| 2004年06月21日(月) |
2004年 一人暮らしから実家へ・ヒキコモリ・そして現在へ |
元旦は久しぶりに親戚の集まりに笑顔で出席できた。 幸せだった。 ずっとこういうのを夢見ていた。こんな光景を。
お付き合いを始めたばかりの人に会いに行き、深夜の神社でお参りをした。 冬の風は寒くて、でも心は暖かくて。
仕送りだけでは苦しいのと、何か短期のバイトを、と思いバイト面接などを始めた。
成人式が近づいていた。 振袖は持っていないので古着の目立つワンピースを着ていくつもりだった。 好きな人は、お付き合いしてる人から突然の別れを告げられた。 成人式には出られなかった。 哀しくて、何度も涙を流したけれど実家にいるのは甘えだと思い、アパートに戻って 受かったバイトをしたりして、帰ってきたら空虚感。 友達と遊んだり、夜、一人で歩いたり。
時間を持て余してるから辛いのだと思い、 長く出来るバイトを探した。 ゆっくり週3,4日出来るバイトを始めたが 家に一人で淋しくなるよりバイトをした方が効率が良いと がむしゃらに働き始め、 すぐに身体にきた。 またバイト先に迷惑をかけ、辞めた。
そして初めての体験をした。 体が思うように動かない。 トイレに行くのも一苦労、家の事が出来ない。 実家に電話をし、しばらく実家で休まさせてもらう事になった。 実家に戻って三日程で、体は動くようになった。 動くようになったら、今度は過食が始まった。 今まで張り詰めたモノが切れたように食べて食べて詰め込みまくった。 三月に実家に戻って二ヶ月経たないうちに体重は22�堊�えた。 当然、外には出られなく、ずっと引きこもっていた。 その現状がもう嫌だった。去年の繰り返しをしてる自分が嫌だった。
摂食障害を扱っている病院で有名な都内ではない病院に入院した。 入院は沢山してきたけれど同年代の女の子が多いのは初めてで、そこは薬にはなるだけ頼らない主義で ミーティングが毎日行われ、医師の診察もカウンセリングも予約待ちで、どうしたらよく分からず 私は、嘔吐しない摂食障害で、多くの人が嘔吐をしていた。 最初は気にしないようにしていた周りと自分の体型の違いも 同室のずっと食べ続けてる人のボリボリという音も、しんどくなり 一週間で退院してきた。 辛かったけれどミーティングで得る物はあった。 私以外に同じように感じてる人がいる事。 これには救われた。
入院から戻ってきて反動でか、二週間ほど食べまくった。 真っ暗だった。 未来も希望も期待も何もない。 抜け出したかった。 アパートにいつか戻るという希望は捨てた。解約をしてもらった。
以前、一人暮らしをしていた時の主治医は摂食障害を扱ったことがなく、 専門の先生が見つかったらその先生に移りなさいと言っていた。
家の近くの私が自分で通える距離の病院をひまわりで探し、 そこの病院で摂食障害専門の医者を紹介され 現在はそこに通院中。 家族療法とカウンセリングも行っている。
この先は6月15日の自己紹介にちらっと書いてます
| 2004年06月20日(日) |
2003年 ヒキコモリ・入院・一人暮らし |
年越しは病院の屋上で車椅子に座りながら迎えた。 付き合ってる人とは別れた。
整形外科での入院。 人間関係にしんどくなって過食が出始めた。 最終的には腕も切るようになって、人前に出るのが辛くなった。 ベッドのカーテンを閉め切る事が多くなった。 リハビリもさぼりがちになり、逃げるように退院した。 リハビリをサボっていた分、全然歩けるようになってなかった。
杖をついて歩いてるうちに足の骨が痛くなり10m歩くので精一杯だった。 また引きこもり始めた。 時間を潰すためにネットをし、はまっていった。 本当に一歩も外に出なかった。 朝方寝て、昼に起きてからご飯以外はずっとネットをしていた。
