ぶらんこ
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2008年03月23日(日) なんでんよか

今日はイースター(復活祭)。キリストの復活を祝う日である。
よって、今朝はEaster Mass(復活祭のミサ)へ行った。

神父さんの説教では、キリストが亡くなり葬られた後、墓所から遺体が消えてしまった聖書の話から始まった。
まだ若い神父さん(厳密には5月に神父になる)が熱く、今風の会話調で語るので、(英語が)とっても聞き取りやすい。
・・・が、ふと考え事をしてしまい(よくある事)、気が付いた時にはなぜかある高校生の話に変わっていた。
なんだこりゃ?と思いつつも、実例を引き合いに出すことでよりわかりやすく話を進めたいのだろうと思い直し、辛抱強く聞いた。


でも、聞けば聞くほど、なんだか不愉快な気分になってくる。
内容は割愛するが、結局、彼はこの高校生のことを非難しただけじゃないのか?と思ってしまう。
もちろん、その高校生の名前も地名も出さないので、どこの誰なのかはわからない。
案外、実存する人物じゃないのかもしれない。
それでも、なんとなーく、、、心の中にモヤモヤとした陰りが残った。

悶々としていたら、隣でこころが掌に何かを書いてメッセージを送ってきた。
わからないから、後で。というサインをして、神父さんの説教を(一応)最後まで聞く。


けっして悪いことは言っていない。
さきのたとえ話も彼の言いたいことの導入なだけであって、不愉快に感じる必要もないのかもしれない。
きっと、そう感じる自分側にこそ、何かあるのだろうな・・と思う。



ミサが終わり、家へ帰る道すがら、ふと思い出してこころに訊いてみた。
「そう言えば、あのときなんて言いたかったの?」
「神父さんの話、長いねーーーー!って」
「なんだ。それより、あの高校生の話、どう思った?」
「オチはなんなんだ?って思ったけど、なんもなかったね」
「マミィは聞いててちょっと嫌な気分になったよ」
「別にわたしは。でも、あの高校生、実は自分なんです!っていうオチかと思ったら、そうじゃなかったねー」


そっか。。。
もしもそういうオチだったらば、これほど不愉快にもならなかったのだな・・・と気付く。
きっとわたしは、この神父さんが、「誰か」を咎めていることが気に食わなかったのだ。
自分自身の過去を反芻して引き合いに出したのであれば、これほど反応もしなかったのかもしれない。


「別に・・・いいんじゃないの?」と、こころが言う。
まぁね。そうだね。神父さんだって普通の人間だもんね〜。わたしが彼を咎める必要もない。それこそ、イカン!よな!



というワケで。

結果的にいろいろと考えさせられて、とぉっても良い説教だったな・・・と、思った次第。。。笑





2008年03月22日(土) 人種差別

この国には、いまだに「人種差別」が確かに存在していると思う。
そしてそれを、誰も真正面から話そうとはしない。
なぜなら、話題にすること自体、「人種の違いを利用している」と追求され得るから???



自分の言葉で語れるほどの、知識・思考を持ち合わせていないのがもどかしい。





2008年03月18日(火) おりこうちゃん

昔、まだこころが4歳か5歳の頃のこと。
姉と一緒に、わたしとこころとの3人で川越の城下町へ出かけた。

いろんな店を眺め歩いた中、ある店を姉が気に入った。
彼女は服を何着か選び試着もしたので、結構長い時間をその店で過ごした。
こころは店内の雑貨を見るのに飽きてきたらしく、お店のドアを開いて外へ出てはまた中へ入ってくる、というのを何度か繰り返した。
ガラスのドアだったので、外へ出てからも中の様子が見えるのが楽しかったようだ。
店内にいるわたしに向かってにこにこと満足げに手を振っていた。
道路からは離れているし、危なくはないからまぁいっか。。。
と、しばらく好きなようにさせていたのだが、ふと気付いたことがあり彼女を呼んで言った。

「このガラスすっごく綺麗でしょう」
「うん」
「おねえさんが朝いっつも綺麗に磨いてるんだねぇ。だから、ドアを開けるときにはここ(取っ手)を持って開けるようにしてみて。
そしたら手の跡が付かないからガラスは綺麗なままでしょ。出来る?」
「うん、出来る!」

それを聞いていた店員さんが「こんな小さいうちからきちんとしつけているんですね」みたいなことを言った。
「あ、いえ、そんなんじゃないんですけど・・・」
取っ手が手の届かないところにあるわけではないし、話して聞かせればわかるだろう・・くらいに思ってのことだった。
すると奥のほうから姉が出てきて、「そんなにおりこうちゃんにさせなくたっていいのよ」と言った。
(そして、「てれちゃん、長い時間待っててくれてありがとね」と、こころに向かって言っていた)

『おりこうちゃん』かぁ。。。
そのときは、そういうつもりでもないんだけど・・くらいにしか思わなかった。
でも、姉の言いたいことが、何となくぼんやりとわかったような気もした。
あのとき、心のどこかに「何か」が残った。
そしてそれは、ちょっとしたブレーキになったようだ。
「こども」ということと、「おりこうちゃん」ということ。

「おりこうちゃん」になって欲しい。のではなく、もしかしたら自分自身が「おりこうちゃん」でいたかったのかな?

