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雪が降りしきる。 そんな季節になりました。
ほとんど毎日車で、買い物を兼ねて出掛けるのだけど この季節の運転は、やっぱり不安。
雪の降らない地方にお住まいの方には正体不明な『冬タイヤ』 これが構造上、制動距離が長いのです。しかも場所によっては滑る。
だから冬の運転は、夏とは全く別の物です。
白い世界へ走り出すと、運転に集中する事もあり、色々な事を 考えずに済みます。 短い時間ですけどね。
ぐるっと周って家に戻ると、車庫に車をしまうのが何だかイヤで また走り出して延々と、ずっとどこまでも走れるだけ走りたい そう言う気分になります。
近付く縁、離れる縁、
みんな つながっている。だけどバラバラであり ひとりぼっち
ひとりぼっちと言う言葉って私くらいの年齢の人間はあまり使わないと 思うんですけどね。 ひとりになる方が、むしろ難しい年齢ですから。
| 2006年11月29日(水) |
YOU MAY BE RIGHT. |
近所の年中の子が竹箒を持って息子を追い回して何度も叩いていた。 息子は「小さな子に意地悪をしては駄目」と言い聞かせてあるせいか あるいは、やはり兄弟なれしていないからなのか、気が付いた時には 他所の家の玄関先に追い込まれて泣いていた。 母親は 元々余り子育てに関心の強い人ではないのは判っているのだが ずっと笑って見ていた。
泣いている息子に私は言った。 「お兄ちゃんなのに、小さな子に泣かされて、おかしいよ?」 本心は違っていたのに。 その時、息子が一際大きな声を上げて泣いた。 秋の初めの事。
学校で、息子の態度がここ1ヶ月ほど良くないと言う。 落ち着きもなく、女の子に手をあげる事もあると言う。 子供の父親が何度も奮った暴力、何度も病院送りとなった自分の姿と重なる。 「どうしてか、そうなっちゃう」 信じて育てるしかないと、決めて産んだのではないか。 先生と家族、総掛かりで 息子を信じて叱り、話を聞く毎日。
ブログは他人が見る事が前提だが、気に食わない人間のブログを狙って 記事を取っては、ネットゲーム内でそれを見れば嫌な思いをするだろう 人間に送り付けている馬鹿がいる。 やっていい事と悪い事を 親が教えてくれなかったのか。 親はいないのかも知れないが、いなければ自分で学ぶべきだろう。 親が知れば悔やむか悲しむだろう。
思い込む、こもってる、と言う人がいる。 ではどこへ行けばいいのか。伸ばしても掴んでくれる手などない。 泣いて振り向いてもそこには誰もおらず、息子は私のその姿に 一番傷付く。 やはり悲しい声を上げて泣いてしまう。 ここよりどこへも、今は行き場がない事を知っているかのようだ。 母も自分も。 だから手を引いて、ここまでやって来た。 差し伸べてくれるのでもなければ、何も言ってくれるな。 歩ける所まではちゃんと自分で歩いて行く。
雪の積もり始めた道に目を凝らすとびっしりと蛇のようななにかが 幾重にも重なり、ゆっくりと動いている。 人の寿命はロウソクなどと言う情緒のあるものではない、導火線だ。 「長生き、したいですか?」 訊ねると 「まあ、ね」 控えめな声が帰って来る。 そうですか、それは良かった。
手繰り寄せ途中から噛み切った導火線に 新たに火を点そうとしていると 離れた所では 景気の良い事に、長い長い導火線を根元から一気に 泣きながら引き千切ろうとしている制服姿があった。
誰か何とか、してやれよ。
| 2006年11月26日(日) |
上を見る人、下を見る人。 |
冬の冴え冴えとした空に変わった。
「冬の空気のキーンとした日の月を見てると、自分の存在の小ささに 怖くなる事がない?」
御歳6●才の母が女子高生のような声音で聞いてきた。
「ならない」私は答えた。 別に怖くなったりしない。
「そうかなあ。私はなる。寂しい時も空を見るし、月を見ると自分が 小さいんだなあと思えたり、寂しくなるね」
「全然ならないな。空は綺麗だと思う日はみるけど 月は出ているなあと 思うくらいで」
「学校の帰りに・・・」 母は語り出す。 「独りぼっちですごく寂しくて そう言う時にはいっつも空を見上げてた記憶があるんだよねえ」
「私はいつもしゃがみ込む子供だったからなあ」 と私は答えた。
子供が初めて孤独を感じた時、その状況や風景は心の深くに仕舞い込まれて しまうに違いないが、習性としてその時に取った行動が、大切なものに なると言う事は有り得ると思った。