7月、家にいるが辛くなって、怖かったけれど外に出始めた。 体重は去年、増えたきり止まっていたのがみるみる減っていった。 いや、減らした。食べる量を少なくして外に出る回数を増やして。 太った自分を人前に出すのは恥かしかったけれど、それ以上に体重を減らしたかったし、ヒキコモリ生活には飽き飽きしていた。
20歳になった。 徐々に歩ける時間が伸びて昔の体型には戻せていなかったけれど友達と遊べるようになってた。 9月、ファッションの販売のバイトを始めた。 その時には強迫的にバイトでの服装を考えたり、体重を減らさなくてはと思いつめ、 初めて自己誘発嘔吐をはじめるようになった。 吐きやすいものを底にして、動けなくなるまで食べて指をつっこんで・・・。 苦しかった。 自分がもう一歩病の境地に足を踏み入れた気がして怖かった。 食べても吐いても満たされない。体重は減らない。お金は水のように流れていく。 バイトはすぐに辞めてしまった。 もう、死にたかった。 満足にバイトも出来ない。バイト先の人を困らせた。 体重を減らしたい。運動したい。幸せになりたい。愛されたい。 どれも自分のせいで駄目で、余計自分が要らないと思った。 過去にしがみついて、未来に希望を見出せなかった。
10月、2年前に元気をくれた沖縄に旅行に行った。 その時初めて、生きようと思った。生きたいと言葉に思えた。 2年経ってもここから見える海と空は変わらない。 海はいつだって波を立ててる。 私が死んでも生きてもこの海や空は変わらず明日も明後日も続いてく。 だったら生きてもいいのだ。生きよう。私なんかちっぽけだから生きてても。 そう思った。
沖縄から帰ってきて、東京の空気が重く感じ、所狭しとある建物に威圧を感じて 私が「生きたい」と思うようになったと報告した家族や親戚の反応は思った以上で、私に重くのしかかった。 家で憂鬱に過ごしているうちに母に依存し始めた。 自分でもどうして良いかわからなかった。 このままでは母までも精神を病んでしまうかもしれない恐怖と、自分を落ち着ける為、 母から離れる事を決意した。
入院。
一ヶ月順調に過ごして、退院と同時に一人暮らしを始めた。 入院中に毎日散歩していた+拒食が入り始めたのでまた体重は落ち始め 一人暮らしをして節約に燃えすぎて、私の人生で2番目に少ない体重になった。 ガリガリではなく健康体重だったけれど。でも私は満足してた。 一人暮らしは楽しかった。自分で買い物に行ってアパートの物を揃えて。
| 2004年06月19日(土) |
2002年 入院三昧・飛び降り |
発病してからの恒例になってしまった、年末年始は過食三昧だった。 10歳になる犬が亡くなった。突然だった。 落ち込みと過食が同時に押し寄せ1月の終わりにまた入院を希望した。 病院にいると集団生活だから過食をするのを抑えらる。 付き合っていた人とは別れた。 今度の入院はなかなか出してもらえなかった。 過激な行動を抑えらるぐらいになるまで。両親の意向だった。 春から外出届を出して週に三日学校に行き週末は練習として実家に帰った。 退院できたのは6月だった。
退院して、開放感からか学校には行かなくなった。部活にも。 ぽっちゃりしてるけど、外で遊ぶのが楽しかった。 外で出会った人と7月から付き合うようになった。 人を好きになって付き合い始めて数週間すると私は不安定になってしまう。 不安定になってしまった上に色々な事が起こり、 過呼吸になったり、ベッドから起き上がれなくなったり、それでも自分に鞭を打った。 10月からバイトを始めたがしゃかりきになって一ヶ月もしないうちに辞め 引きこもって食べまくった。寝てるか食べてるかだった。 空腹感を感じる前に食べ、満腹中枢なんかどこかいってしまって詰め込めるだけ詰め込んだ。 体重は15�堊�えた。 虚しかった。誰かに必要とされたかった。 必要としてくれてるのならそれを伝えて欲しかった。小さな子にでも分かるような言葉と態度で。 友達の指摘に怒りが爆発して、また行動に出た。 自宅のベランダから飛び降りた。運がよければ死ねると思ってた。浅はかな考えだったけれど。 飛び降りたと言っても二階、4mの高さから落ちただけで、 だけど下はコンクリートで開放骨折。両足だった。 クリスマス・イブに手術をして病院で年を越した。
