舌の色はピンク
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6時起床。晴れ。 今朝はやることが多いが スーパーに行く必要がないし弁当も作らないしで 8時半までのルーティンはむしろ余裕あった。
ケーキの仕上げは大失敗。 前日にナッペまで済ませたケーキを ケーキボックスに移動させるにあたって、 どうしても形が崩れてしまう。 昨日仕上げてしまうべきだったのだ。 苺の鮮度の都合であきらめてしまったが…。 もう持っていくのは諦めようと妻には言った。 そぁそ。持ってこうよと譲らない。 だめもとで思い切ってスライドさせてみると、 まあ崩れてはいるが最低限の形は保ってもいる。 余っていたクリームで側面をナッペし直して なんとか体面だけはつくろった。 これを姑息というのだと妻に説明した。
午前中、時間がぽっかり10分ほど空いたから 娘を一度大宮前体育館へ繰り出し遊ばせた。 昨日ほどではないにせよ、僕と二人でまあまあ楽しんだ。
で11時前に離乳食あげきって、 身支度してたら妻の友人から懐妊の報告。 とても嬉しくなる。 予定日はもう来月らしい。 この前と同じルートで実家へ向かう間、 話題はほとんどそれでもちきりだった。 親となる準備、心構え、買ってよかったもの、 なにかしてあげられるアドバイスはないかなど 妻と延々話して楽しかった。
12時半前に実家へは到着し、娘の様子をうかがいつつ飯の準備を進めた。 チヂミ、ナムル、豚肉などたくさんの惣菜が並ぶ。 ぜいたく品はなくともなんとなくご馳走感はある。 僕はトックを作った。 野菜は切って持ってきたから楽だ。 兄一家は12時半過ぎに来て、三男はようやく座れるようになったくらいだが 長男と次男は暴れまわって騒がしい。 その賑やかさはかつて僕が少年だった頃に 毎年正月の熊谷で体験していた喧騒に似ていて微笑ましくなった。
次兄を除く全員揃っての挨拶とお年玉のイベントを済ませ飯をくう。 娘と甥っ子…兄の次男をからませてみたが結構遊んでくれていた。 集まりはどうしても子どもたち中心となる。 だが友だちでもなし、こうした家族イベントなら悪くない。 食後に出したケーキは味は好評だった。 見た目は大失敗だったが…
15時半前に兄一家はおいとま。 僕らは母と一緒にバス停に歩いていき、 16時過ぎ、あらお兄ちゃんから地震大丈夫ってきたわ、と母が言う。 揺れていたことにも気づかなかったが、 石川で震度7であったらしい。 さすがに驚いた。 だが東京では全然揺れに気付けなかった。
行きと同じくバスから電車と乗り継いで、 荻窪駅でどうしても妻が寄り道したそうにしていたので許可した。 僕と娘は先に帰路へ。 そのバスのさなかでは、乗客の携帯やバスのアナウンスで 緊急地震警報アラームがガンガン鳴っていた。 帰宅して番組を確認してみると各局が総じて震災の報道。 東日本大震災を思わせる。 Twitterもそれ一色だ。 東京が揺れなかったから実感が薄いが、 それでもこれは思っていたよりずっと深刻だと青ざめた。 とくに津波の報道については痛ましかった。
僕が娘を入浴させている間に妻が帰宅したようで、 浴室の僕へ、保湿やろうかと呼びかけてくれた。 ありがたくお願いし、おかげでややゆっくり湯舟に浸かれた。
自分らの夕飯はクリームシチュー。 余っていたオマール海老のルーと いつものコーンクリームのルーをブレンドした。 かなり美味かった。 実家からもらったくぎ煮でご飯も進む。 報道は大変なことになっていたが、 あまり見すぎないようにした。 今できることはないし。
年賀状はほとんど来ず、年賀メールもろくにない。 元日にしてはものさみしくもあったが とりあえず家族全員元気で新年を迎えられたことがめでたいと 心から思えた。
民話読み聞かせて0時半就寝。
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