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2005年11月30日(水) 奇縁から。


息子を産む前に子宮に筋腫が5つ見付かった。
子宮筋腫と言う物は、調べると誰でも小さいのは割と持っている。
ただ、筋腫の位置によって、子供に影響が出る事もあるので
全くなめていい代物と言うわけでもないのだ。

現に私の場合、子宮外部にあった物が子供と一緒に大きくなって
しまいにはアバラを押し上げ、救急車で運ばれた。痛いのなんのって。
結局、息子を帝王切開で生む際に、どさくさにその巨大筋腫は取って貰った。
数が増えてないとして、残るは4つ。

実母がこれを大層心配して、口煩く言われる。
実母は筋腫がひどく大きくなって、摘出手術止む無くなり、その際に
別な場所に癌が見付かり、短期間にコンボな手術となってしまった。
有難い事に今も永らえて、私は息子を見てもらっているのだが
母がコンボ手術をした年齢に、私も段々近付きつつある。
息子を産んでから一度も検診に行かないのが、母は不満な様子だ。

これはまあ、言い訳に過ぎないのだが・・・

息子を産んで、筋腫の手術を受けた病院で検診を受けろと、私はいつも
言われており、私自身も行く時はそこへと思っていた。
奇縁と言うか、斜向かいのご主人が、その病院へ産婦人科医として
勤務となったのである。


我が家はちょっと変わった環境にある。お隣は息子の小児科の先生。
お向かいは、息子の幼稚園の理事長先生。そして斜向かいが・・・
息子を産んだ病院の産婦人科のお医者様。
ついでに更に一軒置いて向こうが、息子を産んだあと、半年近く痛くて
動かなくなってしまった、私の右手の治療をして下さったお医者様。
一番初めに住んでたのはうちなので、だからこれは何だか信じられないが
全くの偶然なのだった。

問題は、斜向かいのお医者様だ。若い。私より若い。そしてハンサムだ。
奥さんは美人でとても優しい方だ。お子さんは息子と遊んでくれる。
恥ずかしい。絶対にその方の診療の日は避けるとして、だけどたまたま
お医者様の都合で診察日がずれたりと言う事は結構あるのだ。
もしもその先生の婦人科診察に当たってしまったら。

「すみません。ご近所の旦那さんでもあるので恥ずかしく見せられません」
とか言って帰るのか私。
と言うか、担当の先生が違っても待合室にいるのを見られる事自体
何だか猛烈に恥ずかしい気がする。
ん〜、外科とかなら別に恥ずかしくないんだけどなあ。
耳鼻科もいやだな、今日行ったけど。鼻の穴でものぞかれるのは恥ずかしい。
泌尿器科もいやですね。通った事ないけど。

でもやっぱり婦人科が一番恥ずかしいんだっ

とは言え、やはりそこの病院で検診を受けたいので、ちょっと様子見してる。




2005年11月29日(火) 接種、終了。


週の初めの月曜日、インフルエンザ予防接種2度目、無理矢理決行。

朝7時に自動予約の電話を小児科医院に入れる。
「本日の予約は、既に終了しております」 ひいいいいいっ。
でも行く。決行。

ウィルスをカットすると言う高価めなマスク着用で、少し離れた
スーパーに、買い物がてら車を止めたまま、いざ病院へ。
入り口が人で閉まりません。ひいいいいっ。溢れてます。
入り口で知り合いのお母さんと遭遇。
「予防接種2回目?」と私。
「いや、何か2回目の接種の時、もらって来ちゃったみたいでさあ風邪」

ううううううう。
息子の鼻はまだ低く、マスクの治まりも悪い。でも頬っぺたが、む〜んと
膨らんでいるので、頬の部分の密着度は高い。
マスクは外すなと言ってあるので大人しく着けている。

幸いな事にびっしり混んではいたものの、接種の患者さんが多かった。
1時間弱で呼ばれたのは幸いだ。受付終了5分前飛び込み作戦が
功を奏したのかも知れない。

息子はこの病院の先生が大好きだ。生まれた時から診て頂いていると
言う事が大きいが、実はこの先生、我が家のお隣に住んでおられる。
お会いした際は、いつも息子に言葉を掛けてくださる。


帰り道は真っ暗だった。
『ああ、運転が不安』と母は思った。息子は能天気で「お母さん、我慢
したんだから帰りの車でロックイットかけてね。ロックイット」
ハービー・ハンコックのそれは・・・お母さんもう飽きた。

一回だけかけて、そのままチープ・トリックへと曲が変わる。
「またロックイットにしてよ」
「今CDをいじったら、お母さん車ぶつけます」

我慢してチープ・トリック『永遠の愛と炎』(う)を聴いている息子。
「これは何の歌なの?ねえ」
「何のって、何が」
「何を言ってる歌なの?」
「これは・・・」
 恋のと言おうとして、すごく面倒な事になりそうな
気がして言いなおす。「これは大人の歌です」
「そうか」 ハービー・ハンコックが子供の歌ってんじゃないけどね。

「Rちゃんはこう言う歌は嫌いかい?」
「いや、大好き」
「そうかい」

近所で年々クリスマスの電飾が派手になって行く家が、一軒だけある。
「わあ!サンタクロースだよ!」
「そうだねえ(どわ、また随分と派手に)」
「夜の電気が、綺麗だねえ」
「うん、でもお母さんあんまり夜運転するの、得意じゃないけどね」
「お腹が空いたなあ」


帰宅後、山ほど食べてから 息子、ぐっすり。
マスクをしていたとは言え、何か伝染してるやも知れず
別に小児科でもらわなくとも、学校でもらってくるやも知れず。

ああ、でも今年も憂鬱な行事が一つ終りました。
あとはワクチン打ったのに罹っちゃったようと言う・・・まあそれは多分
あったとして来年なので、今年は残り、静かに暮れて欲しいです。