| 2004年06月18日(金) |
2001年 リストカット・拒食期 |
また過食三昧の年越しを過ごした。 体重はちょこちょこ増えて外に出るのがしんどかった。 単位は落としまくっているし、「このままじゃ駄目だ」と1月下旬オープニングのカフェでバイトを始めた。 オープニングなので上下関係が少なく最年少17歳の私も沢山シフトに入れて接客も楽しく 週に6日・9時間程バイトをした。
ある日、バイトの休憩時間に携帯を見たら前の学校の子から着歴があった。 折り返し電話をした。 友達が亡くなった。昏睡状態の友達が息を引き取ったと学校で説明されたと教えてもらった。 店長に事情を説明してバイトを二日休ませてもらってお通夜とお葬式に出席した。 この日から少しずつ不安定になっていた。 ピンと張っていた糸が切れた感じ。 バイト先で過食をしてしまったり、バイトをドタキャンして自己嫌悪になる悪循環。 責任をとって辞めた。 ヒキコモリ始めた。
剃刀で腕を切るようになったのはこの頃だった。 何がきっかけは忘れてしまった。リストカットという存在はネットで知っていた。 痛いのは一瞬だけ。いや、痛みは後でお風呂に入って感じるだけで切る瞬間は痛いと感じなかった。 自己制裁だったから痛みなんかちっさなものだった。 自分を異常だとは思わなかった。 その行動は私には必要だった。 エスカレートしていくのも早かった。 手首は人に見られる。だったら二の腕を。 切った後、母と縫合してもらいに行く事も多々あった。
夏の大会が近くなり、バレーボールをしに学校に行き始めた。 腕を切るのは少なくなり、バレーに励んだ。 スタミナのない私はバレーの為とダイエットを兼ねてスポーツジムに通い始めた。 一日に食べものはバレーやジムで体を動かすためのおにぎり一個になった。 拒食期が来たのだった。 体重がみるみるおちていった。 おしゃれも楽しかった。 体を動かす筋肉と燃やす脂肪の体型になった。 大会では好成績を残して夏は終わった。 大会で知り合った他校の人と初秋に付き合い始めた。
大会が終わって、一ヶ月程部活は休みになった。 高校生らしくというのか、遊んだ。 週末は付き合ってる人と会った。 その時はおにぎりを食べる事も怖かった。 体重を維持しなければ。おにぎりすら食べなくなっていた。 数日に一回過食をして落ち込んで消費する為にしゃかりきに運動した。 そんな生活が続かなく、過食の日が増えていき恐怖に襲われ 食べてしまう自分が許せなくて腕を切ることが多くなった。 自分に存在価値があるのかと考え始めたのもこの頃だった。 何の為に生きていて、何の為に生きてゆくの? こんな私は生きてて良いの? 分からなかった。しんどかった。淋しかった。自分が嫌でしょうがなかった。 腕を切るだけでは満足が行かず薬を大量に飲んだりした。 些細な事で落ち込んで、些細な事で怒って、感情で表現出来ず行動に移しまくった。 過食が止まらない、ただ体重が1,2�堊�えただけなのに絶望的な気持ちになって 入院する事を母に頼んだ。 入院したら食べるのを制限できるから。と。 入院し、すぐに退院し、また入院。 クリスマスに退院して、待っていてくれた付き合ってた人と過ごした。
| 2004年06月17日(木) |
2000年 高校退学・再入学 |
学校を休む変わりに朝に過食をしていない日は図書館に通った。 数十冊の摂食障害の本、不登校の本を読み漁った。 よく書かれていたのは「良い子」「母親との関係」だった。 私は「良い子」のつもりはなかったし成績優秀でもなんでもなかった。 ピンと来なかった。 嘔吐するわけでもなく拒食なわけでもない。 「あぁ、嘔吐しない過食は稀だから当てはまらないのか」と自分を納得させていた。
