フタゴロケット
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2008年10月20日(月) |
アボガドと向日葵付随する悲しい音 |
たまたま入った書店で私は果物の名前の作家の本が気になり買った。
そして隣接された(便利な事だ)パン屋兼カフェに入り、カフェオレを注文して恋の始まりのような甘さに調節してストローを舐めた。
ウェイトレスは暇なのか、店内の所々に置いてある観葉植物を見回している。彼女は純白のとても長い帽子を被っていて、そしてそれがとても似合っていた。
そういえば私は以前、パン屋さんで働いてみたかった。 私の弟はパン屋さんで働いていた。
「良君はあの背の高い帽子をかぶるの?」
と私が聞いたら
「かぶらないよ」
とはにかんで言った。
昔、私がとても好きだった人が弟を気に入っていて、良く遊びに連れて行ってくれた。彼は歌がとても上手で、背がすらっと高くて、唇がセクシーな人だった。他にも沢山形容詞があるのだけれど、何となく、時間が彼の影を風化させてしまって、悲しいけれど私は上手に思いだせない。
彼はピザ屋さんでバイトをしていた。 林檎ちゃんの歌を初めて知人の車で聴いたときに、ピザ屋さんの彼氏の事を歌っていて、やっぱりピザ屋って何だか色っぽいよなとか、何だか適当な事を思ったりした。
店内は閑散としていて 私ともう一組熟年のカップルが居るだけだった。大きくなったパキラが緑の葉を茂らせて近くに居る、ウェイトレスのお尻を触ろうとしているのを私は何となく見つめた。
本を開く。
短編集で 私はゆっくりと2,3の物語を読み 珈琲を飲んだ。そしてまた其れを繰り返した。物語に私は時々同調し、反論し、陶酔し、些か反芻に疲れて、瀟洒な白のテーブルに裏返しに置いた。
そして珈琲を一口、口にした瞬間私は突如、ピザ屋の元彼の事を鮮明に思い出して震えた。リアルに彼の香りがして私は周囲を伺い挙動不審になった。丁寧なSEXや癖のある髪や真っ赤なギターを得意そうに弾く仕草が流星のように頭の中に降ってきた。息苦しくなって、ストールを取り、珈琲を一気に飲み干した。
彼はいつも珈琲を飲んでいた。
「お前が入れた珈琲じゃなきゃ駄目だ」
彼はそう言ってくれた。 私は毎日一生懸命入れた。 珈琲を入れるという行為に対して、色々な書物を読み漁り、豆の知識を吸収し、温度もきちんと管理し、高いサイフォンを買い、死力を尽くした。
そして彼の満足そうな顔を見るたびに私は満たされた。
彼は食べ物を美味しそうに見せる特技を持っていて、ある時誰かから、アボガドを貰ってきて食べていた。 帰路に着きアパートの戸を開けると、彼が余りにも美味しそうにそれを食べているものだから、「少し頂戴」と云って美味しそうなイメージを頭の中で風船のように膨らませて口にした途端、甘美なイメージはガラガラ崩れ去って、瓦礫の心にヒューヒュー隙間風が吹き荒れた。そして尚且つ少し戻しそうになった。
「ねぇ・・・?」 「ん?」
彼はどうしたのだ?というように私を見つめて不思議そうな顔をした。
「此れ・・・美味しいかな?」 「いいや うまくねぇよ」 「・・・そうか」
何となく奇妙な気持ちながら私は安堵して、食べかけのアボガドをキッチンに置いた。
私は彼が腕をまくって洗物をするときに見える、昆虫の刺青が好きだった。もう兎に角何でも好きだったのだけれど、所々で一気に(好き)という感情がレッドゾーンに入るのだ。そのまま押し倒してやろうかとも思うが、ぎりぎりのところで自制する。羞恥は大事だ。
そうそう、彼はそして不思議な力持っていた。
彼は言った事を現実にした。
どうしようも無い嘘を吐く事もあったし、無意味なユーモアを特に好んだけれど、要所で彼が云った事は、ゲンジツになった。其れはタイミングが良さかも知れないし、たまたま事が起こっただけなのかもしれないけれど、私は何となく彼の力のようなものを密かに信じていた。
その日、アタシが運転する車で皆と出かけ、目的地に辿り着くまでの行程は殆ど山道で雨が降っていた。私は彼の濃紺のアーデン使用の古いジャガーのハンドルを握って運転していた。何で私が運転していたのか忘れてしまったけれど、兎に角運転していたのだ。彼は助手席に座り前を走行する車を見ていた。前を走る知人の車は、雨だし元来、飛ばす人種でも無い。
彼が唐突に言った。
「あいつ事故るよ」
こんな事を言ったらH君に怒られるかも知れないけれど実際H君は事故を起こした。彼自慢の丸目4灯の20年前のBMWは見事に崖から落ちて廃車になった。奇跡的に誰も怪我は無かったけれど、私は事故ったことより彼の一言が何だか頭の奥の方で鈍く重い音で響いていた。 そして微妙な電波の中、友達に助けを呼んだら「直ぐ行く」と言って、向ってくれた友達は途中でオーバーヒートを起こして、結局ジャガーのトランクまで使い、大量の人をすし詰めに乗せて私達は山を降りた。
彼はある種のオーラに包まれていて、時々近寄りがたく、でも私はそういう所にも惹かれたかもしれない。
優しいし、良く笑うし、ハンサムだったけれど、時々どうしようも無く悲しい顔や私が絶対に入っていけないような寂しそうな顔を見せた。私はそんな顔を見る度に泣きそうになるのを堪えてじっと黙って、静かに音楽を聴いた。そんな時は時間が無駄に、永遠と続くようで、とても苦しかった。
彼がある日突然、ふわふわとタンポポが新しい種を春に運ぶように言った。
「俺達別れるぜ きっと」
私は暫く何も出来ずに 何もしなかった。
私は彼が居なくなった事よりひょっとしたらその言葉のほうが苦しかったかもしれない。分からない。両方。
そして彼は荷物を纏めて家を出た。元々彼は私と違って荷物が少ないから そんなに大した作業じゃなくて、簡単にパッキングを済ませて、簡易的な抱擁を残して、私の前から去った。追おうか、追うまいか、迷っている時点で負けだ。何も考えないで追えば良かったのだ。
彼はきっと自分の生き方を変えないだろうし、変わらないだろう。私は予想以上に疲れていて、彼の事が好きだったのだろう。
彼はルーマニアで狂ったよふに咲く向日葵に恋をした。
珈琲はすっかり冷え切ってしまって ウィンドウの外の街行く人は時々寒そうに襟を立て女の子達は俯いて 男の子は斜め45度に空を見上げていた。 何だかそんな事を考えていたら携帯が鳴った。
何処からか時期外れの向日葵の絵が送られてきた。
フタゴロケット
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