確かに、母はいつも空を見ている。寂しいと思いながらかなんなのか 月を確かに良く見ており、虹なんかも好きな様子だ。
私の記憶にあるのは地面だ。 寂しいと良く木の棒で土にいたずら書きを した。空は花火が上がるところと言う事で寂しいと言うイメージはないが 地面は寂しいし、また一方で癒される。
母は飛ぶトンボが好きだと言う。私は落ちているトンボをいつも見ている。 目線が微妙に違うのだ。
血液型、星座、イヌ型ネコ型・・・自分を考える材料は色々あるけど 上と下、つい見ちゃうのはどちら?と言うのも面白いと思った。
もちろん私も空は好きである。 ただ目線は常に低い気がする。
この日記、タイトルは途中で幾らでも自由に変える事が出来る。 筆記者名も変えられる。 私は一度、どちらも変えている。
タイトルが変わっても、前から書いていた部分はそのまま残るので 本人が削除しない限りは続けて読めるようになっている。
私が初めてつけるweb日記につけたタイトルは
「これも何かの縁だから」 と言う。 ハンドル名は焙煎だった。
その時代から読んで頂いてる方、いつも有難うございます。 これは初耳と言う方、今後ともどうかご贔屓に。
今年も間もなく師走を迎える。 日記ももう直ぐ、始めて丸2年になる。
縁と言う言葉が好きだったのだけれど、縁にも色々な物がある。 全てが良縁ばかりではない。 けれどどんな縁でも、そこから学ぶ物がある。 縁は広大な庭に置かれた飛び石のようでもあり、そこから踏み出して 次の石まで飛んでゆく。
私がこの日記で書いた一番初めは、20年近くも前に辞めた会社の話。 日記なのに。 私はそれほど孤独で、思い出の中に生きていた。 若く、自分にも自身が持て、大した失敗も知らず、未来は幸せなものと 漠然とだけれど信じていられた頃。 子育て真っ盛りで今に追われていたが、子供の手を引いて暗い中に ぽつんと立つ当時の自分の姿が、今も心に浮かぶ。
昔は確かに楽しかった。 いやな事もたくさんあったけれど、肩を叩いて くれる人がいた。 彼らには二度と会えないだろうけれど、彼らが どこかで幸せならば、自分も頑張って生きなければならないんだな、と。 実を付け、枯れるのを静かに待つ冬のバラの写真は アップロードがして 見たかっただけと言うのもあるが、丸きり自身の姿のようだと思う。 凍える中、それでも咲くのが運命であり、しかも決して美しくもない。
どんな縁でも良い、縁に恵まれて欲しい。 それが次への、飛び石になるから。 そんな思いを込めて、日記のタイトルを付けたのだった。
日記のタイトルが変わったのは、一つの縁が終わったと自分が感じた 時だった。 目の前の石が途切れてしまった孤独感に再び襲われた。 縁を信じられなくなったわけではないけれど、次の石を信じて飛ぶ事が 怖く、悲しくなってしまった時だった。
有難い事に、縁は無くなってなどおらず、むしろそこここにある事が 次第に かすんだ目に見えて来るようになった。
タイトルを変えても、ハンドルを変えても、縁は近付き、また遠のき そして一度結ばれた物は、結局 簡単に消えたりはしない事を知った。 縁は切ろうとしさえしなければ、必ずどこかに続いている。 振り返れば今まで飛び越えて来た飛び石が、広い庭の中、長い長い道と なって残っている。
一年をまとめるにはまだ早いわけだが、充実した年であったと思う。
何より望みどおり、縁に恵まれたと言う実感があった。 日記のタイトルから『縁』の字は消えたが、正にその『縁』のお陰で 幸せな一年だったと言えるだろう。
学習発表会が無事終わった。
台本自体持って帰ってきたっけ?って感じなのでストーリーは実は 当日まで良く知らなかった。
月夜の森で
夜な夜な背広来たおっさんと、エプロンにバンダナのおばさんが 宴会をするので、怒った魔法使いが彼らを石にかえると言う・・・そんな話で。
大人役は背の大きな子から選ばれているようだ。日頃から大柄だなと 思っていた子は割とここにいた。
昔の話だが・・・ 私の弟はとにかく小柄な子だった。 小さく痩せていて、多分そのためだろう。学芸会の劇で2度も良い役を 掴んでいるのである。
赤いろうそくと言う話に出て来る「サル」(主役)
裸の王様の、子供役(微妙に目立つ役)
弟は裸の王様の時、自分の手を引いた母親役の同級生の名前をまだ 憶えており、この季節になると「ヒロセか、あいつ でかかったんだよ」 と ぽつんと言うのである。
魔法使いが登場した。一気に10人くらい。多いよ、仕方ないけど。 息子がどれかは、直ぐに判った。 いつアレを言うのだろう。
「ごま゛っだな゛ぁ゛」 出た!