担任に度々呼び出された。 「×曜日はこれ以上休むと進級出来ないから寝ててもいいから授業に出ましょう」 「せめて1年が終わってから辞める事を改めて考えてみたら?」 担任は熱心に接してくれたと思う。 辞める気持ちを固めていた私は2000年の1月、高校1年で学校を辞めた。 荷物を取りに行って、クラスメートに軽く報告をして。 クラスメートは驚いていた。らしい。 公立全日制高校に再受験をするつもりだったけれど母が持ってきた資料の単位制の高校の方がという事で その高校に向けて中学の時さぼっていた分の勉強をした。 小学校の時に通っていた塾にお世話になって勉強に励み2月、受験をしめでたく合格した。 過食は週に1,2回程。クリニックにも通ってカウンセリングを受けていた。 お弁当や晩御飯を作るのはやめた。 作ったら作った分、全部食べてしまう事が多々あったから。 体重はダイエットをする前に戻っていた。
春になり初めて通学定期を手に学校に通い始めた。 現役の子や私と同じように中退した子がいりまじった新入生。 年は関係なく新しい友達が出来たような気がした。 最初の一ヶ月は楽しかった。 男女共学で、彼氏が出来た。 いざこざがあり、すぐ別れてしまい 学校の最寄り駅でバイトを始めた。 部活も悩んだ末、6月ごろバレー部に入った。 部員が少ないお陰か、中学から弱小ながらやっていたお陰かすぐにレギュラーになれて 沢山出来たと錯覚した友達は随分減って片手で数えられるぐらいになったけれどバレーを励みにバイトをしつつ 過食した日はやっぱり学校をさぼってボチボチ毎日過ごした。
門限は暗黙のうちになくなっていった。 病気になってから母が少しずつ変わっていった。 過食をして辛い辛いと言ってる私を慰めたり、元気付けようと洋服を買ってくれたり。
正直、2000年の後半は記憶が薄い。 バイトを冬直前に辞め、大会が終わった部活はボチボチしか熱してなくて過食も増え、授業もサボる事が多く 単位を落として行く気がうせていった。そんな記憶。 通院していたクリニックで不安定になりやすい私は薬を処方してもらうようなっていて カウンセリングを必要としなくなった。 カウンセラーは「××さんは良い子でいなくていいのよ」とよく言っていたが 私は良い子のつもりは全くなく、そしてその時の悩みを一生懸命話しているカウンセラーが眠そうな顔をして聞いているのを苦痛に感じた、 そのうち、そのクリニックに通うのをやめてネットで探したクリニックに通うことにした。 今度の主治医に胡散臭さを感じなく、診察時間に時間を割いてくれて病院じゃない雰囲気の待合室のクリニックは居心地が良かった。
| 2004年06月16日(水) |
1999年 摂食障害発病 |
私が摂食障害になったきっかけは例に漏れずダイエットだった。
1999年 当時高校一年生。
中高一貫の学校に通っていて緊張感も現実味もなく高校生になった。 人間関係がうまく行ってないなかったけれど大好きだったバレーボールを続け、 お弁当も変わりなく作って登校してた。
部活での人間関係に期待をするのをやめバレーが出来ればいいやと感じ始めていた頃、 私のプライドが高いところ、不安定なところを見透かされてか コーチと顧問から冷たくされるようになった。 私はそういうのがとても苦手で干されるのが続きバレー自体が、部活の時間が苦痛になり部活を辞めた。
朝5時半に起きてお弁当を作って朝練をし、早弁して昼練をし、午後練習をするという事を続けていた私に空白の時間がたくさんできた。 暇で、テレビを見たり勉強するようになった。 そして晩御飯を作るようになった。 料理をするのは好きだったし、おこづかいがもらえた。 人に食べてもらうというのはとても満足出来る事だった。 家族の中で役立つ自分に満足出来ていた。
