私はかなりややこしい内容の夢をよく見る。 映画や小説の設定のようなストーリー仕立てというか。
だから今朝みた夢もそんな感じだった。
母と妹が出てきた。 何故だか理由は忘れたけれど 母を別の家に移動させなくてはならない。 だけど母は病気だ。 母がふてくされる。
私は母を背中からぎゅーっと抱きしめて「大丈夫だよ こわくないよ」と声をかける。
その後の話は覚えていないが 私は ああ夢で初めて母を抱きしめた と目が覚めたあとも悲しいような幸せな気持ちになった。
chick me
私の友達には声が高い子が少ない。 酔っ払って話してたりとかテンションあがってるときだとギャーギャー話すことはあるけど普段はトーン低め。 キャピキャピとかきゃぃきゃぃという擬音が似合わない感じ。
だからたまにすぐそばでそのトーンで話されると 大変疲れる。特に仕事中。 お店や電車の中の赤の他人だったら「うるさいな」くらいでそれほど気にならないけどね。
私の隣の席の男子Fさんのところには まーあきれるくらいいろんな部署の女子が来る。 モテルというよりは なんかうまく使われてるような。 悪い意味で言うと「Fさんは女の子の話し(頼み)は聞いてくれる」となめられていて よい意味だと頼られている んだろう。
たまーにシャンな子もくるんでそれは「おぉあれが噂の○○ちゃんか かわいいな」となるんで構わないんだけど そういう子ってめったにこないんだよね。 来る用件の内容で言うと仕事で来る子3割&私語をしに来る子7割って感じ。 最近目立つのは仕事の話0割の女子Aと仕事の話1割の女子B。
女子Aは話は長いけど声のトーンが低いので、つか周りは仕事してるから当たり前だけど気を遣ったような感じなので あまり気にならない。 問題は女子B。 こいつはすんごいアホな内容のことを でかい声で話す。 Fさんの横からFさんに向かって話すということは 30センチ延長線先にいる私のほうを向いているのと同じだ。
私はあまり回りに気を配るほうではないので すぐ隣で話をされていても、自分が集中していたり興味のない話題だったりすると 耳に入ってこなくなる。 仕事に関する説明で隣の男子のところに上司が来ていても、私にも聞いてくれ というひとことが最初にないと まったく聞いていない。 話が終わった後で「君も聞こえてたでしょ?」って言われて「聞いてません」と答えると「またまた」などといわれるが 本当に聞いていないのでもう一度説明を求める。
だからFさんのところにいろんな子がきて話をしていても内容は気にならない。聞いてないから。
だが。女子Bの話すことだけはいつも聞こえる。 これがもう ほんっとに うざい。 「うふふふふっ」ってひらがなで発音した特徴的な笑い方だけど ご面相は・・・「あははは だろ お前なら」って感じ。 話すことといえば 「Fさん!無線LANってなに?」 でFさんが説明すると 「えー!すごいぃ 線がないのにつながるんだぁ」 って じゃあお前の携帯電話にはコードがあるんだな 線がないのがそんなにすごいんならさぁ。とか。 「××がきえちゃったんですぅ!」 「は?××って?」 でFさんがよく聞いてみるとエクセルのカラムが消えたってことだったり。 アホ丸出しなこと聞いて可愛いのは24歳までじゃ。
先日イライラが募った私はFさんに言った。 「あのさ 今度からあの子が来たらあんたがあの子の席にいきなよ。ほんっとにうざい。邪魔。 それが面倒だって言うんなら『もうちょっと声小さくして』とか言って。 できないんなら 次に来たとき輪ゴムピストルで撃つよ。」
Fさんは「あの人は宇宙人だと思って接すればいい」というけれど 私の知り合いじゃないから接したくないんだっつの。 輪ゴムピストル ほんとにつくるよ。
chick me
2006年06月08日(木) |
携帯の充電池の使い方 |
皆さんは携帯電話の電池を寿命まで使い切ったことがありますか? わたくしは今回初めて電池を駄目にしました。 FOMA P901を使っていたのですが 充電池の減りが「フル充電」→「2,3本メール&電話一本」で充電しろってなってました。
Docomoショップで電池パックを見たらふくらんでんの! 横から見なくてもわかるほどにぷっくりと。 ひし形のお餅を焼いてて膨らみ始めた頃って感じ。
そりゃー 使えないわけだ。
原因は「充電しながらのiアプリ/メールを使っていたこと」でした。 寝てるとき充電しながらよく遊んでましたが 確かにそういうときって機体が熱を帯びてたんですよね。 気にしなかったんですけど アレの繰り返しでだめにしたみたいです。
