- 2008年06月23日(月) 酷い 鬱。 体のあちらこちらから血が溢れ 吹き出してる なのにどこからその傷を塞いでいいかさえ分からない 自分の輪郭さえ見つからない アタシは何者ですか? か弱い? まさか。 ひ弱だ。 救いようのない ひ弱な女だ 突っ張っても 突っ張っても 一人でなんか生きていけない ひ弱で ちっぽけな弱虫 でも それを売りに? それを仮面にして? 仕事は別としても 好きな人や、まして友達と思う相手と そんな風に付き合ったことなど無いよ そんな器用な事出来ない 人が他人に見せてる顔 語ってることなど 本当はその人のほんの ほんのごくごく一部で その裏の本当の姿など 誰も計り知ることは出来ない 時には その本人さえ 例えば この私の様に 自分で自分の本当の正体さえ 分かってない者も大勢いるだろう 何度も何度も 心の奥底で 自分で自分に問いただす アタシは誰? アタシは誰? 鬱に加えて 育児ノイローゼだろう?って? まさか。 それも違う。 私は一度育児を途中下車したけれど それでも 足元で甘えるこの子は 私にとっては正真正銘 第2子 この時期の幼児がどういう行動を取り 困らせ驚かせ イライラさせるかなんてこと 誰かのレクチャー受けずとも 十分分かってる。 育児が辛いんじゃない。 望んで授かった事だって 十分奇跡。 あんなハイリスクで妊娠してでも こうして元気な子が授かった事にも感謝している。 欲しくとも授かる事すら困難な方々が大勢いるのも知ってる。 育児が辛いだなんて言ったら 贅沢すぎる弱音だ 昔から 物心つく頃から人が苦手だった どう距離間を持って付き合えばいいのか分からず 友達が出来ても いつも言い様の無い居心地の悪さ だから浅く広くって感じ? 面倒だから 一人でいるほうがずっと気楽で好き でも 本当はとても寂しがり屋 だけど今 すごく人が嫌いだし 怖いって思う そして自分の事も大嫌いで 怖い これから先 子育てしていく上で嫌がおうにも人とは関わっていかなきゃいけない場面に 多々遭遇していくであろう まだ見えない未来が 人が すごくすごく怖い だから 私は私を 何重にも重ねたオブラートで自分を包み 半透明な中から人を見るだろう 傷つかないように 傷つけられないように それでもちょっとでも油断したら 自ら流すほんの一滴の雫で そのオブラートは簡単に破れ ダイレクトにその刃を受けることもあるかもしれない けれど また急いでオブラートを再生させ繭の中に潜む そんな寂しい人間なのです ちょと昔の事 離婚して 生まれて初めて本当に一人ぼっちになって 何日も何日も眠らず 何日も何日も食事も摂らず ただただ息だけして暮らした 死ぬ気力さえ無かったあの日々 零れる涙はとうに枯れ果て 鏡に映るのは誰?と疑うほど 別人になって 日中 体を起こし働く気力など どこにも無く なんとなく起きだし動けるのはいつも夕暮れ時で 慰謝料はもらってたが 一人身には贅沢すぎた2Dk 動けない でも働かなきゃと、毎月やってくる光熱費の請求の額に怯えた どうせ眠れないから 時給がいいから 単純なキッカケで始めた 夜のクラブのホステスのバイト ほとんどが大人しいお客だったが 時々 若い連中がやってきて 安ボトル入れ調子に乗った馬鹿騒ぎに付き合った 唐突に開店後 全く身に覚えが無かったが 「自分のお客を取っただろう」と 年下のホステスにイチャモンつけられ 私にしてみればバイトごときで客の数を争う事になど毛頭興味なかったし そういう争いに巻き込まれるのも面倒極まりなかったから ただ黙って 頭を下げ謝った。 それでもシカトされる始末。 それぞれが生活が掛ってるんだなぁって むしろ同情した。 若い客らが調子に乗って それに乗ったフリして付き合ったゲームで負け続け 罰ゲームで一気一気で飲まされ裏のトイレで吐き続け 目の前が真っ白になって意識なくしかけ ドレスにも靴にも 自ら吐いたものが飛び散り 汚れ フラフラになりながら 這い出るようにトイレから出て 店長に「今夜はもう帰して下さい」と朦朧とした意識の中頼んだが 「君のご指名客がもう待ってる。急げ」と一蹴され 更衣室へ他のバイトの女の子に寄り掛かって戻り ドレスを着替え メイクを直し 何事もなかったかのように 客の待つ席についた いつも 帰りは真夜中2時。 