女子校だからか、ませてるのか年頃なのか、他校と交流のある子が何人かいて、 彼氏が欲しいだの、男友達が欲しい、ときめきが欲しい、合コンしたいだの、そういう話になり ある日他校の男子校と合コンなるものをした。 16、7歳の高校生がその頃する合コンとはお酒が入らず,ただカラオケに行ってプリクラ撮って・・・という絵に書いたような事をした。 合コン自体は非常に居辛いモノだった。 人見知りで,相手は周りにいない同年代の異性。合コンという、とても恋人作るゾ!の会には私には合わなかったらしい。 それでも少し気になる男の子が出来た。 何回かみんなで遊んでるいる間にその気になる男の子と付き合うことになった。
当時は流行がPHSから携帯へ移動している頃だったけれど、 私には必要ないと持たせてもらえなかった。 確かに危ないからという理由で持たされる事はなかった。今と時代が違う。 全国的にどうかは知らないが、クラスでも3割ぐらいしかもっていなかった。 もともと人とコミュニケーション取るのを苦手とする私は携帯を持っていなかったらもっと取り残されてしまうだろうという不安を薄っすら感じていた。
『彼氏』の事は母には話さなかった。 学校の出来事をあれやこれや話す仲ではなかったから必要ないと思ったし 私にも初めての彼氏だったからどうすればいいのか分らなかった。 月並みに,母には「友達と遊ぶ」と言って出かけ、友達と遊んだ帰りぐらいに家に帰った。(夜遊びしてないよ)
手帳に日記もどきを書いていた。 それまで学校の人間関係で埋め尽くされていた内容が付き合ってる人への気持ちや出来事について書かれるようになった。 私だけが楽しむ内容で調子に乗って色んな事を書いてた。 ある日、手帳を広げて出かけてしまったらしい。 不覚だった。 母に見られた。 母はすぐに男の子と仲が良いのか問いただしてきた。 人のプライベートを覗かれ、怒りより先に恥かしさがこみ上げてきた。 そして母は私の行動を制限させるべくルールを命じた。 男の子との接触の制限、門限7時。
「その男の子と会うのは否定しない。 けれど『手を繋ぐのさえダメだ』 『晩御飯は家族で食べるモノだ』」と。 恥かしさの後に怒りがこみ上げてきた。
親だからといって子供の手帳を見るのはどういう事だ。 自分は仕事やら友達に会うやらで最近じゃ晩御飯はみんな一緒に食べてないじゃないか。 都合の良い時だけ「家族」という言葉を利用するな。 そう思った。
怒りを爆発させ反抗した。 が、母は譲らず私は翌日から門限を気にするようになった。勉強を今までよりするようになった。 門限を守らなかったら、いい子でいなかったら・・・母にこれ以上ルールを決められ窮屈に思うのは嫌だった。 不自然に不思議な空気の中、家族で食卓を囲んだ。
早起きして学校に行き、ぼーっと朝拝を聞いて 好きな授業は熱心にノートを取りつつ先生に質問をして 嫌いな授業は適当にノートを取って考え事をしたりその日食べた・食べる予定の物のカロリー計算をして 小テストをしたり、 友達なのかただのクラスメートなのか分らないけど、学校で他の子と他愛もない話をして。 学校から帰るとステッパーで運動し、宿題をし、家庭教師に勉強を教わった。
家庭教師に勉強を教わって、今までよりも勉強したわけだけど 成績は中の中ぐらいになっただけだった。 数学はクラスの上の方・体育は上位だった。
虚しかった。 「友達」って何?クラスメートに、学校に「友達」はいる?心を許せる人はいる? 他愛もない話をして、毎日小テスト。 人間関係も家族もよく分からなかった。「彼氏」の存在もよく分からなかった。 何も自分に自信を持てなかった。 バレーをやってる時は一心不乱でやっていて、でもそれもなくなっていた。 何か自分の自信を持てるものが欲しかった。
