2005年09月21日(水) |
信頼されたければ、オブラートを活用せよ |
怒濤の一週間が始まりました。 何故怒濤かと言うと、先週の金曜にお休みをもらって以降、来週の金曜…だったかな。その辺までお休みがないのです。 おまけに今週は祝日が2回。実質的な平日は3日しかありません。 他の社員も、休みに関しては個人差はあるものの概ね同じような感じ。ただ、今日明日出張の上司を除いて、社員の中で連続勤務が一番長いのが一番下の自分だったのです。 それだけでもヘコムのに、せめて「頑張ろうな」とでも言ってくれればいい所を気の利かないとある先輩は
「体調管理気をつけろよ。○○さん(私の名前)すぐ体調崩すからな」
はあ…
思わず本当にそう言ってしまいました。 こういう時、人柄と言うか器の大小が見えるなあと思ったり。言われた事は事実だろうけども、もし自分がそう言われて「気をつけよう」と思うかな? お説教として正式にというか固い会話の中で言われたのならともかく、日常生活レベルで特に親しくもない人からそう言われたとしたら「こいつ、こっちのことを何もわかってない」程度の不満になってそれで終ー了ー、といったところでしょう。 できるなら、してるよ!みたいな。
もし本当に気をつけさせたい、あるいは意識させたいと思うなら、少し遠回しに言うくらいが一番効果的なのです。 そう、いわゆる「オブラートに包む」作戦ですよ。 この場合は、こんな言い方が適当だったかと。
「勤務時間長くて大変やなあ。俺もそうだけど、体調管理には気をつけような。社員が欠ける訳にはいかんからな」
いかがでしょうか? うーん、我ながら理想的なセリフ(うっとり)
というのはさておいて。 明らかにこちらを否定する意見をもらっても、人は素直に聞けないのが普通です。それも本人の主観が主なようなら尚更です。 相手に敵意を察知していただきたいというのなら包まない方がよいでしょうが、そうでない限りは気長に様子を見るのが一番の近道です。 というか、包まないで言っちゃう方が、近道をしてるようで余計な回り道をしてるだけなんだけどね。
偉そうに語りましたが、全てどこかの本からの受け売りです。 自分も最近になってわかってきた事です。 題名の「信頼されたければ」とは、まあこの場合、主に「自分についてくる人」あるいは「ついてきてほしい人」からと言った所でしょうか。 後輩と自分を同じステップで考えてる(自分を正しい意味で上の段に上げていない)ようでは、まだまだ下は付いてきませんよ、せんぱい。 なんちゃって。 これは先輩には秘密ですな。 もし人を引っ張っていく立場になったときは、皆さん、ご一考あれ。
2005年09月19日(月) |
ハッピーマンデーをぶっつぶせ |
うちでは二千円札の事を「小渕の置き土産」と呼びます。 故人に失礼ではありますが、そのくらいあのお札はしょーもなかった。 お札に罪はないけれども、あの政策はほんとにただの「イベント」でしかなかった。 ハッピーマンデーも同様です。 『国民が喜ぶと思った』くらいしか考えはないんでしょう。そもそも「ハッピーマンデー」っていう名前がふざけてる。英語ですよ英語。しかも何のひねりもない…。いい年したおじさん達が寄ってたかってこれですか。これなら同じ意味がわからない単語でも「国民の休日」の方がまだましです。 しかし、ネーミング云々よりもまず根本的に、月曜を休みにして3連休を多く作れば庶民どもは皆喜ぶと思っている。その考え方が…どうかと。 腐っています。短絡的すぎる。理解できないとまでは言わないけど、これが国家のトップに立っている人間の仕事だと思うと悲しくなるね。 確かに連休にでもなって、ちょっと遠くまで出てみようなんて話になればそりゃわくわくはしますよ。しかしね。 その「遠くまで行く」ために必要な物は何ですか?バス?電車?それから出かけた先で泊まったり遊びにいったりしますよね? したらその出先では働いてる人がいないとリゾートにならないのですよ。ハッピーマンデーだからって国民誰もがハッピーな月曜日を送っていると思ったら大間違いなのですよ。 こんなくだらないことを考えたのは誰だ?そしてどうして肝心な所で我々は意見が出来ないシステムになってるんだ?そんなくだらないことやってる時間があるなら、もっと税金を有効に使えることを考えろ!ハッピーマンデーなんてまっぴらだ!!
ごちそうってのはたまに食べるからごちそうなのであって、毎日ごちそうを食べてる人はごちそうをごちそうと思って食べているはずがないのですよ。連休だって、嬉しい偶然が重なってできるからうれしいものだったはずなのです。 敬老の日とか、体育の日とか、せっかくの休日もこうして意味のないものになっていくのですね。 おねえさんは怒り心頭ですよ。
2005年09月18日(日) |
ちょっと商売論めいたこと |
「お客様は神様です」
誰が言い出したか知りませんが、有名なこの言葉。 これは真実でもあり、ウソでもあります。
というのは、「お客様」っつー単語には2種類の意味があるからなんだそうな。
ひとつは「お店に来てくれる人」全体を指したもの。 もうひとつは、「お店に利益をもたらしてくれる人」を指したもの。
利益をもたらしてくれる、なんて言うと、何やら損得だけで価値を量ってるようでやらしいイメージを受けるかもしれませんが、ではこんな風に言ってみたらどうでしょう。
明らかにその店には用がなくただの暇つぶしに来ただけの人で、他に回りに買い物中の人がいるにも関わらず、大声で喋り、通路の邪魔をして、あげくの果てに買おうとしている人の前で商品のあらを探していたりする。 そんで何か買うかと思えば、店の文句を(大きな声で)言うだけ言って帰っていく。
さて、この人は店にとって利益をもたらしてくれる客でしょうか?
