Now and Here
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知人の逝去にしょぼくれて
他人様のやさしさに救われた一日。
眠ったのか、眠ってないのか 定かでない状態で朝を迎えます。 ジサマがちょうどディサービスの日で、助かりました。
「 お友達がね、昨日亡くなったのよ 」
こんな風にさらりと話すことが出来ました。 そして、やっぱり家に戻ってきたときには きれいに忘れてました。 こういうときは、痴呆という病気に救われるような気がします。
訃報を知らせてくれたお友達に 何はともあれ、予定通りに梨とパンを送る手配。
ただでさえもあまりよい状態とはいえない人に 今回の知らせはかなりのダメージだと思う。 「こんなときに、非常識と非難されるかもな。。。」 そんな考えが何度も頭をよぎったのだけれども。 まずは、生きている人間です。
この日記の題にもあるように
” Now And Here ”
だから、あえて、非難されることも覚悟で動くことに。 黒髪神社も近いので、ある程度動いてから 故人を偲んでお参りでも。。。 思っていた矢先に 目の前を通ることが判明。
なんとなくその前から例のごとく 左のコメカミ付近に軽い痛みが走ってます。 結局。先に呼ばれていたと判断して、先に参拝。 あいにく神主さんとはご縁がなかったのだが 気持ちが少し落ち着いた気がしました。
そこから行く先々で、知らない人だったり おなじみの方だったり。。。 妙に話が弾んで、沈みがちだった顔が上を向きはじめ。
他人様の何気ないやさしさが、身にしみます。
今回。ダメージのあった方々にも そんな素敵なご縁が用意されていますようにと 祈るばかりです。
帰りの道すがら、小学校の前の小さな看板に目がいきました。 標語のようです。 走りながらなので、ろくにわかるわけもないはずですが ひとつだけ。。
友達は お金で買えない 宝物
子供って、賢者のかけらをどこかに隠し持っているような気がしました。
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