だけど他の子は普通にセリフを言っているぞ? そんなに力を入れなくても いいと思うのだが。 まあ、いいや。もはや過ぎた事だ。
そのあとはホウキ(彼らの自作)を使った簡単なトワリングを見せてくれた。 家では一度も練習していなかったので、全部学校でやっていたらしいが 何となく、こちらが出来ないんだろうと思っていた事を難なくこなして いる子供の姿をみるのは 感慨深いものがある。
魔法使い退場。 親を石にされた子供達役は子供なだけにやっぱり小柄な子が集められている。 彼らは鳥(女の子)樹(大き目の子)風(側転の出来る子らしい)などとの やり取りと冒険のあと、ついに魔法使いの元へ辿り着く。
「ねえ、Rがいないんじゃない??」 隣に座った母が聞いてきた。
良く見ると、舞台下には他の子にあわせて何かを一生懸命歌っている やっぱり魔法使いの衣装を着た一団が。 その中に息子がいた。
「これ、さっきの魔法使いと違う子供達なんだ」
一体何人いるんだよ魔法使い・・・仕方ないけど。 あとで考えてみると、子供役も場面が変わるたび変わっていたような・・・ おそらく魔法使いと子供役だけで40人はいると思った。
出番のない子供達は舞台のしたでずっと歌っている。 かなりの曲の数であり、声もまだ綺麗で、上手上手と思っていると 息子の顔がおもむろにこっちを向いている。 他の子はみんな前を見ているのに。 どうやら発見されたらしい。 授業参観ではないので、正面を見ろ!と合図を送るわけにも行かず そのままにしておく事にする。
2年生退場、3年生の入場。斜向かいのT君と目があって、彼が手を振って くれたので、私も降りかえした。こちらが体育館を出る時には入れ替わりで 観覧となるT君のご両親と会った。
帰り道、先に親御さんが帰ってしまった女の子と息子、両方とも黒い 自作の帽子を被り、劇中のセリフを大声で言い合いながら歩いて行く。
その後ろを私と母がゆっくり付いて歩いた。
彼らはジグザグと、川の堤防に登り、降り、離れ、示し合わせたように 動く。それでお互いが満足なようであった。こちらは振り返らず 熱心に 憑かれたように魔法使いになりきって、行く。
子供の成長と言う物語の一場面を、思ったよりは寒くならなかった 冬枯れの道で 黙って目で追っていた。
明日(と言うか もう今日だ)は息子の学習発表会。
自分の時は学芸会って言ったんだけど、確か劇だけじゃなかった 気がするし、劇にも全員は出られなかった気がする。
今は、と言ってもうちの小学校ではと言う事だが、劇であり全員が 何かの役をやり、一応原則的には体育館が狭いので、発表する学年の 父兄のみの入れ替わり観覧と言う事になっている。
2年生の出し物は「月夜の森の物語」と言う。
息子は魔法使いの役だ。小さな魔法使いばかり10人以上いる。 ハリー・ポッターの魔法学校みたいである。 魔法使いだけではない。木も星も、大人も子供も、とにかく役柄ごとに かなりの大人数がいる。 一言しかセリフがない役がほとんどであり わが子がそのセリフを言う時が、親の精神的クライマックスであるわけだ。
「こまったなあ」 が、うちの子のセリフである。
家で延々と魔法使いのテーマを歌う息子。どうやら迫力で歌いきる歌で あるらしく、精一杯野太い声を出している。結構太い声が出るように なって来ている事が判った。
途中でアクションがある、ホウキにまたがるのだ。 息子は夏の間、背中を自分で掻いていた『まごのまごのて』を出し おもむろにまたがるのだが・・・
何故かいつも掻く方が手前に出ており、何と言うか形状的には「逆だろう」と 思うのだが、そもそもまたがるのは孫の手ではないので、こちらも何も 言わずに見ているのだった。
歌い終わると セリフの練習だ。 1個しかないわけだが。
「ごま゛っだな゛ぁ゛」
全部が鼻濁音。
本人はものすごく真剣に腹の底から言っているつもりなのだが 腹の底から出している割には随分鼻から出ている声である。
「先生は、すごくいいって言った」 「本当に〜〜〜〜?」
何か言うと怒る+自信喪失しそうなので、先生にお任せする事にする。 大人ばかりの生活なので怒鳴られる事はあっても怒鳴る事はない息子。 こんなに大きな声も出せばちゃんと出る事が判る。
明日は頑張れ息子。 自分たちで作ったらしい衣装を着ての晴れ姿。
親は8割は自分の子供に集中しているが残りの2割は他所の子も ちゃ〜〜んと見ているわけで
「Rちゃん、大きくなったねえ」