というのは、考え過ぎというより感じ過ぎか。
そこまで自分を卑下するのは、やや感傷的(かつ自己陶酔的な)感じがする。却下!
それに、もし今の自分があのときの場面に戻ったとしても、きっとおんなじことを言うだろうし。



おりこうちゃん。という言葉を聞くと、思い出す場面。
ほんの少しだけ胸が痛む不思議。





2008年03月12日(水) 海と時間旅行

大きな漁船が停泊されている。
深緑色の波がたぷたぷと揺れている。波の上にはおがくずのようなゴミと一緒に海草が浮いている。
防波堤と縄には、緑色をしたコケのようなものと、ギザギザとした古い貝がびっしり付着している。
いつもの光景だ。
ふと見ると、コンクリートの塊が、ほんの少しだけ海面に浮いたままどこからか流れ着いた。
太い縄で縛られているようだが、壊れた防波堤の一部なのかもしれない。


どやどやと漁船から兄貴たちが降りてくる。
明るい表情から、漁がうまく行ったのだろう、と想像する。

姉がやってくる。
「全部で15,800円だったからね」と言う。この前、皆で外食したときのものだ。
わたしはお財布から1万円札を取り出し彼女へ渡した。
5800円も渡すべきだったかな・・と少し後悔したが、姉は他の兄弟姉妹にも同じように声をかけていたので、安心する。


コンクリートの塊が上へ下へ浮いたり沈んだりしている。
それをじぃっと眺めていると、なぜか、海に飛び込まなくては・・・潜らなくては・・・という気持ちになる。

姉が戻ってきて、「清算してお釣りを渡すからね!」と言う。
わたしは彼女に「ちょっと潜ってくるよ」と言う。
姉は、今?というような表情をしていたが、特に止める様子はない。

わたしは、とにかく飛び込んで潜ってみなければ何も見つからないからな。と、思い、わくわくしてくる。
底の部分がどうなっているのか、既に見えるような気さえしてくる。



 ・・・・


宇宙船に乗って旅を続けている。
乗り換えのためだろうか、ターミナルに来ている。
まだ時間があるから、と、そこらを散策することになった。
人の波を縫うように、ただ見て歩く。

と、男の子と女の子に声をかけられた。
男の子のほうには見覚えはなかったが、女の子には妙な懐かしさを感じる。
褐色の肌にブロンドの巻き毛。
誰なのか深く考えもせず、「久しぶり〜元気そう!」と言ってしまう。

わたしたちは、ターミナルに停まっている列車に入り、かくれんぼをして遊んだ。
そのときに女の子のほうが「今は時間旅行で過去の姿だけど、本当はもっと大人なんだから」と笑いながら教えてくれた。

さんざん遊んでから、彼らと別れる。
それでもまだ時間があるので、ふと思い立って友人の家を訪ねることにした。


友人夫妻は大喜びで迎えてくれた。
彼女とは10年ぶりくらいの再会だ。いろんな思い出話に盛り上がり、泊めてもらうことになった。

翌朝、ゆっくりと起き出した。これでは講義に遅刻してしまう。
「ふたり一緒に遅刻ってのはマズイから、わたしは今日は休むよ!まこちんは行ってきな!」
友人がやけに爽やかにそう言うので、わたしは彼女の潔さにあらためて惚れ直してしまう。



出かける前にお風呂を借りることにした。
キッチン近くに、水色のタオル地で作られたこども用のお城がある。彼女の手作りだな、と思う。
準備をしてお風呂場へのドアを開くと外界が広がり、あぁ彼女んちは露天風呂だったんだった。。。と思い出す。
旦那さんのほうが「大丈夫〜?」と声をかけてくる。
「あの岩は最近モロくなってるから、まこちん気を付けてね」


大きな岩が切り立っている。ところどころ、硫黄の色をしている。
よじ登っていくと、小道のような部分があり、そこへ足をかける。
と、いきなりぐらぐらぐら、、と岩が零れ落ちていった。怖ろしさを抑え、眼下を見ないようにしながら場所を移動する。

そこへ、一組のカップルが向こうからやってきた。
ふたりはキャンピングバッグを担いでいる。
身体の向きを変えて道をあけなくては・・・と思ったとき突然「今は時間旅行で過去の姿だけど」・・」という言葉が蘇る。

