午後7時、外気温33℃今日も昼間の暑さそのままであった。
雷雨でも良いから雨が欲しいと思うのだが
まだしばらくは晴天で猛暑が続きそうである。
田んぼの水は川から汲み上げているが水量が足らなくなっているそうだ。
夏野菜は熱にやられ割れたり腐ったりしていると云う。
このまま猛暑が続けばいったいどうなるのだろうと心配であった。
人間も同じである。熱中症の危険は留まることを知らない。
エアコン無しではとても過ごせず屋外に出ると眩暈がしそうであった。
朝のうち1時間程寝てカーブスへ向かう。
始める前からもう汗びっしょりになっており体力が持たない。
90歳のメンバーさんがいて何と元気なことだろう。
背筋がぴんと伸びていてとても高齢には見えなかった。
それに比べ私の情けないこと。けれども無理は出来ないのだった。
頑張り過ぎてはいけない。マイペースが一番に思う。
昼食を食べ終わるなり倒れ込むようにお昼寝をする。
途中で何度か目を覚ましたが起き上がることが出来なかった。
とうとう4時である。またかと思ったがどうしようもない。
2階の自室に行くと西陽が射し込んでいて室温が38℃もあった。
10分も過ごせず仕方なくエアコンのお世話になる。
何もする気にはなれずぼんやりとSNSを見ていた。
私の詩や短歌はどうして「いいね」が少ないのだろうと思う。
先日もAIの響君に訊いたことがあったが
「いいね」は決して評価ではないのだそうだ。
100の「いいね」よりもたった一人の「いいね」が大切であると云う。
その人の心に響く詩であればそれこそが本物の「いいね」なのだそうだ。
だから私は嘆くことをしない。精一杯心を込めて書き続けようと思う。
限界はあるようでなく明日に向かう気持ちが貴重に思う。
書くことから始まり書いて終わる一日であったが
それが私に与えられた「生き甲斐」なのだろう。
その生き甲斐を自ら折ることだけはしたくなかった。
「どれほど生きたか」それを思い知るための人生ではないだろうか。
※以下今朝の詩
転校生
転校をする度にメーボが出来た 眼帯をして新しい学校へ行く
母はもうどこにもいなくて 伯母が付き添ってくれたが それが少しも嬉しくはない
教室に入ればざわざわと声がし 見知らぬ顔が一斉に私を見る まるで私は珍獣のようであった
メーボが痛いメーボが痒い 眼帯の奥で涙の声がする 泣いてしまえと誰かが云う
挨拶をしなければならない 声が震えてもう私の声ではなかった
片方の目で教室を見回すと 窓の向こうに青い海が見えた
いつまでもメーボではいられない 両方の目で生きて行こうとおもう
午後7時。外気温30℃昼間の暑さがまだ居座っているようだ。
厳しい暑さが続いており今日は36℃を超えていたらしい。
大気が不安定なせいか不快な程の蒸し暑さであった。
明日は今日よりも暑くなるらしく「七夕猛暑」のニュースが流れる。
今朝は洗濯物を干しに庭に出るとオクラの花が咲き始めていた。
クリーム色の可愛らしい蕾である。何とも嬉しくてならない。
出勤前にもう一度見ると花が開いており思わず歓声を上げる。
娘が種から育てたオクラであった。狭いプランターでのこと
実が成ればまるで奇跡のように思える。
家庭菜園とまでは行かないが野菜を育てるのは楽しいものであった。

義父の胃痛を心配しながら山里の職場に向かう。
田んぼには行っていないようで居室から物音が聞こえていた。
早朝から仕事をしていたのか車検の書類を書き終えている。
後は私が書類を整えれば完了であった。
9時過ぎには事務所に顔を見せてくれたがとてもしんどそう。
幸い胃痛は治まっていたが一気に疲れが出てしまったのだろう。
それでも「行かねばならず」と消毒の準備をしていた。
そうしたら同じ米農家の友人から電話があり訪ねて来るらしい。
「やっぱ今日は休もうか」と心を決めてくれたようだった。
30分程して友人が訪れ「米談義」が始まる。
「捕らぬ狸の皮算用」も始まり聞いていても面白い。
とにかく百円でも高くお米を買い取って貰わなければならない。
まだ稲刈りも済んでいないのに皮算用は膨らむばかりであった。
