舌の色はピンク
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2024年11月10日(日) 今日も中野駅へ、風船空の彼方、娘なしで夕食

5時起床。晴れ。
娘の泣き声で目をさまし、例のよって抱っこ抱っことわめいてはいたが、
さすがに眠かったと見えて、体をくっつけていてやると落ち着き、
次第にまた眠りに落ちていった。
だがそのためにこちらはリラックスできない姿勢を強いられ、
寝直せず、ただただ横になっていた。
今朝はもう娘が寝たいだけ寝させよう、とことん付き合ってやる、というつもりで、
7時15分までそのまま添い寝。
ちょっと言葉を発してきたからそろそろ起きようかなというところで、妻も会話に参加。
その途端、また抱っこ抱っこが始まってしまい、結局抱っこして居間へ。
飯を食わせるとまあまあ落ち着いて、その後はわりと穏便に朝を進められた。
9時近くに洗濯物干して図書館、次いでスーパーへ。
強くねだるからバナナを買ってやった。
しかく帰宅してもイラナイと突っぱねる。子どもだ!
妻にはOKで買ってきたルーロー飯の弁当を食わせた。やたら美味い。
支度を進めていって、10時に3人で家を出た。

昨日とは違いまずはバスで荻窪駅へ。
娘はちゃんとルートを理解していて、
バスも電車も乗る、バスも電車もがたんごとーんとか、
やたらハイテンションで口にしていたが、
乗った後は降りたい降りたいとひと駅ずつごねていた。
距離が短いからまだ助かる。
中野駅に着いてからは、昨日行けなかった南口側を覗いてみた。
商店街主催の催しがあるような記載がチラシにはあったはずだが、
見つけられたのはタワマン下に設置された税についての特設コーナーのみ。
娘も全然乗り気でないし、もう早々に北口に移ろうということにして、
妻はマックでポテトを買いたいと言うからついでにハンバーガーも買ってもらい、
10分弱ほど歩いて四季の森公園へ。
昨日より人が少ないのはまだ時間が早いのと天気が曇り空であるのと風もあって肌寒いからか。
とりあえずベンチとテーブルのある席に陣取って軽く食べた。
風船を配っているらしいことに強い興味を示した妻は、
食べ終わった後早速2コもらってきたが、娘に渡すと即時飛ばしてしまった。
話さないよう言い含めても結局2コとも空の彼方へ。
僕も1コもらってきた。だが結局同じことになって笑った。
娘はこの広場では楽しそうに遊ぶ。
大人としてはただ見守ってるだけとなり、肌寒いこともあって妻にはやや負担だった。
公園内の建物施設へトイレに行くがてら、今日の隠れ目的である、
昨日忘れてしまったらしいストローマグが落としものとして届けられてないかを確認してもらった。
20分ほど娘とのんびり戯れて、戻ってきた妻が言うには、案内所にあたる場所がそもそもなかったとのこと。
僕もスマホで調べて電話をかけてみたが、駐車場運営の会社にしかつながらない。
仕方無しと諦めることにした。
枝や小石や葉っぱで遊ぶ娘に付き合いつつ、昨日も行った帝京平成大学のキャンパへ向かった。
妻はそこでわたあめを買って満足そうだった。
おおよそ昨日と同じような催しをしていたのだが、
幼児向けだった昨日と違って、今日は年長さんから小学生低学年向け、
という遊びがほとんどのようだったから、娘はほぼ遊べず。
肩車してやるとはしゃいで、そのテンションのまま外へ出て、
またしばらく遊ばせてやり、しかるのち駅へ向かった。
妻はかるく買い物をしてくると言うから中野駅で別れて、
僕は娘と荻窪に戻り、バスで帰宅。
途中で小雨が降ってきて慌てた。
家に帰ってからは大急ぎで洗濯物を部屋干しに切り替え、
娘にみかんゼリーやらアンパンマンポテトを食べさせて、
さあ寝るかと居間に横になったところ、一緒に横になるそぶりをみせつつ、
ジグゾーパズルを始めてみたり、そこいらをうろうろして、30分ほどは遊ぼうとしていた。
14時くらいに昼寝し始めて、僕も30分くらいは仮眠した。
昨日よりずっと楽だ。
それから、今夜のために家事雑事を済ませていき、かなり準備を整えていけた。
15時半頃目を覚ました娘を抱っこしてソファに座った後は何もできず、
FateのUBWをだらだら見直した。

