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2006年11月13日に『いのちの電話』のHPを紹介しています

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2006年01月24日(火) 自殺した人は、どこへ行くの?成仏できますか?

自殺した人はどこにいくのでしょうか?
成仏できますか?
教えてください。



【夏海】

Re: 私には、わかりませんが、

私の場合、なぜ自殺しなかったのかをお話します。

私は、『魂』こそが 私なのであって、
夏海という この体は 器だと考えています。

なので、だから、死んでも魂はあって、今、苦しいのに 辛いのに、

死んでからまで 後悔はしたくないって思っているからです。


体という器があってこそ、後悔しても やり直せます。
色んなことを試してみて、試行錯誤して 違う人生を生きたり、
違う人格に 自分で矯正することが 可能なのです。

こんなに ここまで 頑張ったんだから、もう死んでも良いでしょう!って
何度も 何度も 何度も 何度も 思いました。
交通事故なら、自殺にならないかな?って
シートベルトをわざとしないで 乱暴な運転をしたこともあります
でも、本人が死にたがってるなら、交通事故でさえ 自殺だよなぁって思ったりして。
病気だとわかっていても 病院に行かないだとか
治す意志がなく、死にたがってるのは、自殺になるのだろうか なんて 変なことも考えたりして。

でも、今は 死ななくて良かったって 心から思えます。
『死にたい歴』は小学生の頃からだから、ずいぶん長かったのですが、
おばさんと呼ばれる歳になって、
去年 生まれて初めて 生きていて 死ななくて良かったって思いました。

私の周りでの自殺密度は たぶん普通の人に比べて高く、
つい最近も 友達の弟さんが うつでなくなっていたことを知りました。
また友達や弟も 若くで病気や事故で何人も亡くしました。
残された人は「あの時 こうしたら 死ななくて済んだんじゃないか」って重荷を背負って生きています。

☆☆☆さんが、どちら側の方(死にたいのか、死なれていまったのか)なのかが わからないので、答えに苦しみます。

身近な人を亡くしてしまった方なら、こう言います。
残された私達が、どう生きるか、そして思い出してあげ、
先に逝ってしまったけれど、私と一緒に生きようねって話し掛け、
私達の命が尽きて同じ世界に行った時に また会おうねって 会えるよねって思うこと。
それが彼女(彼)の生きた証になるのだと、私は思います。


助けたい

最近、仲の良かった友達一人を自殺で亡くしました。
携帯の着信に着たついたのですが、調子が余りよくなく、電話をかけ直すことをしませんでした。

この時もし、私が電話で話をしていれば友達を救えたかなって。
何か伝えたかったのかなぁって思うと悔しさと後悔でいっぱいです。
どんな気持ちで亡くなっていったのかな、いっぱいやりたい事もあったはず
なのに、悔しさでいっぱいだろうなぁ。苦しかっただろうなぁって。
友達の事考えるとかわいそうでかわいそうでたまらない。

私は全てを知りたいです。
どこで亡くなったのか、どんな気持ちで死んでいったのか。
想像する事しか出来なくて何も力になれなかった自分が嫌い。
悔しくて悔しく悔しくてどうにかなりそう。
自分の行動する一つ一つが、もう友達には出来なくてそんな事を考えてる
と何も出来ません。
ご飯食べてるかな?ちゃんと休めてるのかな?寒くないかなって。

お通夜にも行けず、会えた時にはもう骨となって綺麗な箱に包まれてました。
どうして?何で?そんなことばかり。
殴ってやりたい気持ちでいっぱいです。
でも、もう生きていない。
友達の体に触れて抱きしめてあげたかった。もう一度顔を見て話がしたかったです。

亡くなってしまった今、私には友達を助ける事が出来ない。
死んだ今でも苦しんでると思うとおかしくなりそうで、どうにか友達を
楽にする方法はないのかなぁとか、宗教にはまってしまいそうです。
友達の分もちゃんと生きていかなきゃいけないと思わないといけないけど、
私も一緒にいきたい。死んだら分かるかなって考えちゃってます。

友達を助ける方法教えてください。


彼女(彼)の心の吐露に、そして、私は身近に何人かの『身近な人が自殺してしまった』人を知っているので、その心の痛みはよくわかっていて、
でも、時間が解決してくれるよってことを 直後の彼女(彼)に言えなくて。
何もできなかった無力さや 置いて行かれてしまった怒りや
その吐け口が 彼女に何かあれば良いなと願わずにはいられませんでした。
彼女へのメッセージが何人か書き込まれてあり、彼女からの返事は次のようでした。


告別式に行ったとき、自分の娘が死んだってのに
父親、母親、兄。皆いなくておばさんやおじさんがいたんです。

信用に関わる仕事をしてるから。って。
有り得ない。殴ってやりたい気持ちで友達に会いに行ったのに、もう力
が抜けました。こんな親っています?
その場で暴れてしまいたいぐらい悔しさでいっぱいだった。

