アータン三宅の何でも聴いてやろう
目次|ひとつ前へ|ひとつ先へ
2008年06月14日(土) |
とりあえず学んじゃえ |
今では、僕の生涯最高の一枚となったビーチボーイズのアルバム『ペットサウンズ』も 出会った当初は、お気楽な普通のポップスとしてしか聴こえていなかった。 モノラルだし、ハードじゃないし、超絶技巧じゃないし、何よりもジャケットがダサいし。 当時夢中だったキング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』や イエスの『危機』、あるいはピンクフロイドの『狂気』といったいわゆるプログレッシブロック の大仰な音創りに比べると雲泥の差とも言えるほどの「底の浅さ」を感じたのだ。 ホント、若さは馬鹿さというけれど、何ともお粗末な22才の頃の俺。
音楽を聴く耳(言うまでもなく、耳とはイコール、脳のこと)というのは、鍛えれば鍛えるほど、 つまり様々な音楽を聴けば聴くほど、その筋肉に柔軟性と適応性が生まれてくるもので。 ただ、そこまでは到底至らない時期は、とにかく目の前にある音楽だけに夢中だから 他のジャンルの音楽を聴くときは、そのスイッチを切り替えることができない。 というよりそもそもそういう発想がない。だから、クリムゾンに感動した耳で ビーチボーイズを聴き、何ともお恥ずかしい価値判断をしてしまうわけだ。 ビーチボーイズの本質は、クリムゾンとは別の≪次元≫に存在するということ。 そこに気づくか気づかないか・・・。である。
ビーチボーイズの本当の凄さを理解するためには、 リーダーであるブライアン・ウィルソンに影響を与えた音楽との関係性から 学んでいかないと、一生かかっても音楽の秘密を解く糸口すら見つからないと思う。 僕らの想像を遥かに超えた深い表現世界がそこにはあるのだ。 あえて「学ぶ」という堅苦しい表現を使ったが、でも、そういう言葉しか浮かばない。 たとえ趣味の世界でも、学ばなければ何も聴こえてこないし見えてもこない。 でも、そういう発想を持てない音楽ファンがほとんどなんじゃないかな?って最近思っている。 別にそれを批判するわけではないが、音楽ってただ音を楽しむだけの道具にしておくには もったいないほど豊かな情報を持っているもので、そこを突き詰めていくと、音楽の後ろに広がる 精神世界のようなものまで見えてきてしまうから、不思議。 芸術には一生付き合ってゆく価値がある。その世界に足を踏み入れたからには、 道なき道を進み、切り拓いていく覚悟みたいなものがあってもいいと思うな。
|