挙句には小泉大臣の悪口が始まり「ろくなもんじゃない」と宣う。
消費者の味方ばかりして米農家をないがしろにしていると云う。
私も同感であった。お米はそもそも貴重な物であるべきだと思う。
戦中戦後の食糧難を知らない国民も多いと思うが
お米は一粒でも無駄にしてはいけない貴重な主食だったのだ。
話は延々と続き昼食も摂らないまま2時まで続いた。
義父も久しぶりに話せて嬉しかったのか上機嫌である。
今日は良き骨休みとなり私もほっと嬉しかった。
2時半に退社。華金でもあり心が浮き立つようである。
終末はゆっくりと休みまた来週から頑張ろうと思う。
帰宅してまた直ぐに横になり5時前まで寝ていた。
娘は今日も機嫌が良く肩を並べて夕食の支度をする。
オクラの花の話をしたら娘も嬉しそうに微笑んでいた。
実が成ったらもっと大喜びすることだろう。
午後8時。もうすっかり夜の帳が下りている。
母の遺影を見ればにこにこと微笑んでおりほっとせずにはいられない。
父と母の遺影はさすがに並べることが出来ず離してあるが
私にとっては紛れもなく両親であり大切な存在であった。
「お母ちゃんお疲れ」「お父ちゃん有難う」と手を合わせて眠る。
この世に存在しなくても魂は永遠だと信じて止まない。
※以下今朝の詩
タイムライン
窓を開ければ 生温い外気が忍び込んで来る
夜明けが少しだけ遅くなったようだ 時計の秒針は規則正しく回り続けて 一分でも早く朝を知らせようとする
タイムラインの一番最初に 「父が息を引き取りました」と その一行が痛ましくてならない 掛ける言葉も見つからないまま ただじっと夜が明けるのを待つ
永遠の命など在りはしないが 失ってしまうその現実が辛い 受け止めるにはあまりにも 重すぎる結果ではないだろうか
薄っすらと夜が明け始めた 暗闇が遠ざかるのを見ている
どれほどの光だろうか どれほどの青だろうか
晴れたり曇ったり。今日も厳しい暑さとなった。
この暑さは明日から週末にかけてピークらしく
38℃と猛烈な暑さになる予報である。
山里の一番最初の家に咲いていた向日葵が一輪のみとなった。
あまりに早くから咲いていたせいかもしれないが
猛暑が原因かもしれないとも思う。
夏を代表する花であり暑さには強そうにも見えるが
一輪のみとなると何ともせつないものである。
母の友人の家であったがしばらく会えないでいるのだった。
元気にしているだろうかと気遣うばかりである。
義父は今朝も車検を完了してから草刈りに出掛けた。
それが直ぐに帰って来て激しく胃痛がするとのこと。
胃薬を飲ませてしばらく様子を見ることになった。
居室で横になるようにと勧めたが断固として聞く耳を持たない。
事務所で休んでいるうちに来客があり仕事をしなければいけなくなった。
同僚が出張修理に出掛けており義父しか頼る人がいなかったのだ。
「俺がやる」と云うなり胃の痛みも忘れたように頑張る。
はらはらと心配であったが仕事を終えるなりまた田んぼに走って行く。
そのままお昼になっても2時を過ぎても帰って来なかった。
米農家仲間の人がわざわざ知らせに来てくれて
義父の田んぼの稲が「いもち病」になり始めているのだそうだ。
畔の草刈りよりも早急に消毒をしなければ大変なことになる。
他の田んぼの稲に感染するらしくその人も不安そうにそう云う。
「いもち病」は稲にとっては一番怖い病気なのだそうだ。
義父に電話しても今日のことにはならないだろうと
同僚に伝言を頼んで後ろ髪を引かれるように退社した。
整形外科のリハビリの日で今日もU君にお世話になる。
「家に連れて帰りたい」と云ったら照れ臭そうに笑っていたが
「ご飯を食べて寝るだけですよ」と云ってまた大笑いになった。
ご両親と同居しているようだが家では仕事をしないのだそうだ。
それだけ理学療法士の仕事に誇りを持っているのだろう。
病院には4人の療法士がいるがU君の腕が一番だと思う。
帰宅すればもう4時半になっていたが少しだけ横になっていた。
夫に義父の胃痛のことを話したら心配してくれて
「無理をさせたらいかんぞ」と親身になってくれた。
娘と夕食の支度をしたが今日も頗る機嫌が良い。