当然送迎の車が出て 送りの地区ごとに乗合で 私は場所的に一番遠かったからいつも一番最後で ドライバーさんによく 「いつもラストで悪いね」って でも 私的にはそれで全然良かった 早く帰宅しようがしまいが どうせ帰るのは一人のあの部屋 誰もいない真っ暗な あの部屋 送りのドライバーさんとは なぜか気が合いよく話した 彼の好きな永ちゃんのロックンロールを聴きながら他愛もないことを話しては 笑った 私が疲れてるだろうと気を遣ってくれたり とても優しかった いつも自宅100m前で降ろしてもらって その後は真夜中の道を一人歩いた ゆっくりゆっくり 星を数えるように 夜空を見上げながら 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 小さく小さく 口ずさみながら 泣く事をとうに失くしてしまってた私だったけど それでも仕事の後、真夜中の帰り道では言葉に出来ない寂しさや悔しさ 無情さに涙が込み上げて そんな歌を歌ってでもいないと 一人暗い部屋へ帰る事など出来なかったよ その後 酷い鬱になりバイトは辞めざるえなかった まあ本来ご法度の 薬にお酒のちゃんぽんしてたんだから当然の自業自得 何を書きたいんだか混乱してる 誰かに言われた通り? 私はそんな夜の仕事も出来たぐらいだ プライドも本当は高くて鼻もちならない女で 油断ならない したたかさも持ち合わせている厭らしい人間かもしれない でもね。 自分が好きになった人には やっぱり好きでいてもらいたかったり 嫌われても煙たがられても 自分が一度心を開いた相手を簡単になど嫌いになったり出来ないし 割り切れないし 吹っ切れないし 本当に伝えたいことも上手く言えない自分に 喉の奥に 心の奥に もどかしさが詰まって言葉に出来なくて勝手に苦しんで 好きだった人に 心を疑われたままなんて耐えられない 好きだった人への疑いを持ったままの自分の気持ちも簡単になど消化で出来ない 心の闇の中で もがいて あがいて 答えが見つからなくて 答えを出すのも辛くて 好きなものは好き おめでたいねぇって笑ってくれていいよ そんな そんな 本当は寂しがり屋で ただただ臆病な人間なのです。 こんなつまらない長文を読んで下さった方がいたら 心から感謝します。 ありがとう 小雪 ... - 2008年06月21日(土) 子供がね 生まれたんだ。 もう一歳8ヶ月。 最小限の安定剤と睡眠薬を飲みながらのマタニティー期間。 精神薬飲んでること 高齢なこと 子宮筋腫もあること 自ら選んだ妊娠なのに 妊娠を喜べることは正直少なく 無事に生み 育てる自信も無かった。 お腹もトイレに立つだけで張りだす始末で 常に切迫早産の危険と不安がつきまとい 入院もした。 それでもなんとか臨月までたどり着き 帝王切開により出産。 それがさ。 生まれるまでは部分麻酔だったのね。 背中に注射 肩にも筋肉注射 痛いし 怖かった。 第一子も帝王切開だったから もう3回お腹を切った。 もう十分だよ。 どんな病気になっても又あの手術台での恐怖を味わうならお腹を切るなら 私はきっと別の道を選ぶだろう。 出産の半年前に卵巣のう腫でお腹15�兩擇辰� 膿んで膨らみきった右卵巣の摘出手術したんだけど それからが 手術台のトラウマ。 術前の説明では全身麻酔で行うって言ってたから 寝てる間に終わるなって ちょっと安心してたのに 当日 手術台に乗ってから突然 麻酔の先生から「部分麻酔で行います」っていわれ愕然。 は? 聞いてないよっ!!!! 「やめてー!!全身麻酔にして下さい!!」って叫ぼうにも すでに酸素マスクで覆われてて。 しかももう全裸で まないたの上の鯉状態。逃げ場ナッシング。 「お腹の赤ちゃんになるべく負担にならないようにしたからね〜」と 執刀医の産科の先生は明るくおっしゃった。 それから約2時間 お腹だけの部分麻酔で色々と内臓をひっぱったり切除する感覚は麻酔してても分かった。 先生や医学生(大学病院だったから)達の医学的な説明や指導のやりとりの 一部始終が全て聞こえた。 そしてあの手術に使う器具の金属音がたまらなく怖かった。 もう二度とお腹は切りたくないと手術が終わって病室に戻って号泣した。 