2005年11月28日(月) いつかいってしまう。


『100人殺した人をオレが鉄砲で殺せば・・・』

息子が何かの拍子にそんな事を言うので「殺すと言う言葉はやめなさい」
と注意する。う〜ん。家の中では余り使ってないはずなのだが。
でもアニメとかも観てるし。う〜ん。
鉄砲は銃の事だと思うんだけど、何で鉄砲なんだろう?と思う。
「とにかく、殺すと言う言葉は良い言葉じゃない。使うもんじゃない」
頭ごなしに言われた息子、ふくれる。

寝しなに、「Rちゃんが大きくなったらお母さんは死んでるね」と言う。
まあそうかも知れないが、息子に言われるとむかっと来ますね。
「まあ、そうかもしれないけど何で?」
「お母さんは、もう60歳とかだからね」 むむう。悪いか。
「ママちゃん(祖母)も死んでるね。もう66歳だからね」(本当)
言いながら、布団で微妙に半泣きになる息子。

「Rちゃんは死んだら悲しいんだね」
「うん、Mちゃんのお祖母ちゃんは、死んじゃったからね」

そうか、先日お通夜に出席したご近所の方は、息子のクラスメートの
お祖母ちゃんでもあったのである。息子とその話を特にはしてなかったが
学校で、友人同士、或いは先生とそんな話をしたのだろう、きっと。

「Rちゃんがいなくなったら困ると思うときは誰もいなくならないよ」
まあた、いい加減な約束を。

私は小学校3年の時、祖父が死んだ。
死体をじっと観察していた事、焼き場でおにぎりを食べた事、頭蓋骨が
中々割れなかった事、そして病院で『学芸会には必ず行くよ』と
言ってくれたのに、来てくれなかったなあと思った事。
2つ違いの弟が祖父の亡くなった日の翌日が誕生日であったため
「オレの誕生日はあ?」と何度も聞いて、母に
「誕生日なんてそれどころじゃないっ」みたいな事で叱られて大泣きした事
初めて大阪(祖父の故郷)の叔父さんに会って『人生ゲーム』を買って
もらった事が記憶の全てだ。

息子は布団を被って少し泣いていた。
死ぬと言う意味は、まだ判らないと思うのだが。そうでもないのだろうか。
少しだけ欠けた家に育って、息子なりに頼る者がなくなる不安を
漠然と感じているのだろうか。

「Rちゃんがいて欲しいうちは、大丈夫」
私はもう一度、根拠のない言葉を言ってみた。
そして根拠のない分、説得力のある言葉を加えて見る事にした。

「手稲のお山の病院のお祖母ちゃん、もう93だけどまだ元気だし」






2005年11月27日(日) 髪の毛を。


髪の毛が、かなりうっそうと伸びちゃいました。何とかしないと。

美容室って担当美容師さんによって、髪型の好みがやっぱりあって
短くするのが好きとか、染めは派手メな色を勧める事が多いとか
そう言うのがあるんですね。
「お任せします」 といつも言ってしまう私は正に
「あなた色に染まります」の状態。

同じ美容室に通い続ける習慣があります。今のところに通い始める前は
かなり遠い美容室に10年以上通ってました。
さすがに一日がかりは疲れるのと、息子も一緒に刈ってもらいたいために
近所の美容室に変えました。

以前通っていた所は、とにかく短く刈ってくれます。刈り上げです。
「短い方がお似合いですよ」と担当さんが言うので「そうですか」と言います。
そして染め色が派手。
一度レッドペッパーだかと言う色に染めたら、頭が真っ赤に。
そりゃあ名前からして、そうなるわけですが。
短髪で赤い髪、私としては「少し無理かも」と思いました。
美容師さんも、実は思ったんじゃないでしょうか。
その切り立ての赤い頭で1週間、人前でバイトしてましたが。とほほ。5年前くらいの事です。

今の美容室の担当さんは、長くするのが好き。中々切ってくれません。
「この方がいいですよ」 そうですかあ。どうなんだろう。
でも長めのボブと言うか短めのワンレン(古)と言うか、似合う顔の人は
もっといるなと言うのが現在の感想です。つまり私は似合わない、と。

以前漫画で、ずっと短髪にしていた女性キャラクターがポニテにしたら
その髪型が男性諸氏に受けていたのをみて、「ポニテか」と真面目に
考えました。長くはなっているので、もうすぐポニーテールに出来ます。

「今回は前髪だけ切ってもらってポニーテールが出来るようにしたいと思う」
家の中で宣言してみました。早速、実母から異論が。
「あんたの年でポニーテールかい」 ・・・なにをうっ
そりゃ頬のお肉と言うか、若い頃より張りがないから可愛くないけどさ。
「でもポニーテールにすると、若返った気持ちになるかも知れないし」
「今じゃ似合わないと、思うねえ」 ・・・なにをうっ

長く伸びた髪を短くする時って、何だか結構、決心がいります。
一度切っちゃうと、伸びるまで時間がかかるし。
似合わなかったら最悪だし、縛ってるのは楽だし。
だけどポニテは自信がないし、頬の張りはないし。女優さんみたく
何かをほっぺに入れるお金はもっとないし。

「今回はどうしますか?」
もじもじしていると 長いままになっちゃうから、はっきり決めて行かねば
なりません。学生時代から良く仲間同士集まっては、こんな話をしてました。
髪型はいつでも女性の悩みでもありますからね。
そんな時、必ずこう言う子がいるんですよ。「誰もそんな見てないって」

・・・なにをうっ(笑)






2005年11月26日(土) 母と息子の一週間。


来週は息子のインフルエンザの予防接種2回目。
小学校では2つほど、流行り病が出ていて、小児科は
「こんな停め方して、どうすんじゃあ〜〜」と、通りからみて恐ろしく
なるほど、入ったら最後、転回不能、しかも出口は詰まってますよの
駐車あんばい。