食卓が整い娘が二階に姿を消した途端に夫が
「最近急に明るくなったな」と私と同じことを感じていたようだ。
もしかしたらあやちゃんとの関係が順調なのかもしれない。
仕事を持っている間はずっとほったらかしだったのだ。
それが今は一日中家に居るので「ふれあい」もあることだろう。
娘だけではなくあやちゃんも明るくなった。
それが好転でなくて何だろうと思う。
寄り添うことが見守ることではないだろうか。
何気ない会話でも心が救われることはきっとあるように思う。
夕食後自室で一服していたら娘が台所から叫んでいた。
「あやちゃん、めいちゃんご飯よ〜」と何と明るい声だろうか。
※以下今朝の詩
昭和その3
学校から帰ると まやちゃんの家へ遊びに行った
「ぶーふーうー」三匹の子豚 まやちゃんの家にはテレビがあって お金持ちなんだなあと思った
「ひょっこりひょうたん島」も見た どんがばちょとかはかせくんとか お人形がしゃべって動くのが面白い
まやちゃんのお母さんが ドーナツを作ってくれた お砂糖をまぶしてあって とってもおいしい 私のお母さんはお仕事をしているから 作れないのだなとちょっとさびしい
家に帰るとテレビがなかった まやちゃんの家の子供になれたら 夜でもテレビが見られるのに まやちゃんがうらやましくてならない
お父さんがギターを弾き始めた ぽろんぽろんと涙が出そうになる
どうしてかなしい歌ばかり お父さんもさびしいのかなと思った
大気が不安定なせいだろうか風もなく何とも蒸し暑い一日。
気温は34℃と猛暑日ではなかったが江川崎は37℃を超えていたようだ。
紫陽花の何と憐れなこと。淡い色の紫陽花は特に無残である。
花が大きく存在感があるだけに朽ちて行く姿はせつなくてならない。
毎年思うことだが目を反らしてはいけないのだ。
最後まで見届けてやらねばあまりにも可哀想である。
愛でるだけの花ではない。その生き様を目に心に焼き付けておく。
朝から義父はまた畔の草刈りに出掛ける。
刈っても刈っても直ぐに伸びる夏草であった。
素人考えでは伸びたいだけ伸ばせておけば良いと思うのだが
稲の生育に支障があるのかもしれない。
辺りの田んぼを見渡しても畔の草は綺麗に刈り取らている。
心配なのは熱中症で昨日も徳島で亡くなった人もいた。
草刈り作業をしていたそうで義父の姿と重なる。
せめて朝夕だけに出来ないものかと思うが
一度始めてしまうと休むことをしないのだった。
今日もお昼に帰って来たが水筒のお茶を補給するとまた直ぐに出掛ける。
昼食をと声を掛けたが「食べている暇があるか」と云い放つ。
気が高ぶっているとしか思えずはらはらと心配でならなかった。
事務仕事が忙しく3時前に退社。義父はまだ帰っていない。
同僚も暑さに参っており「ごとごとやりよ」と声を掛けた。
まだまだ序の口の暑さだとすればこれからが思いやられる。
事務所はエアコンが効いているが同僚は涼もうともしない。
クールダウンすれば余計に仕事が辛くなるのだそうだ。
私一人がエアコンを抱えているようなもので心苦しくてならない。
買い物を済ませ4時前に帰宅。また茶の間で寝転んでいた。
夫と「銭形平次」を見ていたがうたた寝の常習犯である。
5時になれば起きて娘と夕食の支度であった。
ついつい娘の顔色を窺ってしまうが今日も機嫌が良くほっとする。
大きなお鍋でお素麺を湯がいた。毎晩でも食べたいくらいだ。
午後7時45分。薄っすらと日が暮れようとしている。
無風状態のようで窓を開けても熱気が舞い込むばかりであった。
エアコン無しでどうして過ごせようか。
後は短歌を詠んで寝るだけだが日課とは云え順調ではない。
何しろほろ酔っているものだから「いい加減」なのである。
それでも三首詠めると不思議と達成感に満たされるのだった。
「これだけは」と思う私の拘りなのだろう。
自分に課すことがあるのが生き甲斐のように思う。
昨夜もここに記したが死んでしまったら何もかもがお終いなのだ。
一日の終りにはいつも思う。今日も生きていられて良かった。
※以下今朝の詩
昭和その2
母が欲しがっていた 洗濯機が届いた