もともとストレート型LOVEなんで 思い切ってD702iにしました。 SH902isと悩んだんですが(といっても5分で決めたけど)9シリーズと7シリーズの一番の違いは「お財布ケータイ」機能。 私は携帯で買い物しようと思ってないし 音楽もipodあるからきかないし ってんで7シリーズで十分だったんです。
といってもまあSDカードとか外部メモリが使えないし セキュリティもあまいし。
初めてのDシリーズは使い慣れるまではちょっと梃子摺りそうです。
chick me
お墓で母にずっと詫びていました。 私はこれから 実家とのある種の決別宣言をします。 私の止まらない涙を皆は母への慕情だと思っているだろうけど これは詫びの涙です。
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妹を泣かせました。
父も目を真っ赤にしていました。
私の選択は子としては間違っているのかもしれません。
だけど 今はこうしなくては前に進めないんです。
父は「わかった。彼から連絡が来れば無視するようなことはしない。普通に接する。だけどお父さんから連絡することはしない。」と言いました。 本当は色々と夫に言いたいことがあるでしょうが。
妹は唇を戦慄かせながら「おねえちゃん おねえちゃんは幸せ?幸せなら もう何も言わないよ」と言いました。 私が「幸せだよ。」と答えると「わかった。」とまた涙を流していました。
幸せ、というのとは少し違います。 夫と向き合って生きていくことで幸せが新しく生まれることに期待したいのです。
最後に父は言いました。
「夫婦は互いの欠けている部分を補い合うものだけれど、お前たちは同じところが欠けているから うまく埋めていけないかもしれない。 相手を気遣うことと無理をすることはまったく違う。 この先お前が無理をしたり、彼に無理をさせたりするようであれば お前たちは互いに手を離すべきなのかもしれないよ。 それが彼の新しい幸せに通じることもあるし、お前も新しい道を切り開くことに通じるかもしれない。そのことは覚えておきなさい。」
父だっていつまで元気でいてくれるか分からない。 そんな父に私はこんな思いをさせて ほんとうに不出来な娘です。
ごめんなさい ごめんなさい
でも私は1つ荷物を下ろしたように体が軽いです。
もう実家と夫とのことで悩むことはない。 それだけで 明日という日が来ることをうほっとした気持ちで迎えられそうです。
私と夫はインドか南極に行っている、という風に思ってくれれば一番いい。 簡単にあえないけれど 生きている 元気でいる そう思ってくれれば。 勝手な言い草ですが。
chick me
午前4時から携帯の液晶に照らし出された時計の表示を見ていた。
ああ、このころ病室に看護婦さんたちが飛び込んできて母にマッサージをしていたんだっけ。
1年が経つ。 1年が経つんだ と泣きそうになっていたら突然夫の携帯が鳴った。
驚いていたら夫が「タイマーかけてたんだ」と言った。
明日の一周忌に夫は行かない。 行かないけれど夫は夫なりに母を愛し夫なりのやり方で母をしのんでいる。 それで十分じゃないんだろうか。
先週の28日母の59歳の誕生日、お墓参りに行った。夫と。 5本のピンクのバラと4本の白いバラと1本の赤いバラ。
母の入院中、何度か一本600円するバラを買った。 一本だけ買って病室に飾ると母はすごく喜んでいた。 本当は去年のお誕生日には抱えきれないくらいのバラをあげたかったが、あのころはもうコミュニケーションをまともに取れない状態だったし、花の香りで気持ち悪くなってしまうかも知れず 少ししかあげられなかった。 ただ、もう寝てるんだか起きてるんだかわからない状態の母を囲んで父と妹とハッピーバースデーを歌った。 父が、泣きながら歌った。
私は母の一部で 母は私一部だった。 子は、自分の子を持たない限り自分の親と繋がっているんだろう。 自分の子を持ってはじめて自分の親との繋がっているものを自分の子供に繋ぎかえるのではないだろうか? だから母が逝ったとき 私の一部も確実に持っていかれている。 妹も同じように母の死を悲しんでいるが、妹には二人の子供があり 妹はその子達のために自分の命を投げ出すことに躊躇しなくても 母のために自分の命すべてを捧げることはできない。 妹がすでに親だから。子への責任があるから。
なにを馬鹿げたと思われるだろうが、私は母が「一緒に逝って」といってくれたら一緒に死んでもよいと本気で思っていた。 母が苦しむ姿を見ながら 私の命をいくら持っていってもいいから この苦しみからだけでも救ってくれないものかと毎日毎日願っていた。 人は一人で産まれてきて一人で死んでいくものだけれど、母を一人で逝かせる事が申し訳なくて 母が哀れで たまらなかった。