通常診療と接種。時間は一応分けてあるのだけれど、接種時間帯には
小学生は帰宅できず、休ませるわけにも行かないので、普通の診療時間の
接種となってしまう。

息子2歳の時だったが、今で言うノロウィルスらしき物にばっちり感染。
親子で同時に胃腸症状を起こし、2日後には家族全員が寝込む羽目に。
そのあと老人ホームで悲惨な感染の仕方をして、このウィルスの事が
広く知られるようになったけれど、罹ると中々怖い。
胃腸が弱点の私は家族で一番重症に〜っ
これも時期から接種の際、感染したと思われる。
でも仕方ない。これはもう、そう思う。

だから「ヤブと言われる医者を利用して接種だけ受ける」と言う荒業が
母たちの一部で流行中のようだ。
それと、内科を利用する方法。
内科の、特に個人病院は 検査のお年寄りなどは多いが、インフルエンザ
の流行期以外、それほどは混まない事が多い。
しかも溶連菌感染症など、子供に特有の流行病の患者が少ない。
冬場はねらい目だと、言ってる人もいる。

日和見な自分は行き付けの小児科さんで親子一緒に1回目の接種を受けた。
親の方は2回目の時に一緒にする予定だったのが、うっかりして1回目の時
受けてしまった。来週は息子2回目。
生まれた時から診て頂いてるお医者様なので、やはり一番診察も安心して
受けられる。だから混むけど、私はこっちにしちゃうんだよなあ。

接種の週にはプール教室の試験。
前回の試験の時、息子は蓄膿症状があったため、休ませた。
試験日だと言う事を、うっかり見落としちゃったのだ。
だから今週は、何があっても休ませるわけには行かない〜と考える。

たかがそれだけの事であるわけだが、週が無事に終って息子の寝息を
聞いているとほ〜〜〜〜〜〜っとするのも、また事実なんである。




2005年11月24日(木) お昼の生活、夜の生活。


オンラインゲームにはまっています。
ゲーム自体にはまっていると言うか、そこで会う人達との
やり取りをとても楽しんでいます。

今やっているゲームはシリーズ物であり、一番初めはドリームキャスト
と言うコンシューマー機で発売された物です。
そのあと、PC版、GC版、Xboxとプラットフォームを移しながら新しい
エピソードが加わったりで、ドリームキャストでの発売からもうすぐ
5年になると言う、大人数用サーバを持つ人気のゲームです。

私は息子が随分小さい頃から、これをやってました。
寝付いたら滅多に起きないんで、初めのPC版から始めてます。
息子は2歳くらいだったかな?
以前にも書きましたが、GC版を6歳になった息子と一緒にやってるうち
無性に現在配布されている新シリーズの方をやってみたくなり
買っちゃったと言う訳です。

ゲーム中で私は背の高い、長いドレスを着た魔法使いの姿をしています。
でもまあ、中身はほぼ私。そのまんまです。
身長がちょびっと小さめなのがコンプレックスだったので、すらっと
した身代わり
を作ったら、ゲームの中では小さい方が可愛い事に
気が付きました。 ゲームの中では背が高い事がコンプレックスです。
ゲームの中の私は、華やかな色も似合わないではないですが、現実は
割と地味めな色ばかり着ています。魔法使いの被る、可愛らしい帽子の
変わりに寒さ防止の耳アテをかけて、杖の代わりにカバンとスリッパを
持って、息子の学校に授業参観です。

ひっつめにして縛った髪が無造作で、やはりあんまりなので、年末までに
少し切ろうかと考えてます。美容室では必ず
「どんなふうにしましょうか?」 と聞かれますが、これがとても苦手。
「顔が丸く見えないようにして下さい」
「少しでも若く見えるようにしてください」
(無茶)
最近はこればっかりです。

うっかりPCを付けている場を息子に見付かると大変です。
「ああああ、お母さんゲームやってる」 はう。
「この武器何?オレにちょうだい」
「無理、パソコンからGCに武器はおくれません」

GC版にはいない敵を見せてやると喜びます。
「おおおお、茶色いラッピーがあっ」
ああ、始めたばかりの私と同じ反応。こんなどうしようもない所に
親子を感じたりします。

親は毎日夜になると遊んでますが、息子がゲーム機に触る事が許される
のは週末の一定時間のみ。ですが、息子はそれほどゲームが好きでは
ない様子。何かを組み立てたりする方がずっと好きなようで、今は
祖母が編んでいる編み物に関心が強いようです。
親の方が夢中ってのも、何だかですが、オンラインゲームは
コミュニケーションのツールとしての意味合いが自分では強いです。
色々な場所に住む、歳の近い方と定時に会えるのは楽しいです。

どこかのスナックの常連さんになった気分に近いかも。
行くと知った顔があると言う、そう言うのは好きでした。昔ですけどね。

授業参観でも知った顔がたくさんあります。もちろんみんなお母さん。
張り出してある子供の絵を見付けては、頭を抱えたりしています。
「あれはね。ゾイドのつもりなんだよね」
思わず親が聞かれてもいないのに説明を加えてしまったり(うちがそうです)
「お子さんが成長したなと感じる部分をお一人ずつお話してください」
とか懇談会で担任の先生に言われて、真っ赤になってみたり。

子供が眠って、しばらくその日の用事をして、PCをつける時はちょっと
ほっとします。馴染みのお店の扉を開く時のようです。

人と人とのこれも出会いの形ですね。
何かで心が動く時は、目の前にその人がいるのと何ら変わらないと思います。





2005年11月22日(火) この季節。


キリスト教徒じゃないけれど、この時期に何となく嬉しい事や
不思議な事があると空から天使が降りて来ると言う言葉が浮かぶ。

陽が落ちるのがやたらと早くなった街で、電飾の光が暖かい。
ケイケンな気持ちで思うのではないけれど、100円ショップでも
売っている ラッパ吹いてる小さな天使のオーナメントや
ショッピングモールの出入り口に下がっているLEDって
言うらしい、一層強く点滅する光が、どこか不可思議であり頼もしい。

カミサマに当たる物を私ははっきりと持っていない。
自分の中に培って来た経験や、道徳観や価値観などを頼りに、この先
何年留まる事になるか判らない世の中を日々、生きている。
それを吟味し、誤りは正し、子供に伝える事が 残った自分の人生の
一番肝心な部分であると思っている。