答えはノーです。 下手すると、営業妨害で訴えられてもいいかもしれません。
「こちとら慈善事業してる訳じゃねえんだよ」というのもどこかで聞いた覚えのある台詞ですが、まさに商売とはそういうものです。なぜ店員さんは時間を割いて私に接してくれるのですか?それは今回のあるいは次の売り上げに繋げるためです。別に個人的に優しいからではありませんし、暇だからでもありません。 そこを履き違えると、あなたはお店にとって迷惑な人と認識されてしまいます。店に用はない、マナーも悪い、でも態度はでかい。口癖は「お客は神様だろ?」という人がもしいれば、何故行く先々の店員が皆態度が悪いのか、一度自分を見直して考えた方がいいでしょう。
サービスの話になりますが、商売をしている人が何故お客を大事にするかという事は、必ずしもその日物を売るか売らないかというだけではありません。人は誰でも自分を必要としてもらいたいという欲求を持っていますし、あなたがお店で働いている人ならば、自分あるいは自分のお店を必要としてくれる人に喜びを感じ、もっと親切にしたい、必要とされたいと思って当然です。 「今後この店で買い物をする予定は全くなく、おまけに今日は完全に冷やかしで来た」という人にも心からのサービスが出来る人は、どちらかと言うと商売魂ではなく宗教心に近い物があります。それは悪い事ではありませんが、全く興味のない人にまで愛想を振りまいて、本当に必要な人からのサインを見過ごすようであれば、プロの営業としては失格です。
お客も店員も、みんな同じ人間です。何の見返りもなく親切にしてくれるのは肉親だけだと思った方がいいでしょう。あなたがいつも友達や大切な人にしているように、気持ちのよいことをすればそれが返ってきて、不愉快な気持ちをぶつければそれが返ってくる、それだけの事だと思えば、サービスをする方もされる方もいろんな思いを抱かなくて済むのです。 もし、あなたが客であれ店員であれ、自分から悪いアクションを起こしたのではないのに気分の悪い思いをさせられた場合、そしてそれにフォローもない場合は、状況に応じて怒りをあらわにしてもよいでしょう。ただしあまり正論ばかりぶつけると相手は逃げる隙も折れる隙もなくなり、ただひたすら潰れていくばかりになります。ご注意を。
ちょっと前、ある日記で読んだことがひっかかった。 仕事のことを中心にコラム形式で書いているサイトだったと思う。
「仕事をする理由を『食べていくため』だとしか考えられない人は、仕事によって人間的に成長することはない」
そんなような内容のことが書いてあった。 そのときは目から鱗が落ちるような思いで、心から「なるほど〜」と思い、感化されたもんだった。
が。
日が経ってみて、少し考え方が変わった。
よく考えてみて。仕事が生き甲斐になってる人って、それは実はすごく恵まれてることなんじゃなかろうか?
逆に言えば、100%の人が自分が望む仕事をしていたら、世の中どうなると思うだろうか?
単純に言ってしまえば、例えば、「ゴミ収集の仕事をしている人は、ゴミを集めることが生き甲斐なのか?」ということ。 もちろん、自分の仕事のお陰でまちがきれいになっていくのを生き甲斐としている人がいても、それはそれでとても喜ばしい。けれど、小さい頃から憧れる職業に「ゴミ収集」が挙げられることは、少なくとも今の社会ではまずないと断言できる。
けれど今自分達が生活するにおいて、まずその人たちがいて仕事をしてくれなければ、多くの人は困るはずだ。そうじゃなければ、自分達がひとりずつ時間を割いてその仕事をしなければならない。
その事実を考慮しても、仕事が生き甲斐じゃない人は人間的に成長できないと言えるのか?
そう思ったら、そのコラムの作者が急に憎たらしく思えてきてしまった。
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もちろん、最初の印象通り共感できる所はありますよ。確かに目的もなく仕事していても何かの力がつくはずはないし。 けど、何ていうか、こう…『成功者の戯れ言』みたいな空気を感じちゃったんだよなあ。 ああ、別名。『仕事中毒臭』でもいいかも!
…。苦笑。
こんなところだから堂々と言えますが、私は少なくとも食べていくために仕事しています。 それが全てじゃないですが、まだ仕事に多くの生き甲斐を見いだせる程には至ってません。 いつか見えるんかなあ。どうなんだろうなあ。わかんないけど、まあ、確かに食べるためだけの仕事はしたくないね、とも思ったりしました。
***追記***(2005/9/21)
ちょっと間を置いて見直してみましたが、「仕事が生き甲斐」ってのはどうも自分の勘違いですね。 コラムの作者は「仕事が生き甲斐でなければ…」とは言っておりません。 まあ、こういう見方もあるんだ程度の気持ちでお読みいただければ幸いなりですよ。
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