ダイエットを始めた。
中学の最後の方から健康的な食べ物を好ん食べた。 油はなるだけ取らない・白米も少なめに。 日に日にエスカレート。体重は変わらない。 ある日、晩御飯を抜いてみた。お風呂は半身浴。 次の日体重計のメモリが減った。 驚いた。 今まで絶対越えられない壁を越えられたのだ。 嬉しかった。 翌日も晩御飯を抜いた。 体重は変わらない。 翌々日も。 また体重が減った。 味をしめた。
お弁当を食べるのをやめた。 自分でコーヒーを作ってポットに入れて持っていった。 朝ごはんはきゅうり。お腹が空いたらこんにゃく。 晩御飯を抜いたり、お弁当を持っていかないというのは罪悪感は感じなかった。 家の食生活の管理は私がしていたからそんなものは感じなかった。 家族のお弁当や晩御飯は作っておこづかいを稼いでたけど食べない事で咎められなかった。 体重は面白いように減って一ヶ月で5�疏蕕擦拭� 途中、痩せた私に気がついたのか母がカロリーブックを渡して来たがそれは絶食ダイエットに拍車をかけるだけだった。 クラスメートも私が痩せた事に気がついた。 「痩せたねぇ!」 嬉しかった。誇らしかった。私はやってやったんだゾ。そう思った。 ダイエット前、私は肥満ではなかった。普通体型。 クラスメートからはバレーで鍛えてる分、筋肉質で顔が丸い分ちょっとぽっちゃりと思われたのかと思う。 自分では他の子に比べてぽっちゃりしてる自分が嫌だった。 5�疏蕕擦董△修譴任睇當迷侶燭世韻氷覆蕕譴拭,隼廚辰拭�
ただ、半身浴が終わったら体の関節が痛かった。 睡眠時間もかなり減った。 疲れやすくなった。
ある日、学校で文化祭があった。 「この日は特別」と昼食を友達と取った。 更に、「特別」は続き友達とパンを一個食べた。 久しぶりに食べる感じがした。 「もう一個食べたい!」心が強く欲求した。 「明日絶食すれば体重はキープ出来る。『今日は特別』」 そう言い聞かせてもう一個パンを食べた。 満腹にならないどころか「もう一個!」心がまだ欲求する。 「うーん。明後日も絶食すればいい。今のこの欲求を我慢出来ない」 友達の目もいつもより気にならない。もう一個手を伸ばした。
その日から「食べたい!」欲求を我慢出来る事が少なくなった。 その欲求に応えるには絶食を条件にした。 どんどん私は壊れていった。手に取って分かるように壊れていった。 誰にも相談せず、する人もいなく、する気もなく。 体重が減らないどころか増えるのが怖くなった。キープするのが精一杯だった。 一度食べ始めると止まらない。 お腹一杯にならない。 食べ過ぎたと思いっきり後悔する。 少ないながら食べないと体や脳みそが動かないような気がして それなら朝食べて消費してしまおうと、朝ごはんに甘くないシリアルを食べるようになっていたけど 足りなくて、牛乳と一緒に食べるわけではなく、台所に座り込んで戸棚のシリアルをそのままむさぼったり 食パン一袋を食べきったり。 自分をコントロール出来ない。太りたくない。なんで?おかしい。 母に泣きついた。 「お腹が一杯で気持ち悪い。今日は学校を休ませて」 渋っていた母に無理やり学校へ電話してもらって休むようになった。 それが週に1日から2日3日、4日に増えていくのは早かった。 学校を休めてほっとした。あの空間は息苦しかった わざと過食をして休む日もあった。 その代わり学校に登校した日は授業についていくのに必死だった。 学校を辞めたいと思った。 いや、中学から辞めたかった。他の学校を受験する勇気や私立という肩書きは惜しかった。 自分をコントロール出来ない。太りたくない。 母に病院に連れて行って欲しいと頼んだ。 母は困惑した顔で、それでも数日後には母の知り合いの紹介で精神科クリニックに連れて行ってもらった。 診断は「摂食障害」。 安堵した。病名がついた。この異常なのは病気なのだ。 医者は胡散臭く、カウンセラーは優しそうなおばさんだった。 カウンセリング中心で通院する事になった。
