針の穴に通された光
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触れたくとも、心は遠からじ。 一つ手前の壁一枚。 薄からじ、硬さ鋼のごとし。 思案し、案浮きしなれば心安泰なるものを。
人間、誰しも口癖を持っているものである。 普段ぜんっぜん気にしないけど、その人のマネをするとき は必ず出てマネされて、「あぁこの人ってこの口癖だよなぁ。」と。
しかし、だ。 自分のマネされているところには出くわさない。 マネってのは、ちょっと小馬鹿にしたところがあるのだ。
そうなると、とても自分の口癖ってなんだろうと思う。 うーん、気になってしょうがない。
このページ。 Who Is Myとかいうのをクリックすると、誰がこの 日記を登録しているのかが分かる。 まぁ、こんな日記を誰が読むかっ!と思っていたが あれれ???????????????? 一人いる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 なんで????? どうして????? 全っっっっっ然分からん。 こんなくだらない日記を誰が読むっつうんだ? ・・・・
まぁ、いつでも消去できるし。 ただの気まぐれだと思う。
とはいえ、悪い気分ではない。
水の味というのは、実に表現しにくい。 せいぜい透き通った味だとか、塩素くさい味といった程度。 まろやか、さっぱり、すっきり。 どれもいまいちだが、味があるのは確かだ。 いったい何が水の味を決めているのだろうか。
蒸留水は味がしない。 純粋に水だけ(純水)というのは味がしないのである。 そうなると水を水たらしめているのはミネラル(鉱物)ということになる。 マグネシウム、鉄、カルシウム、等々。 言い換えればこのミネラルが入っているからうまい、 ということになる。
しかし何といっても、水を水たらしめているのはその人の心。 水道水だからなぁ、とか南アルプスの天然水だからなぁ、とか 山から湧き出た自然の恵みだからなぁ、だとか。 その場その場の雰囲気でとっても味が変わってしまうのだ。 何も混じっていないものが真にうまいと信じている人なら、 蒸留水に勝るものは無いのである。
従って水のうまさを表現するなら、その人の信念に従って表現を するべきである。 山から湧き出たのがうまいと信ずるなら、岩が水をどうたらこうたら、 だから○○な味でうまい、といった具合である。
しかし、そんな人は見たことが無い。
どういうわけか昔の名曲がCMに起用されたりして 「懐かし懐かし攻撃」が日々続いている。 今のアーティストはがんばっているのにも関わらず、 何故リバイバルなのか。 今のご時世、世知辛い事件やら納得できない事が多いからなのか。 とにかく誰も彼もが癒されたいご時世に、かつての名曲は心に響くらしい。 事実、名曲と呼ばれるものってのは実に渋い! いぶし銀だね。 鋭い棘はないものの、心に響くずっしりと重いメッセージが あるような気がする。 時代が変われど、人の求めるものはそうは変わらないってことだあね。
ユートピア。 誰もが不自由なく、思うがままの人生を送ることができたなら、 おそらくそれは地獄と呼ばれるに違いない。 適当な不自由こそが、生活を形にすると思うからである。 自由を見出す過程と、そこに到るための根本的理由としての 不自由が大事なのではないだろうか。 生と死が表裏一体なのと同じように、自由と不自由は表裏一体。 不自由がなければ、本当の自由なんて誰も語れない。
あけましておめでとうございます。 私の日記は放置が多いですねぇ。 人に見せる文章というのは非常に難しいものです。 作家志望の身としては、長い間続けることこそ重要かと。 目標は「続けること」にします。 いつまで続くやら。
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