「お母さんは朝寝坊だ」とか休日にいきなり息子に言われてしまったが。

つまりはあれだ。言うだけなら簡単って事だ。でも思ってはいるんだけど。

ふらふらした足取りに空から降って来る光は優しい。
自分の中にある何かと、呼びあっているのかも知れない。

優しい気持ちになれると、随分自分の表情が和らぐのが判る。
と言う事は、逆の時はさぞ、恐ろしい顔に変化しているに違いない。
その辺りは、自分で律して行くしかない。
にんげんだもので判ってもらうには、今一つ、息子もまだ幼い。

暖かいクリスマスを迎えたい。
そして暖かいお正月を迎えたい。
それらは自分のけじめであり、すでに自分教の行事である。












2005年11月20日(日) 冬素材に変えながら。


今日からクリスマス仕様です。

素材はいつもの通り、お気に入りのサイト様からお借りしております。
(pearl box様)

季節感があるのって良いですね。今日は、近所に住む高校時代の友人宅に
届け物に行ったのですが、数軒先であるにも拘らず、すごく寒かったです。
とけ残りの雪はあるわ、氷雨は降ってるわ。
でもこう言う冬素材をお借りして来た時なんかは「季節が変わるってのも
いいもんだな」って思いますね。

素材を季節物に変更しよう!と思う日は大体、私自身がご機嫌だったり
するから余計なのかも知れませんが。 気分屋なんですね。
多分、少し違った人生を生きていたら、もう少し気持ちの起伏も少なくて
済んでいたのかなと思う事もあります。
元々余り落ち込まない性分です。どうしても言いたい文句は一人に言えば
あとは余り言わない方だと思ってます。
ただ文句を言っちゃう相手と、本当に言いたい相手は必ず違ってますが。
面と向かっては、余り色々言えない方です。

いい年をしてそれでは駄目だと、特に子供が出来てからは周囲に言われる
事が多くなりました。親兄弟は心配してくれますね。
そのうち、子供にも言われるようになるんだろうなあと思います。
だけど性分と言うのは中々治りません。

ネットで話す相手の方が、自分が普段考えているような事で議論したり
しているのを見るのは、何だか少しほっとします。
悩みのない人なんていないのだけれど、普段は余りそういう話は
奥さん同士集まってもしないです。
ちょっとお酒が入ると色々な話が聞ける事もあるけれど話が一気に真剣度を
増し、これもちょっと「どうしよう」と言う気持ちになってしまったり。
言ってもしゃ〜ないけど言ってみるみたいな話をする事って少なく
なりました。

学生時代は、いつもそんな話をしてた。と言うよりそんな話しか無かった。
勤め人になって、現実味がやたらとある話が多くなるのは面白いけれど
寂しかった。けれど気の会う仲間がそろえば、まだ楽しい話は色々出来た。

階段を一段一段登って行くようで、楽しかった頃は振り返っても、もう随分
下の方になってしまっていて、生きて来た道だけがぽつんと伸びている
ように感じる時、奇妙な寂しさを覚えるのです。
そんな時に人が戸惑ったり、何かを言葉にしようと一生懸命な姿を見ると
ほっとします。自分も参加したくなりますね。

幸せを確認する瞬間は 考えて見ればたくさんたくさんあります。
冬素材に変えてみた時なんかもちょっとした満足感が幸せですし。
家族や子供の健康はもちろん、何より言うに及ばずです。

欲しい物も望む物もないではないけど、努力で手に出来る物とそうでない
物があるのも、この歳になれば何とな〜くではありますが 判ります。

それでも欲しいなと思っちゃうのは、やはり贅沢なんでしょうね。







2005年11月19日(土) つれづれ思うまま。


迷惑メールが一杯だ。
余りに多いので 面白がる事もヤんなって来ちゃった。
まれに、お世話になっているサイトさん関連のニュースなど、一度に
複数個所に配信される物
が 『迷惑メール』のフォルダに
入っている事があるので、一応、タイトルだけは目を通す。

そんなに私に抱かれたい女性がいるのかと思うと驚きですな。

一時期、ダイレクトメールの多さに閉口した事があるが、今はメール
ボックスがそんな状態、しかも風俗系ばっかりですねえ。

年末に向けて2�糎採銘罅�
年賀状用の写真を 毎年、息子と一緒に撮っているのですが そのための
減量です。でもって正月にまた太るからその分も考えての事ですね。
でもこれが中々 達成出来ないんだよね(涙

昔好きだった人に会うなら10��は痩せないとね。
だけど、その人に会うと決めたら その段階でもう3�舛倭蕕擦襦�
女心ってのはそんなもんです。幾つになってもそうですね。
逆に言うと、そう言う事でもなければ痩せないと言うか。
「この服が着たい!」で痩せると言う人の話も聞きますが・・・

今日の会話

私の弟「R(息子)。てぶくろを反対から言ってみろ」 (う、くだらないなあ)

息子「ろ・・・ろ・・・露天風呂?」

全員「露天風呂??」

息子が好きで、録画を頼まれている昔のアニメの再放送『キテレツ大百科』。
良く温泉のCMが入ってるんで、刷り込まれていたみたいで。




2005年11月17日(木) また嫌な季節に。


非常に後ろ向きかつ御幣のある言い方ですが、こう思う時がありますね。

「子供なんて、生まなきゃあ良かったよ・・・」

子育ての最中に色々あって、本当にイヤンなっちゃう事はあるけれど
そう言う時はもちろん、こんな面倒な事は考えたりしません。
普通に怒ったり、うんざりしたりするだけです。