女性がわたしを見ながら意味深に笑う。
彼女の、歯をむき出してにかーっと笑う仕草を見て、あぁ。。。!とわかる。

そろそろわたしも自分の時間に戻らなくては・・・と思う。






2008年03月10日(月) Loss

「わたしが一番最初に『死』というのを知ったのはいつ?ペットでもなんでも」

先日、いきなりこころに訊かれた。いつだったろうか・・・すぐには返答出来ない。
彼女は、(名前を忘れていたが)十姉妹のラナ&コナかなぁ・・・と言ったが、兄貴かなぁ・・・と、わたしは思った。


危篤の知らせを受け、すぐに向かった。
病院へ着くと母をはじめ、兄弟姉妹全てが集まり、病床の兄を囲んでいた。
既に意識のない兄は、「そのとき」を待つ呼吸だった。
わたしはこころと一緒に兄の傍に立ち、こころに言った。
「○○おじちゃんはこれから天国へ行くんだよ。だからおじちゃんのためにお祈りしようね」
こころは神妙な面持ちで兄の顔を見ていた。


「わたし、泣いた?」
「泣かなかったと思う。『死ぬ』ということはまだわかってなかったと思うよ」
でも、何かしらは感じたんじゃないかな・・と今になって思う。


十姉妹のときは泣いていた。
それは、猫がラナ(もしかしたらコナン)を襲うところを目撃してしまったからだと思う。
猫は、小鳥を口にくわえたまま、どこかへ行ってしまった。
羽根が不恰好に広がったままで、とても痛々しい姿だった。
「食べられたー」「死んじゃったー」と泣いていた。わたしも一緒になって泣いた。
その後しばらくして、もう一匹も空へ飛んで行ってしまった。
何度かチャンスがあったにも関わらず、わたしは彼を捕まえることが出来なかった。
ベランダから垣根へ、垣根からまたベランダへと繰り返し、とうとう戻って来なかった。
「また死んじゃう?」と聞かれ、「わからない」と答えた。「猫にやられないように逃げてってくれてるといいね」


「金魚のことは覚えてるよ」
そうだ。金魚もいた。西友の縁日で、こころが貰ってきた13匹の金魚たち。
慌てて水槽を買いに行ったが、結構なお値段だ。
結局、お財布と相談して購入したのは小型の水槽で、電灯やらポンプやらがすべてセットになっているものだった。
なんの知識もなく、金魚たちを投入。しかし・・・13匹というのは無謀な試みだった。
金魚は毎日のように1匹、2匹と死んでいき、とうとう3匹まで減ってしまった。
でも3匹になってからは、わりと長生きしてくれた。
小さかった彼らも、いつしか10�属幣紊棒�長した。このままずっと成長するのかな・・と思うくらい逞しく感じた。
この頃には名前も付けていたのだが・・・うーん。。忘れてしまったなぁ。
最後の1匹になったとき、「13匹もいたのにーーー」とこころは泣いていた。
でも、父親と一緒に、死んだ金魚を裏返したりして、「やっぱり病気だったね、ここにブツブツが出来てるね」などと言い合っていた。
最後の金魚は、マンション横の公園の大きな木の下に、夜になってから埋めた。
水槽セットは、引越しのときに誰かに譲った。あれから魚の飼育はしていない。




「問題は〜、そのときマミィはわたしにどう説明したか、ってことなのよ」
「マミィのことだから、『死んじゃったんだよ』って言ったと思ったけどね」
どうやら、保健の授業でそういうディスカッションをしたらしい。(結構、有意義な授業をしていると思う)


こどもに、「死」をどう伝えるか。
「死」というものを、何かに置き換えてはいけない。
どんなに小さいこどもであっても、「死」を理解するのだ。という話。

例えば、親が子に、「眠っているのよ」と言ってしまったとする。
すると、こどもはいつしか、眠りに対する恐怖感を持ってしまうらしい。
また、ペットの死などを隠そうとして、親が子に「いなくなっちゃったの」と言うのも良くない。

きっと、こどもはこどもなりに『別れ』『喪失』というものを体験すべきなのだろうな。。。と思う。
『喪失体験=トラウマ』とは、限らないのだろう。


わたしは6歳の頃に父を亡くした。
母がそのときなんと言ったのかは覚えていない。
でも、父はもう目を開けることはない。というのはわかった。
そして、父のいない生活を強いられ、いつしか父の「死」というものを受け入れたのだろう。

その後も、山羊が死に、鳩が死に、チャボが死に、猫や犬も死んだ。
その度に、泣いたり恨んだりした。
親戚の伯父さん、近所のあんま(お婆さん)、兄貴。。。そして仕事を始めてから出会った多くの多くの患者さん。。。


考えてみれば、「死」はいつも身近にあったのだな・・・と思う。






2008年03月07日(金) マカダーナ(ル)