って思ってもらえるように、それ頑張れ。 一応 扁桃腺まだ少し張れてるので(クラスでは大流行中らしい) 明日、やり抜いたらしばらくぬるっとした生活に入ってもかまわんよ。 と私は思うが、うちは祖母ちゃんの方が 面倒見も良いが厳しいからね。
代休付きの3連休は、さあ、何をしようか。
風邪の具合が何とか治まったので、街の病院へ出かけた。 電車を降りての帰り道、枯れ木に早速派手なイルミネーションが。 思わず買い換えた携帯で撮っていたところを、同級生のお母さんに 目撃された。 恥ずかしい。
我が家も来週辺りからクリスマスツリーを飾る事になるだろう。 ちょっと早いわけなのだが、ツリーが大好きな人間がいるので。
母が買い物の際購入したカシミアのマフラーを見せに来た。 色はやや地味目だが、首に巻いたら温かかった。
「いいなあ、これ貸して〜」 「いやだ、私もまだ使ってないのに。そうだ。誕生日のプレゼントと 言う事であればマフラーを買ってもいいよ」 「・・・。いいよ、別にカシミアじゃなくてもいいもん。ウールで十分」
ウールなら手持ちの小遣いでも買えるもん。
私の誕生日はクリスマスの10日前。 子供の頃は、これがあまり嬉しくなかった。 クリスマスとしばしば合同で祝われるのである。ありがちですね。
問題はプレゼントだ。 一応、クリスマスと誕生日2回分と言う事になるのだけど 11月生まれの弟が誕生日は誕生日、クリスマスはクリスマスできっちり 2回分もらっているのに対し、どう考えても私は1・5回分くらいしか もらえてないような気がしていたのだ。 大物が1個などと言う事もあったが、やっぱり1・5と言う数字が浮かぶ。 残りの0・5はどうなってしまったんだろう?と考えたものだ。 12月生まれなんて損だなあ〜と、いつも思ってた。
今はさすがに親にプレゼントをねだる年でもないのだが、誕生日は それとなく服とか買ってもらったりする事もある。 私は誕生日に小さく、母の日、父の日に大きめに返す。
うっはうっは で もらい放題は息子である。
サンタクロースの存在を教えるべきか? そろそろこっそりと話される事も多くなったが、私は息子が サンタクロースはいるが、サンタさんにお願い事をすれば家族が プレゼントを持って来ると言う
実も蓋もない独自論理を作り上げている事を知っている。
某大型玩具店からそろそろカタログが配られる。 それが息子の一番大好きな本であり、1ヶ月以上も飽かず眺め そしてお正月になっても、まだ何かの期待を込めて読んでいるのだった。
低学年児童とは思えない、分厚い胸板。 がっしりと太い腿。骨盤と大きなお尻。
だけど代謝がいいのか太らないよねと話していたら太ってました(泣)
原因は炭水化物の摂り過ぎ。 あと糖分も多め。
ご飯の前に食パン一枚にマーガリンとジャムを塗る行為から 止めさせるべきだったのにっ
私はダメ母だっ(泣)
取り敢えず、これからは雪掻きであるが、食生活もパンを抜いて ご飯も一食一膳にしよう。 しないとっ
良く噛む習慣は大事なのだが、今、前歯が一度に3本ないもんで (今頃抜けてる)噛む事に関しては、あれこれ言うのも酷な気がして 食べるならいいかと思っていたのだが・・・食べすぎ。
我が家は父親の情報が少ない。 だが体型は息子がそっくり似ている。 大変な大食漢で、その割に太らず、筋肉に変わりやすいようだった。 胃腸が気味の悪いほど丈夫で、熱があろうと二日酔いの翌日だろうと なんだろうと食べるのだった。
結婚前、ギョウザ弁当を泣きながら食べているので訊ねると 「腹が痛い」と言う。 では食べなければ良いと思うのだが、食べるのは止めないのだった。 熱がかなり高かったので、病院へ行った。 腹膜炎を起こして死に掛けていた。 緊急手術になったのだが、腹にはギョウザ弁当が山のように詰まって いるはずだった・・・ 吐き戻しもせず、手術も成功した。
胃腸の動きが止まるから中に物が入っていると大変なのではないのか。 不思議な事であったが、盲腸になっても食べ続け、腹膜炎を起こしても ギョウザ弁当を選んで食べ続けると言う姿に 「これは、子々孫々、伝えなければならない事があるな」と感じたものだ。
食欲が落ちなくても、重病の時があると。
そんな感じなので、息子も熱を出すと本能のように良く食べ 決して吐き戻さない。今まで苦しげに吐いたのは、2歳でノロウィルスに 一度やられた時と、4歳でヘルパンギーナから髄膜炎になった時だけ。 それ以外でも吐くが、なんと言うのだろう、楽しげに吐いている。 吐いた次の瞬間にはまた食べている有様だ。
過敏性大腸炎と時々胃炎を起こす私には信じられない光景だ。