どんな気持ちで今いるんだろう。
友達に会って抱きしめたい。
謝りたいです。


【夏海】
Re:あのね

※※※さんの言うことに 私も賛成。
何も考えられない程 何かをするのが 一番だと思う。

私は弟を20歳の時に事故で亡くして
その夜は、その年初の雪が降って、とっても とっても寒い夜だったから、
バイクで帰ってくる弟が寒くないように使い捨てカイロを届に行こうかなって思いながら、
でも 行かなかったの。
もし、使い捨てカイロで 暖かかったら、縮こまって運転しないで 
ちゃんと前を向いて走っていたら、
路上駐車してあるダンプなんかに突っ込まなくても済んだだろうって
とっても とっても 自分を責めたし 悔しかった。

朝元気に行ってきますって言って
夜もう冷たくなっていたんだよね。
そして、その夜は、私は外泊をしていたので、知ったのは 翌日
弟は寒そうな着物を着させられて 青い顔をして 横たわっていました。

私は『血の繋がった他人』と自分の家族を呼んでいるんだけど、その家族とも
次々親戚がきて、バタバタ始めて でも、そこにいる誰とも 悲しみを共感できなかったの。
一緒に悲しむ人が 誰一人としていなかった。

誰とも悲しみを共有できない 誰とも一緒に故人をしのんであげられない孤独さは
だから とても とても わかります。


あの時 私が電話していたらって ご自分を責めたいのも わかります。
弟の事故でさえ 私はあんなに後悔したのだから。


私は 自殺した人を持つ 自分を責める人に いつも言うんだけど、
その人が そう決めた瞬間に、魂は すでに あちら側の人になっているんです。
誰も 止めることは できません。
本人が 生きたいと思わない限り。

お友達は何も言わず去って行くのが 親友を裏切るようで辛かったんだろうね。
だから 電話したんだと思う。
さよなら 今まで どうもありがとうって。
私はそのお友達じゃないけれど、たぶん たぶん きっとそうだったと思う。

友達のお父さんがね、ガンで亡くなる前に 近所の人に握手して挨拶したんだって。
今までどうもありがとうって。
本気で死を決意した人は 冷静だよ。
友達のお父さんは、自分はガンにきっとなるだろう。
その時は 告知して欲しい。
また、延命治療はしないでくれって夫婦でちゃんと話し合っていたし、
家族も立派に余命宣告された日から亡くなるまで仲良く病室で過ごしていました。

その友達がね、父親の余命宣告を受けて、亡くなる その4ヶ月前に 恋人を事故で亡くしました。
その日は お酒好きな彼の休肝日(お酒を飲まない日)だったんだけど、
久しぶりに友達に会うからって、あんまり飲んじゃダメだよって言って送り出し
酔っ払って 居眠り運転をしての事故死でした。

休肝日だったのに!私が止めていればって 友達は 魂が抜けたようになりました。

その友達に お母さんは こう言ったの。

亡くなった人は、自分が死んだって解かっていないから、
あなたは もう死んだのよって ちゃんと教えてあげないといけない。
私の住む世界と 貴方の住む世界は、もう別々のものよって
悲しいけど、ちゃんと言ってあげることが 本人の為なのよ。って。

その夜、彼が会いに来たんだって。
一緒に行きたかったけど、お父さんを置いては 行けなかった。
あなたは亡くなったの。一緒に行けない。ごめんなさいって ちゃんと伝えたよって彼女は泣いていました。

人が一人死んだのに、
こんなに悲しいのに
時間は止まってくれないし、世間は何一つ変わらず過ぎて行きます。
でも、悲しいからこそ 時間が流れてくれることに助けられる。

私は朝の書き込みで『魂は存在する』って言ったよね。
亡くなった人が、はーい 事故死の人はこっち 病死の人はこっち 自殺の人はこっち
キリスト教の人はこっち 仏教の人はこっち って 分かれているとは 思えないの。

死んだら みーんな一緒で
次に生まれ変われる(人間だけでなく、木や草や山や虫や鳥や 全ての生き物に)順番を待っているんだと思っています。

痛い思いをして死んでいった 弟や 
死んでしまって、あ!しまった!って後悔したであろう友達の彼や 
ずーっと病室で寂しくて家に帰りたがっていた伯父が、
その時の心のまま、痛みのままでいるなんて考えられないもん。

体という器から離れて、自由になった お友達の魂は 痛みも寒さも飢えもない世界にいて、
それは、あなたのすぐ近くかも知れません。
向こうからは見えるのに、こちらからは見えないだけで、すぐそばにいるかも知れません。
だから、腹が立ったら怒って良いんだよ!
何で こんな重要なことを 一人で決断しちゃったの!!って
直前ではなく、何でもっと早く言ってくれなかったの!って


見守っられているなぁって私はすごく思うんだけど、
思い出して 一緒に生きて行くことが、お友達にしてあげられる 一番の供養だと思います。
私は何度も転校して
それと同じ感覚かなぁとも思うんだけど、
私達が今いる世界と 違う世界の住人になった お友達。
あちらの世界に不慣れでしょうから、たぶん おじいちゃんや おばあちゃんなど、
たーくさんいるご先祖さん達が お友達を守っていてくれているでしょう。
道を間違えないようにね。

人は誰でもみんな 死の前では無力で
でも、私たちは あなたに 生きていて欲しいと思っています。

では また 明日ね ^^


その後、彼女からの返事はありませんでした。
生きてさえいてくれたら良い。できたら笑顔が戻っていてくれたら。
そう願ってやみません。


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