ではどんな時に思うのかと言うと
やっぱり巷で、鳥インフルエンザの話とかが出て来るとですね。

鳥のインフルエンザが人に感染した可能性がある、それは強毒性と呼ばれる
ウィルスであり、これまで人の間で流行した弱毒性のウィルスとは違う。
この話自体は、もう数年前から出てました。
年々、それが人から人へ伝染するウィルスへ変異する可能性が高まって
いると言う事ですね。
今こうしている間にも、もう既にそうなっているのかも的な危機感が
今年の報道からは見られます。いやだなあ。
一旦は豚の身体で変異してと言うプロセスも 別に踏まなくても変異の
可能性があるとか、今現在はそんな感じです。

家族はもちろんの事、自分自身が罹る事を考えても嫌ですが
子供がと考えると、もう堪らない。親御さんたちは皆さんそう考える
でしょうから、不安な思いをしている人ばかりと言うわけで 別に私が
わあわあ言う事じゃないんですけど。

子供だってインフルエンザだけが危険なわけじゃないです。
本当に予測も出来ない、事故や天災、病気。
溜息が出るのはそんな事を思う時です。 「生まなきゃあ・・・」

もう少し大きくなったら、息子が自分で「冗談じゃないぞ」 って口答え
して来ると思うんですけどね、勝手な事を言うなと。
早くそうなればいいんですけどね。

せめてそれまで、待っていてはくれないものか。






2005年11月16日(水) この目。


台所の片隅に、予定が色々書き込めるようになった カレンダーが貼ってある。
家族の外出の予定や、学校での行事を赤いボールペンで書き込んで行く
ので、カレンダーは いつも真っ赤になっている。
それをするのは私の母の仕事だ。 と言うより私が余り、得意じゃないのだ。
「今日は○○があるでしょ」
と言われて「お?」って感じになっている。 駄目ですね。
それはともかく

19日の土曜日のところには大きく汚い赤い字でこの目と書いてある。
どんな目でしょう。
良く見ると、目の字の下にひらがなでひと、これまた汚く書いてある。
目と日とを間違ってしまったのである。一年生。
19日の周辺の予定は、まだ余り詰まっていないので割と白くって
早くから書かれてあったそれは、もうずっと 異様に目立っている。

このひはクリスマスツリーを飾る日だ。急かす息子を何とか抑えて
この日に決めたのだ。

息子はクリスマスツリーが大好きだ。今からビーズを使った飾り作りに
余念が無い。 ツリーを飾ったあとも延々と飾りを作り続けるので、
仕舞う頃には、ツリーが大変な事になっている。
プレゼントも楽しみにしている様子だが、やはりメインイベントは
ツリーを飾る事、これに尽きるようだ。

今年は息子にサンタクロースの事を少し話そうと思っている。
いきなり全部ではなく、でもまあ プレゼントを持って来るのは親だと言う風に。

息子は別に驚かないのではないかと思う。早くも怪しんでいる節がある。
毎年 サンタさんからの手紙と称して私が説教臭い手紙を付けて渡して
いた
のが悪かったのかも知れない。

プレゼントを持って来るのが親であろうとも、まあプレゼントがもらえる
事に違いはないし、ツリーは飾れる。
電飾を点けたり消したりして、飾りが光るのを楽しむ。
クリスマスの時だけ出すオルゴールを鳴らしてずっと聴いている。
見た目はどんどんごっつくなりつつある息子だが、中身は案外と花や
光や綺麗な物が好きという、華奢な一面を持っている。

でも字は汚いなあ。ちょっとお見せ出来ないのが残念なくらい汚いです。


2005年11月15日(火) 11月が嫌い。


風邪が中々ぬけてくれない。
夜更かし止めないんだから 自業自得だ。

あらゆる事が 能率的に動いていない。
予定は未定であって決定ではないが、それじゃ困るのよって
ところまで、そうなりつつある。

集中しないといけないな。

もうすぐ、雪が降る。明日起きたら積もっているかも知れない。
11月は嫌いだ。街は徐々に華やかさを増して来ているけれど。

四月になれば彼女は。
同名の小説もあるけれど、これはサイモン&ガーファンクルの歌った方。
原題は『April come she will』。
4月に訪れた彼女、9月には古ぼけた記憶にしか過ぎなくなってしまう恋。
ってな感じの曲だ。

では11月には古ぼけた記憶の恋はどうなっているのだろう。
まったり熟成されているとは考えにくいので、枯れた落ち葉のように
かっさかさのボ〜ロボロになって足で踏まれて形も無いに違いない。
そんな陰鬱な気分で 物事を不貞腐れ気味に考えてしまうほど
私は11月って昔から嫌いなんですよね。
じゃあ12月が好きかと言うと、毎年『好き』って顔はしてます。

12月が大嫌いって顔したお母さんってのも ちょっとまずいから。





2005年11月12日(土) 熱のある通夜。


今週は余りにも行ないが悪かった気がする。
どこがどう悪かったと言うより総合的に悪かった。
だからだろうか、熱が出てしまう。

ご近所の方が亡くなる。二世帯住居ではないのだが 娘さんご夫婦が
数軒先に以前から住んでいた。そちらの奥さんの方とは、以前より
顔見知りで、子供同士は同級生である。
亡くなったのは、その知り合いの奥さんのお母様であった。

今はお手伝いも葬儀屋さんがやってくれるらしく、素人の出る幕は
余りないので、お通夜にだけ出席させて頂く事にする。
と言うところで熱が出てしまった。

熱が出たのも久し振りなら お通夜はもっと久し振りの事である。
実は10年ぶりくらいになる。 その間亡くなった方は何人もいたが
皆さん高齢であり、遠縁の親族と言う関係であった。
子供が小さかった事もあり、通夜葬儀は親の分担となっていたのだ。

10年前に私が出た通夜は 親族より ある意味近しく感じていた方の早過ぎた
通夜であった。間もなく私は亡くなった時の彼女と同じ年齢になる。
そう考えると、いかに早かったかが判る。

涙も枯れると言う言い方があるが、涙と言うのは枯れない物だと思った。
それほどに泣いていたもので、遺影も花もほとんど何も見えてはいなかった。
最初から最後までずっと泣いており、葬儀の時もそうであったので
今から考えると菊の花より似合う花がもっと沢山あるだろうになどと思った
おかしな記憶ばかりが断片的に残っていたりする。