なのに また部分麻酔での出産。 あの時の恐怖が蘇り 麻酔がかかったかどうか先生が氷水でお腹をなでて 「コレ、分かりますか?」って先生に確認されるだけど 何度聞かれても恐怖の余り「分かる(きがする)」って答えてたら 先生が呆れはじめ 「だから精神科の妊婦はやっかいだ」みたいな事言われ 結局 私のOKが無いまま執刀開始。 お腹にメスが入り血が流れ落ちるのが分かった。もちろん痛みはなかったが。(あったら死んでる!) 30分ぐらい前回の手術の癒着などの作業をして 「じゃあ ちょっと押すね〜」って声をかけられて かなり押されてる感覚と同時に引っ張られる感じも重なって 次の瞬間「オギャー」。 最後まで教えてもらえなかったが男の子だった。 (正直 女の子が欲しかった) 生まれた喜びより もうこれで手術から解放されるとういう安堵でむしろ一杯だった。 それからあれよあれよという間に もう一歳8ヶ月。 産後うつって人最近多いらしいけど 産前からうつのママは少ないだろう。 やっぱりホルモンバランスとか?崩れてたりしたせいか 鬱は産後のほうが辛かった。 到底育児日記などつける余裕もなく。 生まれた翌日から又 安定剤 睡眠薬飲んでたから 乳腺が張り胸の膨らみが痛かったけど 私は初乳すら我が子に与えてやれず 悔しくて情けなくて 自分を責めて病室で泣いた。 今週やっと保健所の1歳6ヶ月健診へ。 本当はもっと前からお知らせ届いててもっと前に健診日指定されてたんだけど。 やっとやっと行けた。 鬱の状態でも 休息の余裕を与えてくれず甘えてくるわが子。 この2.3ヶ月全く食欲がなくて台所へ行くのも立つのも辛いが ただただ この子に食べさせなきゃって。 頑張って作っても食べない。 食べながら遊ぶ。 食べ物こぼす。投げる。 終わって床ふいて。また食べさせる。 毎日三食それの繰り返し。 それを見ていたら もう自分の食事を作って食べたいって気持ちが無くなった。 朝から晩まで コーヒー。 なんか鏡見て頬こけてる?と思い体重計乗ったら5キロ痩せてた。 別に嬉しくも悲しくも無い。 診察で子育てが辛いと弱音を吐いた。 先生が「見てくれる保育園あれば診断書書くから 探してみたら?」と おっしゃってくれたが なかなかそんな甘い所ないの分かってる。 奇跡的に見つかったとしても 朝早くから起き 保育所まで連れて行ける 気力があるだろうか? まともに家事が出来ないなら福祉のヘルパーも派遣してもらえるけど この散らかり放題を他人に見せる任せるっていうのは なんか。 出来ないなら頼むしか無いのに その辺でなんか変なプライドが。 それぐらいは出来るはず。とか。 全然出来てないのに。 自信ない。 こんなんで まだまだこの先長い育児をしていけるんだろうか。 実家には甘えられない。 ご近所の義父母の家にも甘えたくない。 夫の帰りは毎晩深夜。 誰もいない。 頼れる者がいない。 子供と私だけ。 自分でやれることがまだ一つもない幼子はひっきりなしに甘える。愚図る。 言葉だってまだ分からない。 1から10まで私が必要。 その私がこれじゃ。 ごめんね。 もう本当なら公園で思いっきり走ったり ブランコ乗ったり 砂場で遊んだりして 青空の下を走り回る年頃なのに 全然外遊びさせてあげられなくって 友達作ってあげられなくて 歌も歌ってあげられなくて ごめんね。 ソファで横になって君にはDVD見せてばっかりで ごめんね。 もう少ししたら 気がつくのかな。 うちのママは よそのママと違うって。 どう映っていくんだろう 君の目に 君の心に 元気になりたいけど まだ荷は重すぎて こんな雨の日。少しホっとする。 よその子も今日は家で遊んでるんだって言い訳できる。 でも鬱には拍車が掛るどんより雨空。 生理前 一つだけになった卵巣でホルモンバランスも狂いやすくなって それもメンタルにストレートにくる ああ もう ずっと星も見上げてないや。 無理してでもやらなきゃいけない事は確実に増えたのに 動けない体がうっとしい。 子供が出来ても変わらない自分の病を呪いたくなる。 休みたい。 休みたい。 半日でもいい。 ただただ ボーってしていたいだけ。 小雪 ...
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