書くのやめたい。
DiaryINDEXpastwill


2007年09月24日(月) 俺とクソ親父の黒歴史

おーい

最高に盛り上がっているのに
なんでテレビ放送無いんですかー?

巨人ー中日戦

現在
我がジャイアンツは2点のビハインド

ラジオじゃダメだ・・・

こんな事してたら
プロ野球人気なんて上がるわけないよな



今日は俺の中ではタブーの話

父親の話をしようと思う


俺は東京の練馬区で産声をあげました

おぼろげにしか記憶は無いのだけど
一戸建ての割と大きい家に住んでいた記憶がある

毎日
お袋に手を引かれて
豊島園の近くにあった喫茶店で
モンブランを食べるのが日課だったという
プチセレブな生活を送っていた

親父は巷でちょっと有名な調理師で
収入もそれなりにあったようだ


ただ
無類のギャンブル好きで女遊びも激しくて

多額の借金を背負い込む事になりました

ギャンブルに金をつぎ込み
サラ金に手を出し
ギャンブルで浮いた金は女に貢ぐ

首が回らなくなって
会社の金に手をつける

絵に描いたような転落ぶりを発揮して

一戸建てから
家賃1万円の木造平屋建てに引越し


そのころからは親父の暴力も酷くなってきて

まだ小さかった俺は
度々親父に殴られては
壁まで吹っ飛ばされていました

たまに遊びに連れていってくれる時も
行き先はいつも競馬場

俺はただ
競馬場で食べられる牛丼が目当てで
喜んでついていっていたのだけど

親父がここで大事なお金を賭けて
人生を棒に振っていたなんて
子供の俺は全く理解してませんでした


年月が過ぎて
俺も物事の判別や善悪の区別がつく年頃になり
お袋から全ての話を聞きました


俺の親父に対する思いは


殺意


しかありませんでした


そして
いつものように俺に暴力を振るおうとした親父に
初めて反撃を試みました


結果は
親父の鼻の骨を叩き折るという
金星を挙げる結果に


それから半年後
親父は家から去っていきました

お袋が少しずつ貯めた
僅かなお金と

俺と妹が毎年1円も使わずに貯めていた
お年玉を積み立てていた通帳を持って・・・



それから20年の月日が流れました

俺は32歳になり
ずっと目標にしていた一戸建てを
現在、建設中です


「 いつかきっと、あの家を取り戻すんだ 」


という思いだけで頑張ってきた結晶が
ようやく形になるんですよ


今でも親父の事は憎いです

もし
偶然にでも出会ってしまったら
俺は何をするかわからない・・・

でも
その時の反面教師の存在のおかげで
今の俺が居るんだと



だから
これから先は
俺とお袋と未来の嫁さんと子供で

必ず幸せを掴んでやろうと
心に誓っているのです



長くなったなぁ・・・
意味がわからない文章になってしまったけど

ちょっと熱くなっちゃったなぁ^^;


にくじゃが |MAIL

My追加