今回はご近所であるが、越して来られたのが最近と言う事と、元々病気
がちな方であったため、挨拶を交わす機会も無く、遺影のお顔にもほとんど
覚えがなかった。 それ故、通夜と言う物が 劇的にシステマティックに
変貌している
事にただ驚かされた。
親が死んだ時、腰が抜けても大丈夫そうなどと不謹慎な事を考える。
でも、不謹慎ではあるが重要な事でもあるのだ。
私は長女で親とは同居、親族も少ない。

お坊さん入場。私はぎょっとした。髪があるのは別にいいのだがムースで
固めており、えりあし長し。もうひとかたはあとで「Jリーガーかと」と
奥さん同士で噂し合った、20代になるかならないかの一見無精ひげを
生やした、線の細い、言ってみればイケメンである。
エリアシが長い方は 近所のお寺の住職さんだった。30代であろうか。
声は大変に良い。心持ちお経がメロディアスに聞こえた。
イケメンの方は残念だが全く声量がない。声も余り・・・
だが可愛いので人気はありそうだ。 私が死んだらあの人にお経をと言う
お祖母さんとかいそうである。いや、うちのお祖母ちゃんも「どうせなら
若住職にお経を上げてもらって」っていつも言ってるもん。(93歳)
今の時代、冗談ではないです。

葬儀委員長も葬儀屋さんの方ではないか?と言う話を耳にする。
そう言う事が有り得るのかと驚いたが、しがらみなどもありそうだし
本来頼み辛い仕事だ。 元々他人がやる仕事、葬儀屋さんでも理に適っている。
でも、演技力がちょっとあり過ぎて「引いてしまった」との意見が出た。

静かに、真面目に手を合わせ、遺影を拝見し、焼香する。
用意して来たハンカチを出す事は無く、そのままご遺族に帰り際の
挨拶に行く。
娘さんである知り合いの奥さんは気のしっかりした中々に男勝りな
リーダータイプの爽やかな方である。
喪服を着て髪を結い、目と鼻を真っ赤に泣きはらして立っている奥さんの
顔を見た時、一気に泣けて来てしまい、不覚にもハンカチが間に合わず
しかも風邪で鼻水まで垂れてきて、玄関まで行くのが それはもう大変であった。

奥さん仲間のご主人に送って頂いた帰り車の中で、美味しい物を食べに行く
約束をみんなでする。 これまた不謹慎な気もするが、高校時代同級だった
友人が、事故で20そこそこで死んだ時、やはり帰りの列車の中で 仲間同士
同じような話をしていた。
男の方など そのまま飲みに行ったりする事があるようだ。
精進落としと言うらしいが、先の話をしたり上手い物を飲み食いする事で
生きている事を実感したいのかも知れない。

熱はまだ下がらない。でも寝るのもなんかいや。妙に人恋しい夜だ。






2005年11月11日(金) さびしん病。


子供の病気に、自家中毒と言うのがある。極度のストレスや緊張を
感じると吐いてしまったりと言う症状がある。
私は、かなり大きくなるまで、これに近い症状があった。

親が夜間に外出すると判っていると突然吐く。理由は判らない。
中学生くらいまでこの状態で、かなり恥ずかしかったのだが
止めよう止めようと思うと、余計にそうなってしまう。
親は考えた。そしてある日、吐いている私を家に残して1泊旅行に
行ってしまったのである。
とほほ。
ところが、この日を境に ぴったりとその症状が止まった。
ショック療法ってやつだ。どうしても行きたかっただけなのかも知れないが。

自分がこうであったので、息子の事も多少は心配だ。
息子は今のところ、誰が夜中に留守でも 全く構わない様子である。
しかも一度寝ると起きない。夜中にトイレにも行かない。
汗をかくとパジャマを着替えさせるが、頭からすっぽりとパジャマを
被せると、眠ったまま無意識に着替える。最近ではパジャマの上着の
すそを スボンの中に寝ながらしまい、そのまま寝ている。
病気でもしない限り、全く手間要らずで、これだけはあり難い。

だが、例外がある。『足が痛いよう』
夜中に息子が泣く事がある。2歳くらいからだったと思う。
初めはどこかを痛めたのかと思ったが、余り何度もあるので、終いには
『痛くなんかないんでしょう?』 と言った。
すると『痛いんだよう』と泣く。
やがて、息子が足が痛いと言い出す日は、必ず昼間叱られて 泣いた日
である事が判って来た。祖母には幾ら叱られてもならないが、母親だとなる。
『なでて〜』
それは必ず右足で、膝から下の 同じ場所である。
私は『さびしい病』と呼んでいる。

今日、久し振りに息子が『足が痛いよう』と言ってべそをかきながら
夜中に部屋に入ってきた。昼間、珍しくきつく息子を叱った。
ぽんと腕を叩いたら『痛いよう』と大声で泣き出した。
「そんなに痛いはずないでしょうが」 「痛いよう、うわああああ」
触ってみると、なんと! 昨日インフルエンザの予防接種をしたところに
クリティカルヒットしているではないか。かなり揉んだのだが、そこは
まだ少し硬くなっていた。私も一緒に受けたので自分の腕も触ってみる。
「いってえ〜・・・・・」
しまった。しっかり揉んでやる。それがまた痛かったのと急に優しく
されたらされたで、また悲しくなったらしく息子は何時までも泣いていた。

何時の間にか妙に太くなった足を 小さかった時のようにさすってやる。
ふと息子が言った。「なでるより、湿布でいいよ お母さん」
精神的な痛みであろうに、湿布が効くのか知らないが 本人がそれで
良いと言うので湿布を貼ってみた。
「Rちゃん、大きくなったから(本当に大きい)お母さんと同じベッドで
眠れなくなっちゃったねえ」
「お母さんのベッドで眠れば、まだ眠れるよ」
「あんた、こないだ『狭い』って言って部屋に帰って行ったでしょうが」