そんな息子が「お腹が痛いよう」とぐったりする時がある。 空腹の時だ。 つまり胃液が出やすい体質なんだろうと思う。胃が空に近くなると 強い胃液が胃を刺激して、「痛いよう」となるのだ。 全てが自分とは全く違うので信じられない事ばかりだ。
それで安易に食べ物を与えてしまった部分はあったが・・・
数少ないブランド品のズボンの前チャックが閉まらなかったのが事の起こり。
「チャックを上げてからホックを閉めるんだよ」 と祖母。 「違うよ、ホックを閉めてからチャックを上げれば閉まる」 と息子。
私は頭を抱えながら、どっちのやり方でも閉まる時は閉まるんだあっと 内心で絶叫していた。
皮肉な事に、春まで相当ぽっちゃりだった母。 「ええと〜ここは〜ワンサイズのみとなっております〜」 とか言われて泣きそうになった事も何度もあったが今は何とか大丈夫。
となったら今度は息子かいっ
体重着衣時で30kgジャスト。身長は131cm。 大きい。靴のサイズが遂に同じになってしまった。
「おかあさ〜〜ん」
何気なく座って週刊誌を読んでいたところに息子が飛び掛って来たら 見事にそのまま横倒しになって頭を打った。 それからは私と祖母には飛び掛って行かない。
父親だった人が言っていた言葉を思い出した。 「自分は親戚の中で一番小さいんだよ」ちなみに174cm。
どうなるのか息子。取り敢えずお腹を引っ込めるんだ息子。 小児肥満はまずいぞ息子。
本人に言ったら怒るから陰口状態だが、今 彼はメタちゃん(メタボリック 症候群から)と呼ばれている。
今週はしなければならない事がたくさんあるのだけど 風邪で身体がだるく、ついうたたねしてしまって 予定をこなせなかった。
取り敢えず明日は中央区の病院へ。 タイヤ交換は明後日にしよう。
だらっとしてると、色々な風景が頭に浮かぶ。
私は小樽と言う町で生まれて小学5年までそこで育った。 埠頭のある、坂の多い街。 かつては商業港として栄えた事もあった。
生家は母方祖父母の家だった。幼馴染は何故か全部男の子で どこの家も 同じくらい貧乏で、子供は割と放ったらかしで 下水に 靴を隠す遊びをやったあと、その靴(汚水のしみこんだやつ)を そのまま履いて遊ぶと言う、そんな感じだった。 自転車も誰のだか判らないボロボロの共有自転車が一台あるきりだったり。
人生ゲームを持ってる子はヒーローだったけど、どことなく本人は つまはじきにされ、ゲームだけ奪われていたり。 (持てる人間の扱いと言うのは往々にしてそんなものである)
一面のたんぽぽ、緑のばった。 おそらく食草が近くにあったのだろう 異常なまでに繁殖していた孔雀蝶。 一度見たら忘れられない蝶だ。 一昨年たまたま我が家の庭に一度だけ飛んで来た。 北海道の物は亜種であり、とりわけ美しいと言う。それらがわんわんと 飛び回っていたシュールレアリスムの絵のような光景。
盆踊りの帰り道、近所の坂を登る。 祖母に手を引かれて。 とても大きい、真っ赤な月が低く出ていて、余りに赤く低い位置に あるのが怖かった。 その年の盆踊り、祖父はどうしても 祖母と二人で行きたがり私と弟が 一緒であるので不機嫌だったと言う。 私にはそんな記憶はない。 父も母もいないから、幼い兄弟だけにしておくわけにも行かないと言う事で 祖母が祖父を説得したのだと言う。 翌年、祖父が死んだ。
祖父が死んだ時、初めて大阪から祖父の親戚のおじさんが来て 鼻水たらした私たち兄弟に「欲しい物を何でも買ってあげる」と 言ってくれたらしい。 私たちは人生ゲームと言ったので、おじさんは 人生ゲームを買ってくれた。 ヨシオおじさんと言う名前を思い出す。 以来、会ってはいない。
貧乏だけど事あるごとに浴衣を着せられた。 近所の高台からみる、花火大会の日まで着せられた。 他の子とは色の違う浴衣。 あとは男の子ばかり。 高い建物が全くないので花火は美しかった。
なくなると言う事はどう言う事なのだろう。 なくなったものはどこへ行ってしまうのだろうか。 みな、どこかにはあるのだろうか。 生きているうちは決して見えない、それだけなのだろうか。
♪雨は夜更け過ぎに雪へと変わる♪ 物だとばっかり思っていたら 真昼間からおもむろに変わってしまったではないか。 タイヤ、どうすんの。 まあ、とけるかな〜。 今年は冬タイヤ買い代えるんで、今週かな〜。 新しいタイヤは 積もる前に少し走った方がいいって話だし。 雪の降らない地方の方には、冬タイヤって言葉自体「なんだろう」って 感じでしょうね。 一応、割と滑らない事になってるタイヤです。
いじめ問題
