2011年03月31日(木) |
「奇子」「バオー来訪者」 |
手塚治虫『奇子』(あやこ) 荒木飛呂彦『バオー来訪者』 地元の古本屋で見つけたので購入。 「火の鳥」は揃ってなかったから諦めた。
ラーメンズの『ATOM』の「のす」って口癖はおそらく『奇子』(あやこ)の土地の方言からきたの…かなぁ。
…感想。 あとがきくれ。 あっけなく終わりすぎて釈然としない。 悲しむヒマもびっくりするヒマもなく、読後に時が止まった。そんな感じ あとビリーバットをちょこっと思い起こした。 文系のくせに歴史に疎いのはあかんな。 でもいい作品。
あ、「バオー」。 これが世に聞く音の拷問かぁ。とか、 そういうのしか考えてなかった。 アクション要素が強すぎて…と思ったが多分、時代(あとがき)から考えるとSF漫画ってのはエンターテイメント性が強くて、そこに込められた、描きたいもの、と求められるものを兼ねて描くとああなるのでしょう。
私は自分以外の立場に立たずに相手を責めたり馬鹿にする奴が苦手だ。 (「自分以外の奴は大抵みんな馬鹿」と思ってる奴も) けど自分はいつまでも自分。「相手の身になった」つもりでいる自分。
それを越えるのが 優れた文学や漫画の視点なのだと思うさ。
そんで、やっちゃいけんことを経験して、 自分の知らない他人を具体的に味わって 失っちゃいけないものを擬似的に失って、 成長して、 自分なりの現実を生きるのです。 現実で本当に大事なものを失う前に。
行けないとこにつれてってもらえる役割ももちろんあるんでよ。 (つか、俺だって大体は漫画にコレを期待して読んでる。)
でも現実はうまくはいかんです。 多分こんなこと考えるのは地震のせいだ。 地震は遠くで起こるのです。 自分の身に起こらないと考えることもできないんだ。
僕もそういう僕の嫌いな人間の一面を持ってるってこと。 今日はなんか少し虫の居所が悪いようで。
僕はなんで書くのだろう。 書いて、整理された気持ちは、「本心」なのか。 誰に、見せるのか。 わからない。
多分、見られたくない。 だって、こんなの。狂ってると思うだろう。 いつもはフツーなんだ。
これを書いて未来の自分に見せたいのだろうか。 今の自分が見るべきなのだろうか。
ただ、見る人には、遠慮なく、見せたい。 これが、自分なのだと。
今日はほんと疲れたな。
ダメだ、なんか感情がたかぶって。 上記の「苦手」な奴に該当する人物に出会ったんだ。 いつもはかわいこぶってて、でも俺が知ってる時から陰険なんだ。 つぶやきからその陰険なとこを久々に垣間見て、 それ自体は全然大したことじゃないんだけど、 今までのその人の性格を思い出して ものすごく気分が悪い。
やはりこれは今の自分が(書きながら)読むべきものでもある。 ダメだ。そういうこと言う自分も嫌いだ。 偽善者だし、ナルシストだ。 疲れた。 寝るのす。
|