中退したいと思い始めた。そして母に訴えた。 母は困惑した顔を見せた。 私の気持ちは固まっていった。こんな子達ともう無理して付き合わなくていい。やり直しだ。やり直せる。 丁度冬休みだった。 過食三昧の年を越し、世間はミレニアムだと騒いでいた。
| 2004年06月15日(火) |
からこ(ニッキ書いてる人)紹介 |
多分、6月14日ぐらいから書き始めてるのだけどキリがいいので。
自己紹介と今まであった事を書いてる場所です。 その時々によって増やしたり減らしたり。
からこ ・ニッキ作者です。 ・生まれは大阪。6歳で東京に越してきて以来、引越しを二回したものの同じ町に住んでます。 ・今年の夏で21歳になりました。 ・実家です。 ・家族構成は、父、母、兄(27歳)、犬(♀・Mダックス) ・兄は都内の違う場所で一人暮らしをしてます。 ・去年の冬から四ヶ月ほど一人暮らしをしていました。 ・出戻りというヤツです。体調を崩して。
・16歳の時に摂食障害(嘔吐なし過食。過食期と拒食期を繰り返すタイプ)を発病しました。 ・それと同時に中学から行っていた女子校を辞め、公立の昼間定時制を受験し、そこも三年間在籍してほとんど部活だけ出て辞めました。 ・よって最終学歴は中卒。よく言えば高校中退。 ・摂食障害は未だ治っていません。 ・何回か入院してました。 ・何回か自殺未遂をしました。 ・腕を擬人化させるリストカット(後、アームカット)を17歳から20歳までしてました。 ・何回かの自殺未遂のうちで足を骨折をして 小学校はほぼ5だったのですが、運動出来辛い足になりました。 ・足の損傷を言うと19歳の時に飛び降り 左足:複雑骨折で踵に人口骨。 右足:開放骨折という踵が後ろに少し突き出てしまった骨折。土踏まずがなくなりました。 9月現在、一年半以上経ちますが体調との兼ね合いでリハビリにものすごく励んだわけではなかったので、長時間歩いてると左足の骨が痛くなります。 ・病気柄、体重の増減は短期間でものすごいです。 最高−最低体重は27kg。 すごっ。 ・体重が増えすぎたり、疑心暗鬼・人間不信が続くと引きこもります。 過去二回3,4ヶ月引きこもり経験ありです。
・6月半ばから摂食障害専門医のクリニックに二週間に一回通ってます。 ・治療の仕方は薬物(日中薬はなくなって不安時と寝る前だけ) ・二週間に一回カウンセリングを受けてます。パワーのある先生です。 ・家族療法という、家族参加型の治療法も同時に行ってます。 ・この三つが三本柱。
・中学からバレーボール部でした。7年間。 ・ポジションはレフト。 ・レフトだけど身長は152�僂任后�アタッカーだったから常に全力ジャンプ。 ・体重は上記の通りです。骨太、丸顔、丸鼻、丸目。丸いほっぺ。感覚的にはパパイヤ鈴木や三谷幸喜と同類と考えていただきたい。似顔絵にしやすそうな顔をしているなと思います。 ・19歳の時以来、ジャンプが出来なくなったのでバレーボールはしていません。
・熱しやすく冷めやすいです。 ・よく笑うらしいです。 ・口癖は多分「うんうん」「なんで?」 ・一見明るく見られかちですが(天真爛漫という意味で)根暗。 ・でもやっぱり笑う事は好きです。 ・感受性が強いらしいです。 ・変なとこにプライドがなくて、変なとこにプライドが固執されてます。 ・物忘れが激しいです。 ・人間の好き・苦手・嫌いも激しいと思う。