他人事ではない。 とは言え、なんか変だなと言う思いはある。 それが何かが、上手く言い辛い。 木堂椎と言う現役高校生作家の「少し先に楽しみを作ってそれで 乗り越えて」って言うアドバイスが印象に残った。 2週間後には好きなグループのCDが出るぞ〜とか。 これは良い方法だと思う。大人も似たようにして生きてるわけで。 いじめと自殺がどの程度結び付いてるかは非常に難しいと思うけど 人格を否定したような扱いをするのは、いずれにせよ良くない。 人格とは何かと言う事は 親も教師も一丸となって一定年齢までに 子供に教えたり・・・自分も学んだりするべきなのかも。 ある時期からは子ども自身で考えられる事が出来るように。 またこれが難しいわけですが。
本当の贅沢
近所の魚屋さんでマグロの解体を見たあと、赤味の良いところを 頂く贅沢。・・・くらいは許されようと思う。 父あてに カード会社からの本が送られて来た。 高級通販カタログ? そんな感じ。この本、紙が厚い。表紙なんて下手したら指が半分くらい ガツンと切れてしまいそう。 中身を見る。中の紙まで厚い事に驚く。 イギリス王室王冠のレプリカ・・・どうするのこんなん。被るのか。 時計、宝飾品、100万円以下の物がないではないか。 「あるよ、ハンドバッグに」 母が言うので見てみると、あった50万。 散りばめられた宝石、手の込んだ細工、凝ったデザイン。 ミッケ!と言う、大人が見ても楽しい絵本のシリーズがあるのだけど それを思い出した。 「金色に光るTの字、探してみよう!」
ちばのロゴ
見てみました。 千葉の皆さん、本当のお気持ちはどうなんでしょう。 私は千葉県民ではないので なんとも言えないのですが・・・ それ以前に、デザインと言う物にも疎いので。 個人的には ばの濁点を落花生にするとか、ロゴの横に落花生を書き加える とかすれば可愛くなると思うんですが、やっぱり県ロゴって可愛いとか ゆるいだけじゃ、ちょっと賛否がありそうですよね。 校章ほどでなくてもちょっとこう、カチッとしたかんじもあった方が この場合良かったのかもって言うかなんと言うか。
エリザベス女王杯
どえらい事になってました。G�気嚢瀉紊歪舛靴い任靴腓Α�
ごめんね。
君に とっても謝りたい。 君の前から、突然消えてごめんなさい。 何だか判らなかっただろうと思う。 色々気に掛けてくれていた、それなのに。
初めはどう言う事かな? って思ったと思う。 何か言ったり したりした事が 原因かな?と 考えさせてしまったかも知れないね。 それとも単に、自分のとこだけ連絡を忘れて いるのかも知れないなと 待っているのかも。 それとも、良くある事と もう忘れてしまったかな? それならいっそ、良いのだけど。
君の事は いつも気にかけています。 若くて体力もあるのだろうけど、無茶をしないで。 これからの人間関係には ネットも携帯もある。 それを通して生まれる 縁や憎しみもあるでしょう。 どんなに手段が変わっても、人が居るところに 必ずそれは起こるから。 そこから沢山学んで いつか穏やかに、人を導く人になって下さい。 君と話せて良かった。君に会えなくなって 寂しくなった。
「(私が)良いと言うまで見ないよ」と言っていたので 正直な君は ここをみていない事でしょう。 素敵な彼女(伴侶)が早く現れますように。 カレーは焦がさないように。 身体にだけは、気をつけて。
飲むと悪い夢をみてしまう副作用があるらしい薬が手元にある。
合法ドラッグとかじゃないよ。ちゃんとしたお薬です。
薬の名前はちょっと書けないけれど、何やら色々ともらっているうちに たまたま手元に来てしまったのだった。
今はお薬に詳しい効能説明と副作用なんかがくっ付いて来るのだが それを見て少しでも「??」と思う事があった時は一応ネットなどで 更に詳しく調べる事にしている。 飲み合わせや禁忌までは詳しく書かれていない事があるからだ。 オクスリストの悲しいサガである。
オクスリストには好きなお薬がある。 これが自分の身体に合っているなあ、と長年かかって感じたりする。 手放せない化粧品と同じような物だと思うのだが、お医者に行って 「済みません、○○と言うお薬、下さいな」 と言っても ほとんどのお医者さんは「それはこちらが決めます」 と言うだろう。 ドラッグストアじゃないんだから。
お医者さんがえらい日本では、これすなわち医者と患者の関係悪化を 意味するので、普通 患者は大人しくしている。 それでも、その薬を処方して貰えるような症状を訴えてみる と言う姑息な手段に訴えると言うテもまだ残っている。 だけど、これが実際やってみると非常に上手く行かない。
