光と影のこと。 - 2012年09月09日(日) 日曜。従兄弟の結婚式に出席するため帰省してきた。 6月に別の従弟の結婚式に出た際に暗い日記を書いて しまったのと同じく、今回も思うところがあった。 こんなことを思う自分が、嫌になる。 でも、書こうと思う。非常に女々しく、暗い話。 *** 従兄弟は、私と同学年。幼い頃の写真には、二人で 写っているものが多かった。 住んでいた街は異なっていたが、それほど離れていた わけではなかったので、しばしば会うことがあった。 今、振り返ってみると、小中高大と、同じ学校には 通ってはいないものの、すべて同じ都道府県だった。 そんなわけで、何処かしら自分と相手を、重ねたり また、比べたりすることが、あったのだと思う。 今回も、久々に彼と自分を比べてしまった。 晴れ舞台に立つ彼は、本当に眩しかった。 花嫁さんも非常に綺麗で、二人とも幸せそうだった。 こんなことを言っては難だけれど、うちの親戚は みんな仲が良く、従兄弟たちも男連中ばかりだが、 年上の人は面倒見が良いし、年下もムードメーカーの 子達ばかりで、とても良い人たちだと思う。 他方で、自分は根暗で、何かと塞ぎ込む人間だった。 自分語りになって申し訳ないが、高校の反抗期と、 それと大学時代に父が亡くなった辺りから、こういう 親戚の集まりの場に出ると、気分が暗くなっている 自分になっていることに気付いた。 劣等感。そんな思いがあったのかもしれない。 従兄弟たちの両親は健在だが、自分に父は居ない。 あんなふうに、明るくはなれない自分。 こうして言葉にすると、完全に言い訳なのだが、 思考と行動がなかなか一致しないのか、やはり 今回の結婚式も、そういう思いを感じた。 ましてや、同い年の従兄弟の結婚式だ。 友人に恵まれ、地元で仕事に精を出し、職場の 人たちには好かれ、そして幸せな家庭を築く。 彼は、光の世界に居て、自分は影の世界に居る、 そんな気分になった。 まるで住む世界が違うような。 妬みなのかもしれない。でも憎い気持ちは無い。 彼自身、私は嫌いではない。むしろ印象が良い。 だからこそ、自分の嫌な面が見えて辛い。 とは言え、じゃあ自分はそんなに恵まれていない 環境に居るのかと訊かれれば、そんなことはない。 他の従兄弟や親戚が、自分のことを少し勘違いして いることから分かるが、結婚する従兄弟の彼以上に 私は恵まれている環境に居ると、周りは見ている と思う。もちろん片親なのはもはや仕方ないが。 (ちなみに、勘違いしている話は後述する。) 要するに、彼の幸せを祝いながら、そのあまりに 眩しすぎてそして羨ましくて、そんな彼と自分を 比べて、自分に嫌気が差した。 はっきり言って立派だと思った。すごい。 そりゃ、みんなから人気が出るはずだと思った。 この前の従弟の結婚式もそうだけれど、こういった 同世代の親戚が立派に、結婚式を催している のを見ると、自分はもう嫌で嫌で仕方なくなる。 自分のような影の人間は、みんなの前でこんなに 幸せに、立派になんて、なれる気がしない。 そう思ってしまう自分が居た。 結局これも言い訳なのだろうが。 *** 親戚が、私のことで少し勘違いしているという話。 あまり言いたくはないが、うちの親戚の従兄弟たち からしたら、私は、割と「デキがいい」人間に 見えるらしい。 もちろん、人間的にはそんなことは無い。 親類の集まりの場に居てもあまり口数は多くないし、 何より、そんな暗い雰囲気が出てしまっている。 だけれど、他の従兄弟たちに比べたら、大学を出て 東京でそれほど人数が少なくない会社に勤めている、 そんな自分を、「賢い」とか「たくさん稼いでいる」 とか思っている人が居るようだ。 そして「大きな会社だから将来安泰だ」なんてことも 言われたりする。 実際はそんなことは無いのだが。 自分の馬鹿さ加減を痛感しない日は無いし、もう三年目 なのに新人と変わらないくらいの安月給。 