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アメかムチか
いつものようにお参りコースを終えて駅に着いたので電車から降りようと車内を歩いていたら、Hにものすごく似た人を見かけました。色白なところも、ほお骨の感じも、すこし厚めな唇も似ていて、背格好も、服装の好みも、髪型すら何となく似ているのです(Hより若くはありましたが)。今まで見かけた似ている人の中でも、一番似ていたと思います。あまりにびっくりして見つめてしまったら目が合ってしまったので、それ以上まじまじと見つめることもできずに仕方なく電車を降りました。せめてと思いホームから走って行く電車のなかにいるその人を見ようと、バッグの中の何かを探す振りをして立ち止まってみたほど、似ていました。
これはご褒美なのだろうかと最初は思いました。けれど、今日の「デート」は、天気も悪かったし腹具合もあまりよろしくなかったし時間も遅くなってしまったので、少し面倒だと思いながらなんとかたどり着き、暗くなりかけで怖いので駆け足でお参りをして、いつものようにはビールをわけあったりしないで済ませてしまっていたのでした。「ちょっとめんどくさい」そう思ってしまったことを咎めるための出て来たのだろうか、と思い直しました。
どちらにしても、仕事帰りではなくなぜ今日なのでしょう。単なる偶然でしかないできごとでも、やはり気になってしまうのは仕方の無いことだと思わせて下さい。
嬉しいのに
取り残されているのか、ただ佇んでいるのか。 彼が追いつくことは無いことはわかっているのに、期待し続けてこの場にいるだけなのか、来るかもしれないと思い込むことによって踏み出す勇気がないことに目をつぶっているだけなのか。 そんなことはどちらでもいいのかもしれないけれど、わたしがどこにどれだけ立ち止まっていようとも、わたしを巡る外の世界は確実に流れ続けているのですね。
親友に子供が産まれました。
あまりに彼女が母親と言うあたらしい存在になったことが不思議でならないけれど。 ほんとうにおめでとう。こころから、無事に産まれてくれてよかったと思っています。 昨日の日記は、そんな予感がどこかにあったのでしょうか。
彼がまだ存在していた頃には、相手とも出会っていなかったのに。 その子の、存在の芽すらなかったのに。 もしかしたら、先に新しい命を(彼の生まれ変わりかもしれない命を)抱くのはわたしだったかもしれないのに。 相変わらずそんなことを考えてしまうということは、やっぱりまだ半歩も動き出せてない証拠でしょうか。
親王誕生のニュースにはそんなことを思わなかったのですけれど、やっぱりわたしは彼女に嫉妬しているのです。そんなきもちは、とてもいやなきもちなのに、なかなか捨てることができないのですね。
時の前後
ふと、仕事上の立場がたってからどれくらいだろうかと考えました。 時々聞かれて指折り数えるのですが、いまひとつハッキリ答えられないのです。
2年前の6月からどれくらいたったのかはすぐさま答えられるのに、それから後のできごとである昇進の時期がはっきりしないのはなぜなんだろう。なにも、「2年たってないくらい」と答えればいいじゃないのか。2年前の6月より少し後、ということだけなら覚えていられるはずだから。
そんなことを、今日はじめて思いつきました。おかしいですね。なんだか1年なのか2年なのかそれとも3年経ったのかが、いつも答えられずに人に教えてもらっていたくらいだったのです。
すべての基準が、あの6月になってしまっている、それはもう仕方の無いことだと思います。でもそれ以外の近年の出来事の時間軸がときどき狂ってしまっているのです。
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