2015年03月06日(金)
いわゆる「施設」に入ってもう20年近くなる祖母を訪問すると、いつも大声で笑ってくれました。
わはははは
と笑い、少し静かになり再び、
わはははは
と笑いまいした。 ずいぶん前から重度の認知症ですが、でも笑っている祖母に会えるので私はたびたび祖母の施設を訪れるのが好きでした。
祖母は私が生まれたころからそばにいました。 私のアルバムには祖母がそばにいる写真が多く貼ってあります。 祖母と兄と公園で遊んだ記憶がたっぷりあります。 幼いころから、私と兄のそばに祖母は寄り添ってくれていました。
若いころ、奉公していたときのこと、戦争時代のこと、敗戦のときのこと、おじいさんと結婚したときのことなど、私の知らないことをたくさん教えてくれました。
いつしか認知症がすすみ徘徊をしだして警察のお世話になることも何度かあり、やむをえなく施設に入所することになりました。 こういう歳のとり方もあるんだな、と私に教えてくれているんだと思いました。
私が高校1年生のときから、祖母との二人暮らしが始まりました。 お弁当に必ず入っていた紅しょうが。 母より上手だったオムレツとポテトサラダ。 白菜の浅漬け。 年末に作るおもち。
朝、私を起こす声。 祖父のお仏壇に供えるごはん。 飼い猫の「太郎」に語りかけるときの柔和な瞳。
祖母との思い出はまだまだたくさんあるけれど。 あるけれど……。
先日、祖母は亡くなりました。
享年100歳。 大往生でした。
私が大学受験のとき、祖母に言いました。 「私が一生懸命に勉強してずっと養ってあげるから長生きして」 養ってあげたわけではないけど、長生きしてくれました。
「若いころの苦労は買(こ)うてでもせよ」 一人暮らしを始めて寂しくてたまらなかった私を慰めるために、よく言ってくれた言葉です。 今も身にしみています。
私が遅まきながら「ひ孫」を連れていったとき。 誰がきてもわからないくらいひどい認知症なのに、私の生後11ヶ月の長男の顔を見たとたんに、 「あぶぶぶぶーー」 と赤ん坊をあやしていたおばあちゃん。
親戚が集まりました。 涙のない葬儀になりました。 ありがとう、の言葉に満ちた2日間でした。
幼いころから私を知るかけがえのない親族が、長男と次男坊をあやしてくれていました。 そっか。 こうして、世代は受け継がれていくんだ。 万が一、私がいなくなっても、この人たちがこの私の宝物たちを気にかけてくれているんだろうな。
いえ、私は長生きする予定です。 わが子たちが巣立つまで。 できれば、孫の顔を見られるまで。
おばあちゃん、約束、するね。 ありがとう。
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