それほど大きな会社ではないし、今後の将来なんて 誰も分からない。今の自分の部署や職場だって、どう 自分の価値を高めれば良いか・評価されるために実績を 出したら良いのか、その実践が難しくて、辛い。 彼らが思っているように、「一度そういう大きい会社に 入ってしまえば、あとはラク。将来は保証されてる」 なんてことは、有り得ない。 親戚の人たちは、田舎だからなのか、私のように東京で 働いている人間は、地元で田舎の製造業とかで勤めている 人に比べて、仕事のハードさが違うと思っている。 何と言うか、これも理解できないことだが、東京で将来安泰 な会社に居るから、お給料も良くてさぞかしラクな仕事を しているのだろう、という意識があるようだ。 「どんな仕事をしているんだ。仕事は楽しいか」と訊かれ 「つまらないよ。何よりすごくヒマなんだ」と答えた。 すると、みんなはそれを羨ましがる。 東京で、大きな会社で、一日中ヒマにしているだけで、 良いお給料が入る、素晴らしいじゃないか、と。 本当にそんな状況が素晴らしいと思っているのだろうか。 実際はそんなわけがない。 思えば、「暇なのにお金が貰える」ということ自体が異状。 実際たしかに、今の私の職場は、あまり仕事が無い。 ただそれは、取引先や客との関係で繁忙ではない、という 意味であって、本当に一日中何もしてないわけじゃない。 だから、仕事が少なくても、次の繁忙に備えて準備したり、 または、仕事の運営を整えるために、資料なんかの改善を 行っていたりする。 (ただ、個人的には、馬鹿馬鹿しいような気もする。仕事が 無いのに、固定給を貰うためにそうやってわざわざ仕事を 作り出して働いているフリをしている状況が。でもそれは 今後のために大切なことなのも理解しているのだが・・) だから完全にヒマというわけではない。ヒマならヒマなりに 会社のために役に立つことを探してやらなくてはならない。 会社で本当にヒマにしていて何もしていなければ、それは 「会社に不要な人間」として扱われていくだろう。 「固定給を貰う」というのは、そういう社内の活動や貢献を 含めて、自分がどれだけ立ち回れるか、そういうので決まる 部分もある。 でも、親戚の人たちはそうは思わないのだろう。 私の伝え方が悪いということもあるのかもしれないが。 そんなわけで、勘違いしている部分はきっとあると思う。 これについては、母も、そうなんだろう。 将来安泰なわけない。会社がというより、働き方の問題だ。 現に、こんな働き方に不安と不満を毎日覚えている自分が、 このまま将来平安で安泰な日々を迎えられるはずが無い。 *** それと、上で「ヒマなのにお金が貰える」というのは、 おかしいと述べたけれど、そのことについても少し。 やはり、仕事をした分だけ、お金を貰う、というのが 普通の形なんだろうと思う。 そうじゃなければ、公務員でも何でもなったほうがいい。 個人的にはそんな気がする。 なぜなら、仕事は自分の能力を磨く場面であるはずなのに その機会が無いまま、決まった額のお給料を毎月貰って 手放しで喜んでいたら、将来が怖い。 「ラクして稼いで、のうのうと生きられて良いな」 そう言われている気がして、そう思えば思うほどに 周りの人たちよりも若いときに苦労して力をつけて 成功して本当にラクして稼いで良い暮らししたい。 そんなことを、思った。 だからやっぱり今の働き方が疑問だ。 とは言え、慎重に考えて行動したい。 無計画にこの立場を捨てるのではなく。 思慮深すぎてもいけないと思うが。 *** 総じて感じたのは、思ったほど自分は苦労してないな、 ということ。 結局はやはり、まだまだ甘ちゃんだ。 *** 2012/09/10 06:09 ...
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