冷えて来ていた。塩を軽く温め、日本手拭いで包んで喉に巻いてやる。
これは案外、喉の風邪の予防にもなり、かかった時も治りが早くなるので
お勧めです。
「あったかいなあ。もう少し、ここにいてくれるかなあ」
「いいよ」
だが1分もしないうちに 「もういいよ」と言う。
「お休み」 「お休みなさい」

それきり息子の部屋は静かになっている。
どうしてだろう、ほんの少しだけど泣けて来てしまった。



2005年11月08日(火) もうすぐ一年。


この日記を付け始めてもうすぐ1年になる。びば。
驚きだ。1年続くとは全然思ってませんでした。
もっと驚きなのは、途中でサイトを持って それが未だに続いている
と言う事だ。閉鎖しなければ 原則的にサイト自体は残るのだろうけど
いっちょ前に更新もまだ続いてたりします。サボリ気味だけど。

元々は庭の花の写真を載せるために作ったこのサイト、だから名前も
こんななわけです。 写真ではボリュームが少なかったので 賑やかしの
意味で書き溜めてあった二次創作を載せて見る事にした。
日記もリンクさせてみる事に。
すると思い切りコンテンツバランスの悪いサイトが出来上がってしまった。

今は花の写真は無くなったけれど相変わらずコンテンツバランスが悪い。

日記を読み返してみよう。うおおおおっしなければ良かったそんな事っ
余り変わってない。一年前考えていた事で、今はすっきりしていると言う
事は 全くと言って良いほど無いかも知れない。

一番初めの日記に書いてある『会いたい人』を実はこの一年の間にテレビで
見掛ける機会があった。 一瞬だったんだけれど、間違いない。
ある事の審査員をしている人だが、正にその審査の様子が映っていた時で
あったので、これはもう100%間違いないんである。
これを見た時は驚いた。 知り合いのその人は 私より5つほど上の年齢の
筈なのだが、昔とちっとも変わっていない様に見えた。
「はげているだろう」 と言う私の予想を大きく裏切ってくれたのである。

こちらはと言えば相変わらすだ。今日は息子を美容室に連れて行く。
うちは男連中が全くアテにならないので、単純に自分が行くところに
連れて行っている
だけなのだ。息子は良く喋り、一人前に社交をしていた。
帰りにペロキャンを1本貰って帰る。恒例のサービスが有難い。



色々な事から、もうすぐ7年になる。
傷の生っぽさは無くなったが、時折痛むと言う頃だろう。
一生痛む傷となるか、少しずつ治るか、養生の仕方次第と言うところだろうか。
養生下手なので、最近、傷をどんどん痛めている気がする時がある。

息子は雪が降るのが今から心待ちなのだと言う。
私には特に何も言わない癖に、美容室のお姉さんにシャンプーして
貰いながら言っていた。








2005年11月06日(日) 本田美奈子さんの死。


本田美奈子さんが亡くなった。享年38。同世代の人である。
闘病中であることは、メディアでみて知っていた。

デビュー当時からテレビの歌番組で観ていたが、オコジョみたいな
顔をした女の子で、細い顎元が羨ましいと思った物だ。
歌は上手いも下手も、歌番組のあのマイクでは 判ったものではない。
ただ、あまり能天気な歌を歌ってはいなかったので、こんなに可愛い
顔をして、一応実力派って事での売り出しなのかな?くらいに思った。

世は正にバンドブーム華やかなりし頃。女性では中村あゆみや渡辺美里が
気を吐き始めて 少しあとにはプリプリが控えている頃だ。ああ、懐かしい。
シンガーで売るには線が細い気がするし、アイドルと言う路線でも売り
辛かった頃だったんではないか。
間もなくテレビで姿を見かける事はなくなった彼女の名前をやがて
思っても見なかったところで見つける。

ミュージカル日本版「ミス・サイゴン」の主役に抜擢されたと言う。
結局、このミュージカルを私は見ていないのだが 大したもんだと
思った記憶はまだ新しい。ベストテン系番組で歌う歌手とミュージカル
女優、人前で舞台に立つ職業としては近い物があるけれど内容は全く
異なる物だ。
チャンスを2度も物にする事自体難しい事だ。

この人の名前を聞くと、とにかく華奢な体付きを思い出してしまう。
舞台での姿をテレビで見掛けた時もやっぱりすごくほっそりしていた。
太っている暇がない仕事であろうから当然なのかも知れないが。

白血病を患っていると言う話を耳にした時、助かって欲しいなあと
思った。やりたい事のために猛進して来た人なのだろうから、この年齢で
倒れるのは悔しいだろう。40と言えばおばさんと言う人も居ようが
心身ともに充実しきっている女性はまだまだ若く、驚くほど美しいはずだ。
「やんなっちゃった♪」とか思いながらでれ〜んと生きていると そろそろ
見た目がアレになってしまうのも事実だけど。

この病は「美しく、心の優しい人がなる」と専門病棟の看護師さんだった
方が 本に書いておられた。
だから「そういう人がなる病だから貴女がかかる筈ないでしょう」などと
使うんだそうである。その人に 現時点では告知が出来ない状態などの時に。
故夏目雅子の命を奪ったのもこの病だ。これ以上の説得力はないだろう。

私の友人でも一人、同じ病で戦っている人が居る。
やはり綺麗な人で、高校時代からずっと変わらずに優しい人だ。
ご主人と二人、静かに幸せに暮らしている。病状は安定しているそうだ。
このまま、状態が変わらなければずっと治療を続けて普通とほとんど
変わらない生活も可能だ。そうであって欲しい。

白血病ではなかったが、劇団四季に志村幸美さんと言う女優さんが居た。
四季は一時期、北海道でも盛んに公演をかけていたので、この人の声を
聴く機会は何度もあった。幅のある、ず抜けて美しい声をした人だった。
やはり38で亡くなっている。
40を過ぎてはおられたが 杉浦日向子さんの死も記憶に新しい。