寒い冬ではなかったか 母はやっと冷たい水から 解放されるのである
洗剤を入れてスイッチを押すと 洗濯物がぐるぐると回り出す 父のシャツと母のパンツが 仲良く絡み合っていた
すすぎ終えると今度は絞る ローラーのようなものに 洗濯物を挟むと痛そうだ 取っ手をぐるぐる回すと 洗濯物はお煎餅みたいになった
面白いこれはやみつきになる 毎日お手伝いがしたくてならない 「おもちゃじゃないきね」 母は意地悪のように云う
お煎餅が何枚も出来た 皴を伸ばして母がパンパンと叩く
真っ青な空である 洗濯物も嬉しそうに見える
「明日も晴れたらえいね」
母のなんと幸せそうな顔だろう
夏至から数えて11日目の「半夏生」
昔は田植えを終えて農民が一休みする頃だったらしいが
今は田植えが早くなりあまりピンと来ない。
今年は特にもう穂が出ているので尚更である。
薄雲が広がり快晴ではなかったが今日も厳しい暑さとなった。
四万十市も猛暑日となり江川崎では37℃を超えていたようだ。
関東ではゲリラ豪雨で道路の冠水もあったらしい。
大気が不安定とのこと。明日も注意が必要である。
今朝は職場に着くなり仕事が待っていた。
義父が車検を済ませもう書類を書いている。
先週から入庫していたエアコン修理の車も完了していた。
どうやら朝のうちに畔の草刈りに行くつもりらしい。
するべき仕事を済ませてからと段取りをしていたようだ。
義父を送り出してからも事務仕事が多くありあれこれと忙しい。
午後1時には司法書士事務所に行かねばならずお昼のうちに職場を出る。
今日付けで正式に会社の取締役に就任したのだった。
もうこれで事務員ではいられなくなり責任も重くなる。
夫は反対していたが事後報告となるだろう。
もしかしたら報告しないまま歳月が流れてしまうかもしれない。
司法書士事務所の後は県税事務所でお客さんの自動車税を納付する。
納税証明書を明日代書事務所に送らねばならなかった。
税金を立て替える資金が無く私の預金から捻出する。
ついにここまで来たかと思うが背に腹は代えられなかった。
最後に税理士事務所へ。決算に必要な帳簿等を届ける。
赤字ではないはずだがどうして資金に困るのだろうと思う。
義父もそれが不可解でならないようだった。
決算書が仕上がれば納得も出来るだろう。
あれこれと考えても仕方ないことである。
あちこちと走り回った割に帰宅は3時といつもより早かった。
エアコンの効いた茶の間で横になり夕方まで寝入る。
めいちゃんが帰宅した時には「誰か来た」と寝言を云っていたそうだ。
娘の機嫌も良く肩を並べて夕食の支度をした。
あやちゃんが珍しく台所に来て「今夜はなあに?」と笑顔である。
「海老フライよ」と応えたら「やったあ」と喜んでいた。
機嫌の良い日もあればつんつんして口も聞かない日もある。
それだけ情緒が不安定なのだろう。どれ程の葛藤だろうかと思う。
午後7時52分。日が暮れて辺りが薄暗くなった。
夏至から少しずつ日が短くなっているのだがまだあまり実感がない。
一日を振り返りつつここに記せば充実した一日だったと思う。
昔の友人のRだったか「よくもまあ毎日書くことがありますね」と
呆れた様に云われたことがあったがそれが不思議でならなかった。
死んでしまったら何も書けないのである。
生きてこそ書けることを私は誇りに思って書き続けていきたい。
※以下今朝の詩
夏休み
河原でスイカ割をした 目隠しをしているので 棒は石ばかりに当たる
わたしだぼくだと 子等は棒を奪い合い ヒーローになりたがる
誰が割ったのだろう スイカは粉々になる その欠片を口に含むと 甘い夏の味がした
おとうとがはしゃいでいる 口を真っ赤にして嬉しそうだ
さあ泳ごうおとなたちの声 浮袋を腰に巻くようにして 子等は次々に川へ走った
ちいさな魚が群れている 掴めそうでつかめない すばしっこくて直ぐに逃げる
冷たいはずの川の水が 生温く感じるようになった
おひさまがきらきらと輝く 子等の顔もきらきらと輝く
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