私が悪いのは自律神経系。胃腸発作や血圧低下による昏倒と言う とても 人騒がせな症状に出やすいので、身体に合った薬の選択はとても重要だ。
オクスリストの中には最先端のお薬が大好きな人もいるが、私が欲しがって いる薬は実は古いタイプのものだ。さして強くもない。 油断すると、安全と言われているが効果が強い新しい薬を処方されてしまう。 朦朧となるのはいやなのだ。 ハブラシでパンツを洗ったりしたくないのだ。 (大昔、実際にやった。酔っ払いより始末に悪い) と言う訳で、「実は〜〜○○なんです〜」 と 欲しい薬に近い処方が してもらえそうな症状を訴えてみた。 実際は20年以上前から、私の症状と言うか体質は、首尾一貫しているわけだが。
そこで処方されたのがこの「悪夢の薬」である。 いらねえええええっと私は思った。どうしようこれ? 飲むと喉が渇いて、悪夢を見ると言う結果が報告されてもいるそうだ。 誰がわざわざ悪夢なんか見たいと思うだろう? 人生そのものが悪夢ではないか。 夢くらいは良い物を見たい。 副作用が出ると決まったわけではないのだが、私は飲まなかった。 赤いパッケージがグロテスク。BGMははげ山の一夜って感じ。
「体調は戻りましたか?」 「いえ、あんまり」 1ヵ月後、同じお医者さんとの会話である。 この先生にかかって15年にはなろうか。聞いた事から忘れて行く面白い 先生なのだが、これまで罹ったお医者様の中で一番好きな先生だ。 そこで、1ヶ月考えた事を思い切って言ってみた。
「先生、○○って薬を 前に飲んでてすごく調子が良かったんです。 でも横流ししてくれていたお祖母ちゃんが入院したのでもうもらえなく なってしまったのです」
すると先生は 「なんだ、その薬ならうちにあったのに。良かったね。出してあげましょう」
患者歴が長く、管理もほとんど自分でしている慢性病の患者の特権か。 でも、それでもその先生、えらいと思う。そう言われただけで不愉快に なりそうなお医者さんだっているはずだ。 つらい症状が本当に判っているのは患者だけ。症状に合わない薬を 処方されて、結局身体も大して良くならず、薬にも慣れるのを待つしか ないと言う状態は、どこの病院でもどんな患者さんでも起こり得るだろうし 病んだ身体には切ない事だ。
| 2006年11月10日(金) |
インフルエンザ、あと全くとりとめない話。 |
喉の痛みまだ取れず。
だけど 他にこれと言った症状が何もないんだよなあ。 熱も下がったし。 鼻水も咳もな〜んにもなし。 ただ喉が痛くて血痰(きたね〜)が出るだけ。 ピンポイントでやられちゃったって事だね。
今日は息子のインフルエンザ予防接種1回目。いつもの小児科が、この時期 子供地獄の様相を呈しているのは判っていたのだが、数日前に接種を受けた お母さん(子供3人)も「混んでた〜」と泣き声を上げていたので・・・ 改めて、今年からは内科での接種を選択した。 楽だった。何より余分な病をもらって来ないのがいいと思うんだよね。
鳥インフルエンザの変異がこの時期なると取り沙汰されるが、ウィルスが 変異を遂げるのは何も冬に限った事ではなく、いつでも起こり得るそうで かつての流行を見る限り、夏の方が多かったのだそうだ。
鳥インフルは怖いさ。 確かに怖さのレベルは全然違うけど 11月くらいから インフル患者の出ちゃう年、ワンシーズンで3つもの別々な型が流行する年 ジューンブライドが洟垂らしてると言う悲惨な有様になる年は勘弁だ。 去年は開始が早く、収束が遅かった。 一昨年はやたら型が多く大流行した。接種受けても私だけ重くなったし。 冬は早寝と良く食べて、うがい手洗い励行が一番だ。 他には思い付かない。 春が待ち遠しいよう、気分的にも。
突然ですが
昔、息子に読んでやってた『人魚の姫』のお話。 姫は声と引き換えに、因業ババア、もといオババから人間の足をもらった。 結末から考えるに、既にその選択が誤りであったと、当時幼稚園の息子は 幼稚園児なりの言葉で言ったものだ。
正体の判らぬ相手と安易な取引をしてはいけない。
でも人魚姫の取引は 彼女的には決して安易ではなく、命を賭けたもので あった事は 物語の結末からも判る。声と引き換えに彼女は足を手に入れたが 彼女が欲しかったのはそもそも足だけなどではなかったのである。 欲しい物は自分の力で。約束されたのは足つきの姿で地上まで。 しかも王子と上手く行かなかったら殺すか死ぬ(海の泡になる)と言う 恐怖の大ペナルティーが待っている。
だけど盲目な恋には趣味でこんな意地悪をしてやりたくもなる気持ちも 判らないわけではない私は 既に因業ババアの仲間入りなのか?