♪ティーカ ルッカッ マーィ グァー フレンッ
スィーズ ジオンリ ワーナ ガッ

だいぶ前のことだが、懐かしい歌のフレーズをこころが歌っているので、「なんでこの歌知ってるの???」と聞いたことがある。
彼女は「知ってるよー。大好き!iPodにも入ってる!」と軽やかに答えた。
へぇそんなモンなのか。と思う。良い歌というのは時代を超えて愛されるのだなぁ。
♪スィー ザ グァーズ イン カリフォー ニアラム ホーピニ ッツ ゴー・・・
途中からわたしが「ザ・曖昧いんぐりっしゅ」で歌うと、「そんな歌詞ないし!」と笑われた。


先日、ずっと気になっていた先の歌のタイトルをこころに訊いた。
「"Cupid's chokehold"」との返事に「は?なんて???」と聞き返すこと何度か、そしてスペルも教えて貰う(情けない、)。

さて、検索するとYouTubeにアップされていたので早速聴いてみた。
・・・が、、、あれ???なんか違う、、、
どうやらあるフレーズだけを拝借して作られた(新しい人達の新しい)歌だったらしい。
更に調べてみると、Supertramp;Breakfast In Americaに辿り着いた。
これだよ、これ!(そう言えばCDも持っていた)
どおりで歌詞が違うワケ。


ということで、久しぶりにSupertrampのアルバム"Breakfast In America"を聴いている。
歌詞カードを見て初めて、「こんな内容だったんだ。。。」と思う。笑
意味なんか知らないまま歌ってたもんな〜。



この歌をいちばん最初に教えてくれたのは中学の頃の友人だ。
あの頃はラジカセと呼ばれる器械(?)が主流だった。
レコードを買うのは余程の場合のみ。大抵はラジオを聴きながら好きな音楽をカセットに録音する。
こころの時代での、CDを借りてきてiPodに入れる。ってのと同じような心境かもね。

さて、ある日その友人が流暢な英語でこの歌を歌っているのを「見て」、わたしは驚愕した。
「すっごい!やぁどやって覚えたわけーーー!!まぁこにも教えれー!!!」とかなんとか。
彼は顔を真っ赤にして、教えられるような代物じゃない。恥ずかしくて誰にも見せられん。と繰り返した。
けれども、(わたしの熱意が勝ったのだろう)彼は翌日、約束どおり秘密兵器を披露してくれた。


それは・・・大学ノートに書かれたカタカナの列だった。
正直、「凄い!!」と思った。心底、尊敬した。なんだこれーーー!こんなのリイチロウ(英語教師)は教えてくれなかったぞーーー。
もちろん、彼にも素直にそれを伝えた。
バカにされると思っていたのかもしれない。彼はわたしの反応にちょっと驚き、そして安心したようだった。
それから、どうやってこれを記したのか、というのを細かく教えてくれた。(非常に緻密な作業だった!)


ここに書いたカタカナ歌詞は、彼の書いてくれたものと一致してないかもしれない。でも、限りなく、あんな感じだった。
だから(だからこそ)、こころに「歌詞、違うし!」と言われたことは少なからずショックだった。
違うわけない。。。と思った。だから気になって、調べたのだ。
そもそも、歌そのものが違っていたということもあるのだが、今こうして歌詞カードを見て、にんまり。。。
ちゃんと合ってるじゃーん。
(とは言えども、意味を知らずにいたことは変わらないのだけれど)



カタカナ英語というのは今では誰もしないだろうな。
というか、「英語にカタカナで振り仮名が付いていると、却って英語の発音に悪い」と、弊害のように言われていると思う。

でも、それはきっと、ローマ字読みのカタカナの場合でしょ?atをアット、schoolをスクールとするような。
友人のカタカナ読みは違ったもんね〜。英語の発音のまま、カタカナにしてくれてたもんね〜。
やっぱり彼は凄い奴だったんだなーーー。と思う。
いつかまた会った時には、そのことを伝えたいな〜とも思っている。



ところで、こころが最初に日本へ帰国したとき(当時7歳)に、こんなことがあった。
「ねぇマミィ、"MacDonald"って日本語でなんて言うんだっけ?」
「なんて言うと思う?」
「えーと。。。マカダーナ・・マカダーナ(ル)???」

ルの部分を遠慮気に小声で言っていたのが、面白い。
マクドナルドだよ。と教えてあげると、あぁ!そうだった!!と、声を上げていた。
いとこ達に笑われたのが、幼いながらも傷ついたのか、或いは「郷に入れば郷に従え」というものを自然と身に付けたのか。
けっしてバカにして笑ってたわけではない。ということは、わかったらしいけれど。


英語読みからはなかなか到達しない日本のカタカナ読み(英語)。
でも、マカダーナ(ル)方式のカタカナ日本語は、英語にかなり近づくのであった。





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