神様は時折、女盛りを楽しんでいるミューズに目を付けてしまう様子だ。


本田美奈子さんはその後もアルバムを出し続けているが「トゥーランドット」
や「この素晴らしき世界」などバラエティに富んだ作品を集めた『時』と言う
アルバムを昨年暮れに出しているので、これを聴いてみようかと思っている。

お悔やみ申し上げます。





2005年11月04日(金) 小さな夜の庭。


息子が生まれて少しして、私は庭に植物を植え始めた。
随分色々な物を植えたと思う。『植え』はそのまま『飢え』で
あったのだろう。土に触れていれば癒された。
季節の花が咲く事も楽しかった。

小さなシャベルで土を一すくいしては花の根と一緒に『何か』を埋める。
埋めた物が何であれ、咲くのは花だけなのだから良いではないか。
それが私の昼間の庭だ。

何時のころからか庭に出ると 鼻水とくしゃみが止まらなくなる。
シラカバとスギ花粉で調べたが、アレルギーはないという。
だが、庭に出ると、やっぱりくしゃみ、鼻水。
だんだんと、子供にも手の掛かるようになり、私は庭から遠のいた。

今年は庭にある、大きなモミの木を移動した。うちに来た時も
大きな木だったが、10年経った。相応の場所に移動する事を造園屋
さんから提案されたのだ、他にも数本木を入れて、庭は見違えるように
良くなった。

傷んでいた芝を剥がし、黒土を入れた。そこに増えすぎたデージーを
一面に埋め込んでゆく。私と息子と祖母の3人での作業だ。
小さい頃、春先の冷たい風を庭で受けて、泣いていた息子は 今年
学校で朝顔を育て、種を取る事を学んだ。デージーの植え込み方を
教えると、その通りにやっている。
「春が楽しみだなあ」
「忘れな草も咲くんだよ」


さっきまで私は、夜の小さな庭の前に座っていた。
昼間の庭では鼻水が出るが、ここではそう言う事はない。
ちょっと目が疲れ、肩が凝る事は仕方ない。
ただ、ここには花が咲かない。
これで満足すべきと言う、結果や区切りにあたるものがない。
それでもここが、やっぱり今の私にとっては庭なのだ。





2005年11月01日(火) 読書の秋。


読書の秋だ。だがちっとも本を読んでない最近の私。でも活字中毒だから
気が付くと手元には親父週刊誌。駄目だこりゃ。

良く本を読んでいる若い方とお話をする機会があり、自分が読んで来た
作家もろくに思い出せなくなっている事に気が付いて唖然とする。
PCに向かう時間が長くなった事、子供が小さいので気忙しい事などを
言い訳にしているが、もう一つ大きな言い訳として、一緒に書店めぐりを
していた方が、突然亡くなったと言うのもある。

そもそも私が本を読み出したのは遅い。中学3年頃からであったように思う。
高校に入学し、友人に筒井康隆の本を貸して貰う。ここから私の読書歴は
始まった。ちなみに書名は『メタモルフォセス群島』である。
高校では読書感想文の提出が義務付けられていた。私は国語担当の先生に
「筒井康隆で書きたいんでけど、駄目ですか?」と聞きに行った。
結果は駄目。課題図書から選んで書けと言う。

それで図書室で激しくくだを巻いた憶えがある。「なんでだよう」みたいに。
課題図書はどれもお堅い。図書室でこっそり固まって医学書読んでる男子を
こっそり観察している方がよっぽど面白い。
不貞腐れる私に、同じクラスで成績がとても良かった男の子がアドバイスを
してくれた。 「詩なら短いから、詩集にすれば?」
そして「これが課題にあったから」と一冊の詩集を手渡してくれたのだ。
三好達治の詩集であった。

いやいや読み始めたのに、すっかり好きになってしまった三好達治。
だから感想も ちゃんと真面目に書いた。
ところがどうした加減か、その感想文が市の何とか言う賞を取ってしまう。
あとにも先にも、私が貰った賞の中では一番大きかった物だ。
詩集を勧めてくれた男子の顔を 恥ずかしくてしばらく見られなかった。
翌年は図々しくも賞狙いでやったが、これは佳作止まりであった。
下心があっちゃあ駄目なんだなあ。
今度はちゃんと課題図書からJ・ガンサーの『死よ驕るなかれ』を選んだ。
この頃から、読書自体が楽しくなり始める。

私の読書の特徴は『短編限定』と言う事だった。長編はほとんど読まない。
アンソロジーを好んで読んだ。
『幻想小説』と言うジャンルで括られている話が好きで、これはファンタジー
とは、また少しニュアンスが違う。どこか不可解で理不尽で、美しいが
必ずどこかが恐ろしく、その恐ろしさや美しさを競うような小説だ。
ブラッドベリはSFも書いているけれど、美しい幻想小説も多く残した人だ。
ティム・バートンとJ・デップで話題の チャーリーとチョコレート工場の
原作者R・ダールも怪奇幻想系の短編の名手である。
私は本の読み方が汚いのでどの本もあっと言う間にぼろぼろとなり、そして
度重なる夜逃げな生活のため、多くの本を捨てて来た。
人には結構びくびくな私だが、本には随分横柄でぞんざいだった。
それだけ本は 自分にとって気楽な存在であったのだ。

アンソロジー系の本を多く読んだため、収録作の中には『代表作はこれだけ』
と言う作家も随分混じっていた。どうしても玉石混交な作風になる人も
いる。だが玉があるだけましなのだ。その玉の部分だけを選び抜いて
読めるのだから、選者の好みとさえ合えば、アンソロジーはとても楽しい
読み物である。
20頁ほどの宝石のような物語を夢中になって読んでいたのは30になる少し
前までであったろうか。

今年の秋は残った古い本を引っ張り出して来て、また読んでみようか。
あまりの扱いの悪さに、どの本も分解寸前だけど。
好きな書物に没頭する時と言うのは、帰りたい場所に帰れた時に少し似ている。











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