風邪をひく事自体珍しいのだけど、ひいてしまいました〜
お熱がちょっとあります。 なにより喉がっ喉が猛烈に痛いっ
耳鼻科に行きました。
「あ、これは物が食べられないでしょう」 いえ。食べてます。
「もう少し下まで炎症が降りて行くと面倒なことになりますから」
いえ、なんつ〜か呼吸器は丈夫なんですよ、すごくね。
解熱鎮痛剤など、お薬を数種類頂く。
飲んだ時だけ痛みはひくけど、数時間すると・・・
「はうううう、喉が痛い〜〜っ」となってしまう。
夜更かししないで寝ればいいんだけど、なんだか時間も惜しい気がして
それと鎮痛剤をギリギリまで飲んでいたいので、禁を破って夜に
牛乳を飲み、パンを食べた。
さよなら私のダイエット・・・
今回の教訓
喉が炎症を起こしている時飲まない方がいいもの
ヘ○シアウォーター
| 2006年11月07日(火) |
おーちゃんが死んだ。 |
ボタンインコのおーちゃんが死んだ。 享年11歳。 息子が勝手に誕生日を12月24日に決めてしまっていたが、実際は 8月に小ヒナで買って来たので6月生まれくらいであると思う。
子供がいなかったので、多分 寂しいから飼ったインコだった。 余りに大人しく、人になつくので「この鳥はあまり寿命がないのでは ないだろうか」と良く心配したが(実際にそう言う鳥も多い。 人を慕うのは、体が弱いからと言う理由もあると思う) 鼻風邪を1度引いただけで、いつも、どんな環境でも元気だった。
子供が生まれて、先に飼っていた 同じボタンインコのポンタ(♀)は 嫉妬から赤ん坊の指を食いちぎらんばかりの敵意を示したが、おーちゃんは 初めから子供に好意的だった。とは言え 子供が小さいうちは、危険だと 言う理由でポンタと共に2階の一室に押し込められると言う憂き目にあった。
5年ほど前ポンタが死んでからは、ずっと家族が揃う居間にいた。 息子を咬む事もあったが甘咬み程度で、血が出るほど咬む事は一度もなかった。 実はメスから引き離そうとして、私が一度 肉が見えるまで咬まれた事がある。 彼らのクチバシには 大変な破壊力があるのである。 とは言え、そんな風に咬んだのはあとにも先にもその時だけ。小さな息子の 小さな指を舐めただけで泣かれた事もあったけれど。
「おーちゃん、Rちゃんは?(息子の名前)」 と言うと、息子が背が届かないのでおーちゃんと遊ぶ時に乗る椅子の方を 首を傾げて見る。誰かが昼寝をしていると、どうやら死んでいるかと思う らしく、その時だけは大声で鳴きたてるのだった。
息子は兄弟がいない。 父親もいないけれど、これは叔父や祖父が何とか 奮闘中だ。 初めから知らないからか、父親を追う事は今のところない。 けれど兄弟も、となると深刻で、そんな息子がたまに「オレは弟がいるんだ。 インコだけど」と友達に説明しているのを聞いた事がある。 聞かされた方も、まだ幼いからか、優しさからか 「インコは兄弟じゃない」と 返されているところに居合わせた事はない。 息子の友達にも おーちゃんは評判が良かったようだが、おーちゃんが 本当に好きなのは、チビでは息子だけのようだった。 鬱陶しい事もされるが、息子の事が一番気に入っているようだった。 多分、おーちゃんも自分より目下の家族と認識していたのかも知れない。
あと3年、頑張って欲しいよね。 私と祖母(母)の口癖だったが、或る日突然、ひどい動悸を打つようになり 2日後に逝った。私はずっと泣き続けた。息子が私にしがみついて 「お母さん、泣かないで」と泣いていた。 翌日になって、おーちゃんの冷たい身体を横たえた穴に涙がぽたぽたと 落ちた。二回ほど私と泣いていた息子が、この時は「お母さんまた泣いてる」 としか言わなくなっていた。恥ずかしい。
四季の花が綺麗な、息子が「基地」と呼んでいる庭の一番の特等席がお墓。
10月28日と29日の出来事だった。
今日は息子の乳歯が抜けた。 「おーちゃんのお墓のところに埋めようか。いい歯が生えて来ますようにって」 と私が言うと祖母が 「クチバシがはえたら困るのでやめよう」 と言った。

実は本名はオーディーン。今の家族では私しか知らなかった・・・
ずううううううっと停止してました。
まる1ヶ月ですねえ。上顎道炎で入院してた時みたいです。
ええと
2万ヒットありがとうございます〜〜っ
何気にこう言う、サボっている時にヒット数がキリ番に達してしまうと なんかこう、申し訳ない気がいたしまする。
サイトの方もちょっと休止中で、再開の時も代わり映えしないなあと 思われるかも知れないのですが、ちょっと増えたり減ったりさせます。
この1ヶ月、入院していたわけではないのでいつもと変わらず ライフ・ゴーズ・オンな日々。
色々な事がありました。
これは日記と言うより既にエッセイ部門ですので、過ぎた事でもこれはと 思う事はこれから書き残して行く事にします。
まずは明日からちゃんと書くぞと言う。
これからも、どうぞ宜しくお願いします
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