられた。

2月21日に入院先に見舞いに伺った時は、顔色もよく、

「早く、新宿のお店にも行かないとね」と仰っていたのだが。


 H社長は、私の社会人1年生からのクライアントだった。

私が会社を辞め、様々曲折ある時も、常に変わらずお付き合いを続けて下さった。


「あなたがどんな所へ行っても、広告は、あなたのいる所でお願いしますから」


冥利に尽きる言葉だった。


 昨年、身体の不調もあり、会社を縮小せざる負えなくなり、

23年間毎月頂いていた雑誌広告を休止することになった。


「本当に、あなたには申し訳ないことをしてしまう事になりました」


 電話の向こうで、詫びるH社長のか細い声が、今も耳に残る。



 こちらがどんなミスをしても、決して声を荒げず、淡々と、


「これからは気を付けてくださいな」


と、いつも通りのポーカーフェイスで、赦して頂いた。

しかし、その静かな口調は、どんな怒号の叱責より何倍もこたえた。

 いつでも動じず、飄々と、達観した仙人のようでもあり、

また人間味溢れる厚い人情と、こうと決めたら決して曲げない一途さがあった。



 お酒の席では、駄洒落を言い、口元をふっと緩める。

酔いが進むと、フランク永井の「君恋し」をバリトンの美声で唄う。

そう、どんなにくだけた席になっても、私は、背筋を伸ばして社長に対していた。

正直、気を抜く事はできなかった。


「あなたの良いところは、今も変わらず、同じ眼でお付き合いできる所です」

「いえ、ありがとうございます」

「しかし、それは、時に良くないところでもありますねぇ」


何もかも見透かされているようだった。



 私にとっては、大袈裟ではなく人生の師匠であり、

到底その域には辿り着けない、雲の上の人でもあった。

しかし、もう会うことは叶わない。



 私の大切な磁石が、なくなった。








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