16時前に妻は帰宅。
娘もだんだんと目を覚まして、泣かずにいてくれたから妻に世話を任せて僕はなおも各種の準備。
娘を風呂に入れて、保湿着替え済ませて、6畳をきれいにして、義母は予定より早い17時40分に来宅。
娘の夕飯はうどんにしたから、うどん玉を茹でて入れるだけという形にしておいて、飯の引き継ぎは完了。
歯磨きの要領は昨日伝えてあるので歯ブラシ一式を置いた場所を伝え、
寝室は暖房タイマーしてある旨も伝え、ぬかりなしという状態で、
僕と妻は外套を羽織り、さあ出るぞという雰囲気を出した。
アンパンマンを観ていた娘に、行ってくるねと二人揃って挨拶をした。
すると娘は泣き始めた。
普段は僕らのどちらかが行ってきますをしても平気でいるのに、
夜に、それも二人揃っていなくなるのにがさすがに強い不安を感じたのか、
猛烈な勢いで嫌がっていた。
義母に抱っこしてもらっても大泣き。
お父ちゃん、おとうちゃーんと叫んでいて、とても後ろ髪を引かれたが、
義母は任せなさいという態度を示してくれたのでありがたくお願いし、僕と妻は外へ。
妻は、結局お父ちゃんか、と苦笑していた。

雨も止んでいたし、空気はちょうどよく冷えていて気持ちがいい。
やはり娘なしの夫婦で歩く時間はスペシャル感がある。
西荻までの道のりは話しているとあっという間だった。
結婚記念日に選んだ店はもんじゃ。
もうとにかくもんじゃが食べたいという妻の飢えが面白かった。
だが時間の制約が気負いとなり、予約はとらなかった。
実際店についてみると、カウンター席のみでの案内になるという。
そして座ったあとで、もんじゃはテーブル席でしか提供できないと知らされた。
もんじゃを食べに来た身であるから、申し訳ないけれども…と店を出ることにした。
店の人も愛想よく、またお願いしますと物腰柔らかに応対してくれた。
もともとは西荻ならもんじゃ食べれなくてもなんとかなると考えていたが、
妻が完全にもんじゃ脳だから、これはもう駅移動するかという判断へ。
妻が調べて妻が電話して、荻窪の店に席を取った。
ひと駅移動して19時前に目当ての店に入店。
やたらと漫画の置いてある店で、妻は以前友人と利用したらしい。
さあ食うぞと意気込んで。もんじゃもサイドメニューも好きなものを食っていくことに。
妻の好きなベビースターやらのトッピングを普段僕は好まないが、
今日はこの鉄板の上で起きる出来事について何も文句は言わない、と宣言した。
会話の中心内容はTwitterの振り返り。
フォロワーに自由に声掛けして一冊の本を編集するならどんな本かだとか、
これまでに印象深かったやり取りはとか、
ちょっと会ってみたい人はいるかといった話題をだらだらとして、
それから、人とどのようなコミュニケーションをこれからとっていくことになるのか、
人になにを期待してこれから付き合っていくのか、
面白さと善悪はどちらが大事になるか、ああだこうだ、そんな話をした。
意図的に娘や家などの話題は避けたのもあって、懐かしいような会話内容となり、
僕としてはとても楽しかった。
もんじゃもたらふく食べた。僕はお好み焼きも。
妻は義母からの連絡を気にしていた。
電話が入ってこない分には順調なのだろうと信じられる。
21時に帰宅する約束であるから、ちょっと早めに、20時半くらいには店を出た。
雨はほとんど降ってなかったし、この調子のまま会話しつつ歩いて帰ることにした。
妻は食べすぎた食べすぎたと言い、体重をこちらに預ける格好で、歩くペースはかなりゆるめ。
それでも離していると30分弱はあっという間だった。

21時ぎりぎりに帰宅してみると、義母は居間にいた。
娘は20時半くらいには寝付いてくれたらしい。
僕らが家を出たあと、なおも泣いていたから試しにテレビ電話で広島の”じいじ”と通話させてみたところ、
娘のリアクションはうすかったそうだが、切ったあとは自らノリノリで遊び始め、
かなり余裕をもって過ごせたらしい。
夕飯はうどん、プチトマトともに完食。
歯磨きだけ、終わるころにフッと想起したのかお父ちゃーんと泣き出してしまったそうだ。
それでも寝るのに支障はなかったようで、楽勝でしたよーと義母は笑ってくれた。
ありがたい。本当にありがたいことです。
夫婦の写真も一枚撮ってもらった。
ただ妻がお腹いっぱい動けないウエーという調子だったから、義母は僕がひとり玄関で見送った。
妻が入浴している間はさあ家事やっつけるぞーと行きこんだけれども、
ちゃんと部屋をきれいにして出てきたし、あんまりやることがなかった。
妻は風呂を出てきた後、電気カーペットを敷いた6畳でごろごろとしていた。
僕は同じ場所で飢えた子羊をプレイしていた。
妻は、ああ暖かいしごろごろできるし夫がすぐ横にいて
一緒に何するでもなくただダラダラできるの最高に幸せ、と満足そうだった。
僕もとても満足度高かった。
お腹いっぱいで、娘を預ける件も順調に済み、きれいに片付いた部屋でのんびりできるというのは格別だ。
いい結婚記念日になった。


23時前から寝支度。
日曜夜のルーティンはがっつりあるから、結局寝室入りは0時近くとなった。
あまりにも眠く、民話読み聞かせは断念。
即興のお話だけしてやって、0時半就寝。


れどれ |MAIL