Leben雑記
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2006年01月16日(月) 友達試論

 相手と自分との友達度を、今から「距離」と呼ぼう。さらに、「歩み寄り」とは、距離をつめる、あるいは空けるための移動、すなわち、友達としてより近縁であろうとするか、あるいは疎遠であろうとするかの意識を指すことにしよう。プラスの歩み寄りを、距離を詰めることとし、マイナスの歩み寄りを距離を空けることと定義する。
 通常、ある人Aとある人Bとの距離は、一定である。それは、出会ってからしばらくして、その距離に落ち着くという仕方で、一定となる。今はその通常の場合について言及する。
 AとBの距離が一定であるとき、その一定であるあり方は、何通りかに分けて考えることができる。�顱砲�互いの「歩み寄り」がない場合。�髻砲�互いにプラスとマイナスの歩み寄りを行なっており、結果的に平衡状態が保たれている場合。たとえば、Aがプラス2で歩み寄っているとき、Bがマイナス2で歩み寄っているとしたら、このとき距離は一定となる。

                              ※

 今になって気づくことがある。
 もし、自分が、自分で言うほどに思慮深いのだとしたら、当にそんなことは看過していて、こんなにも動揺することはなかっただろう、と。
僕らの仲はいたって良好であったように思われた、それはきっと、彼女から見てもそうであったろうし、あるいはまたほかの誰かから見ても。
 恥ずかしい話ではある。僕はいつも他人を求めていたのだと、そういうことなのだから。
 今のこの関係が、単に僕の努力だけによるものだというのなら、僕は試みに歩みを止めてみよう。そのとき、彼女はむろん、僕との距離をどんどん空けていくことになろう。彼女自身はそのことに意識的でない。それが自分自身のマイナスの歩みであることに、気づかない。だから、ほかの子に相談するかもしれないね、彼女は案外に心配性だから。僕が自分を嫌っている、と。そう言うだろう。
 君は気づけるか。僕はすでに気づいた。
 君は、気づけるか。


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