母は死に怯えていた。 怯えを見せないように耐えている姿に ありありと怯えが浮かんでいた。
私は母にずっと囚われている。
母は結婚してから母が受けてきた苦しみ、悲しみのすべてを染み込ませるように私に残していった。 喜びももちろんくれたけれど 人は負の感情のほうが鮮明に覚えているものだ。
いつか書いたかもしれないが、私の母は商売人の長女で父は医者一家の長男だ。 ふたりの結婚への反対はすさまじく、結婚を決めていた父と母は私をつくり それから籍を入れたのだが父の姉夫婦は 生まれて数日の私を抱きお乳をやる母の枕元で それはそれは 残酷な言葉を投げつけたそうだ。 「私」という自分が腕に抱いている命を否定された母はショックで母乳が止まった。
それでも母が父の親戚との付き合いを続けたのは、母自身が認められたくて懸命だったからだ。 父が病気になったときも いろいろ仕出かしたときも母は耐え支え 私が生まれて10年ちょっと経ったときようやく「あなたが息子を支えてくれている」と認めてくれるようになったそうだ。 といっても、そのさらに後 亡くなる1年前の田舎での法事で胃がんの母への配慮は薄く 母は体調を崩して帰ってきた。
そしてそこでまた拒絶の気持ちが強くなった。
父は自分の姉妹たちに母の病状を連絡し、見舞いを受け入れた。 伯母たちの見舞いの数日前まで母はまだシッカリしていたので、それとなく「伯母ちゃんたちくるかも」と告げたとき「こんでよか(=来なくていい)」と母はハッキリ拒否した。 しかしそれを父に言ったところで この状態で父と母がひと悶着あることはさけたかったので 私はそっと父に「あんまり今の自分を見せたくないみたいよ」とだけ言った。
父は伯母たちの見舞いたい気持ちを優先した。 というか、母がそこまで嫌がっているとは思っていなかったのだろう。
だから葬儀の際に父の姉の夫、つまり伯父が、伯母と一緒になって母にひどいことをいってしまったと泣いて詫びたとき「死んでから私に言ったって遅いんだよ」と私はさめた気持ちになった。
それでも私はたとえば何かの用事で田舎に行ったとしたら、彼らと付き合うことはできる。 心を開いた付き合いではないが。 母の残した気持ちは 強い。
私は父とよく似ている。 父が嫌がること 好きなことが手に取るように分かる。 父が自分の兄弟を尊重する面が私にもあり、父が母に暗黙のうちにしてきたように 自分の夫に自分の側のやり方に従ってくれるよう押し付けてきた。
伯母と母との間ほど陰惨ではないが、夫と私の妹との間にも苦いものがある。 夫は妹とのいさかいの後のこれまで3年間 ずっと我慢してきてくれてた。 私はそれに甘え いつか薄れてくれるんじゃないかと勝手な希望でここまできた。
5月半ば、母の弟が夫に仕事に関することで迷惑をかけた。 その日まで夫は明日の一周忌には参列してくれるつもりでいたのに すべて壊れた。
夫に もうお前にまつわるすべてと関わりたくない と言われた。離婚だ。
私自身にも至らないところはあるが それ以上に私にまつわる私側のすべてが嫌になったというその気持ちは今の状態を続ける以上変わることもなあなあになることもない 濃い決別の意思だった。
私は 考えに考えた。
自分の母が父の姉妹に気を遣って生きてきた30年間を考えると 夫に同じ種類のものを強いるのって間違いなんじゃないだろうか? 私は嫁いでいるはずなのに、自分の家の側にどう思われるかに囚われすぎていたんじゃないか。 親の思惑からなるべく外れたくないとそればかり気にするただのガキなんじゃないか?
私の父は夫に対して普通の娘婿に接する以上に気遣いをくれる。 そんな父を夫も好ましく思っている。一緒に旅行ができるほどに。 だからこそ夫は感謝と窮屈さとで 苦しかったと思う。
私は 妻である以上に 父と母の娘である部分が強すぎて ちっとも夫の側に立てていなかった自分を恥じた。
父や妹たちと交流を断っても 血のつながりは消えない。 が、夫とははんこをついてしまえば赤の他人だ。 子供もいないのでしがらみもない。 書類一枚で他人になってしまう夫に対して 私は誠意を尽くしてきただろうか?
いや できてきてない
結婚して丸五年経つが 少なくともそれと同じだけの時間 夫とだけ向き合って生きていこうと思う。
明日、父と妹たちにこの話しをするつもりだ。
chick me
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