2009年11月02日(月)
「あのとき、独立すれば?ってすすめてん」
母がおもむろに話し出しました。 とはいえ、この話はよく聞きます。 何度も話したくなるほど、母は気にしているのでしょうか。
当時、宮大工だった父は、仕事仲間のすすめで一般の大工の棟梁として独立することをすすめられていました。 そのほうが儲けがいいから。 そして、母の一言で、工務店を経営する決意をしたそうです。
「あのまま、宮大工でいたら……ねぇ……」
しんみりモードで母が言います。 人生に「もしも」はありません。 でも、「もしも」を想像することは、楽しいことでもあります。
「あのまま、宮大工だったら、国宝だったかもね」
母が言いました。 まさに、そのとおりです。
父が屋根を張った清水寺の舞台は、もうほかの大工さんに張り替えられたようですが、それでも、そこは私たちには「父の遺産」。
国宝にはなりそこねたけど、私たちには「家宝」でした。 家族って、お互いがお互いを「家宝」に思うことなのでしょうか?
「家族」を途中でなくした私には、どうもよく思い出せません。
おやすみ。
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