・服や雑貨が大好きです。 ・古着!!! 後は無難にパルコとか丸井とか行っちゃいます。小物や帽子も好きダ。 ・映画が結構好きです。 ・本を読むのが好きな時期が一年に数回やってきます。その時はめっさ本ばっかり読んでます。江國香織と吉本ばなな、田口ランディ、山田詠美、唯川恵はかなり読んだはず。吉本ばななの短編がお手軽で心が掻き立てられて結構好き。エッセイや自伝モノも読みやすいのを。 ・漫画も好きです。世代通りスラムダンクや稲中、矢沢あいもかじるけれどいくえみ綾がめっさ好き。 ・買う雑誌はSOUP、SEDA、UP、美的、PS、の順。買ったり買わなかったり。 ・テレビはあまり見ません。ビックリするほど。たまに世の中の情勢ついていけなくてアゥアゥしてます。ネットでニュースサイトをチェックする程度。 ・音楽は無知です。よく聴くのはwyolica、Cocco、牧原敬之、クリスタル・ケイ、ACO、ELT、ミスチル、イエモンなど。雑食。J-POPばっかり。J−R&Bも結構好き。 ・料理するのが好きです。 ・小学校はお菓子作りに励み、中学からお弁当を自分で作ってました。 高校1年の時は晩御飯も作ってました。 よって料理するのが好きなのです。頭がすっきりするから。達成感も有り。 ・二個目の高校では部活の他にバイトばかりやってました。ほぼ全部接客。 一番楽しかったのはスープ屋(そんな名前じゃないけど)のバイト。17歳にしては稼いでいたと思います。 ・日差しが苦手です。夏の日差しは嫌い。湿気も嫌い。癖っ毛だから。気圧の関係の天気は体調を崩すから本当に勘弁して欲しい。 ・世の中(日本しか知らないけど)にはごく少数の善人と多くの偽善者と少数しか見た事ないけれど悪人がいると思います。そんな考えのヤツです。 ・トモダチが少ないです。好かれにくいというのと、自らも作らなかったから。でも今はもう少し友達の輪を広げたいです。
・5年前から黒ゴマ豆乳(トーラク)にはまってます。 ・お酒は強くありません。頼むものはオヤジです。生絞りレモンサワー・漬物・軟骨揚げか砂肝ヾ(゚ω゚)ノ゛カクテルは甘くて飲めない。 飲むのは2週間にに1回くらい。 ・飲むと、普段の失礼発言に拍車が掛かり楽しくなって良く笑うタイプです。 ・チョコバッドが好きでした。大人買い(箱で買った)したら少し飽きが来たけど見つけたら買ってしまいます。 ・梨とマンゴーが好きです。冬はみかんっ。 ・野菜が基本的に好きです。もやしとかキャベツとか。シャキシャキがたまらない。肉なら豚。共食い。 ・煙草吸います。一日10本前後。LUCIAというメンソール。 ・コーヒー好きです。ハーブティも好きです。 ・沖縄が好きです。 ・入道雲が好きなのです。日差しは嫌いだけど。 ・花火ではヘビ玉が一番テンションあがります(一人でやる時限定) ・お香が好きです。
・寂しがりです。びびりです。考えすぎなところがあります。
・病状は去年の暮れを起点に、今のクリニックで地に足をつけつつ早足で歩いてるように良くなってきる気がします。生き易くなった。
その他 ・友達少ないけどいますよッ。 ・最近、友達の幅を広げました。←new ・7月12日からトモダチから始まったと言えばいいのかお付き合いしてる人がいます。一つ年下の20歳。10月11日にきちんと終わらせました←new ・7月に教習所に通い始めました。11月13日日現在、ヤバイよ!後4ヶ月しかないよ!の焦りモード。冬頑張ります...←new ・8月下旬から平日に大検・大学受験予備校に通ってます。 ・大検は17歳の時にまぐれで3科目取得してるので後、6科目。 ・進学するつもりです。やりたい事があるのです。これも私のペースで。
こんな感じかな・・・ 赤裸々にニッキを書くつもりはないのであしからず。 ここはネット上での私の感じた事や書き留めたい事を書いている場所です。 不特定多数の人々が見る事の出来る公開日記だということを踏まえて書いているつもりです。
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今後ともよろしくお願いいたしますです。 11月13日 からこ
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